・・資料を読まずに書きますが
安政年間の横浜開港以来、輸出品TOPの生糸、次いで蚕種(蚕の卵)は主に欧州の絹の都リヨンが買い付けていました。
欧州でも養蚕は盛んでしたがその頃流行った微粒子病により欧州蚕はほぼ全滅、中国はアヘン戦争のさなかにて、日本の生糸輸入に頼ったのです。
日本は良質な生糸生産のため明治政府は五年に富岡製糸場を設置、設置責任者は渋沢栄一、工場長は尾高惇忠、技術指導にリヨンからポールブリュナを招いています。
ただ、、パスツールの微粒子病克服以後、欧州の養蚕は正常になったので、、日本と欧州の生糸・蚕種貿易は衰退したらしい。
リヨンにとってみれば、一時のバイト君が売り込み来た程度なのか?
日本はその後、アメリカとの生糸貿易が盛んになります。
ドレスだけではなく主にストッキングになったそうですよ
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