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当時の顧問の先生3名を含む、総勢9名のこじんまりとした同窓会。
本日の日記は、飲み会の席で挙がった話題のひとつ、私個人の話について触れていきたいと思います。
突然ですが、高校時代私は陰キャでした。
正確にはアニメとゲームが趣味の所謂オタクですね。
今現在、アニメやゲームは立派なカルチャーとして認知されるようになり
何ならZ世代にとってはメインストリームのひとつと言えるまでに成長した分野なわけですが
私が高校生だった90年代後半は、オタクへの風当たりは相当に強いものでした。
『オタク=陰キャ』は偏見だと思いますが
少なくとも当時の私が『オタクであり陰キャ』だったことは自他ともに認めるところでありますw
さて、そんな私が高校時代に所属していた山岳部は男女混成でした。
私の学年は男子6名女子4名でしたが、これを上で触れた陰陽キャラ別に分類しますと
□□■■■■ 〇〇〇〇
とまぁこんな感じですね。
記号は性別(□男子〇女子)色はまぁお察しください。
ズバリ『6名の1軍陽キャ』と私含む『4名の3軍陰キャ』で構成されていたというわけです。
そんな感じでしたから、私は4名の『1軍女子』とはほとんど喋ったことがありませんでした。
当然部活ですから必要最低限の業務連絡的な会話はありますが、それっきり。
同じ釜の飯を食った仲間とはよく言いますが、彼女らは私にとっては別世界の住人でしたね。
そうして高校三年間が過ぎ…
おそらくもう彼女らとは接点ないんだろうなと思いながら、高校を卒業しました。
でもね、高校三年間を振り返った時、当時の自分がスッゲー嫌だったんですよね。
チャラチャラした典型的な男子高校生!って感じだったクラスメートと合わなかったのは事実だけど
自分とは住む世界が違うからと、勝手に壁作って人と積極的に関わることを諦めて。
そんなだからクラスでも浮いた存在になるのは至極当然の結果で。
でもオタクとか陰キャとかそんなことは関係ないんですよね。
結局のところ全ての原因は自分にしかなくて。
上手く生きられない理由を、そうやって他人や社会に責任転嫁して生きていったら
自分は本当の意味で社会不適合者になってしまう。そう思いました。
なので、高校卒業して上京した時、私は人に対する接し方を180度変えました。
苦手だったけど自分から積極的に人と関わって
当時普及し始めていたインターネットを通じて知り合った見ず知らずの人たちとのオフ会に参加したり。
趣味で始めた車のブログでは、いろんな人たちに会うために全国を飛び回りましたし
オフ会のサポートだけでなく主催も進んでやりました。
陰キャだとか人見知りだとか、それを理由に社会との関りを断つのではなくて
それを認めた上で克服するための行動を自ら選んで踏み込んでいく。
人と関わる以上痛い目を見たこともあるし、騙されたことも傷つけられたことも何度もある。
人間不信になりかけたことだって一度や二度ではありませんが
愚直に続けること25年。
ネットで知り合ってリアルで接点持った人の数はのべ100人を超えました。
今でも初対面の人は苦手だし、人と接するのが決して得意とは言えないけれど
少なくとも自らスッゲー嫌だと罵った『3軍陰キャ』の自分の影はずいぶん薄れて
あの当時の自分が見たら、今の私は『お前誰だよ?w』くらいには変われたのかなと思います。
そんな私のこれまでの半生を念頭に置きつつ、冒頭の飲み会の席まで話を戻しましょう。
今回の山岳部の同窓会、当時の顧問の先生3名を含む総勢9名ということでしたが
その内訳を上で触れた陰陽キャラ別に分類しますと
△△△ 〇〇〇〇〇 ■
おわかりいただけただろうか?
△は顧問の先生、〇は同学年と1個下の元1軍女子5名、んで■は私w
顧問の先生除けば全員女子、しかも皆現役時代はバリバリの元1軍女子。
いや、これよく行ったよね私ww
在学当時、必要最低限の業務連絡的な会話しかしてこなかった過去を鑑みれば
『お前頑張ったよね』って自画自賛しても良いレベルw
でも別に嫌々行ったわけじゃないですよ。
本当に楽しみにしてたし、実際に楽しい飲み会でした。
ちなみに、この高校山岳部の同窓会。
これまでに10回くらい開催されているのですが、男子の中で唯一の皆勤賞は私だけです。
何なら同学年の女子4名+私とかいうわけのわからん二次会も過去にあったくらい。
今回も顧問の先生方としっかり話したいということで、参加人数は最小限に絞ったらしいのですが
何故か私だけはきっちり呼んでいただけました、光栄なことです。
そして冒頭の飲み会の席で挙がった、高校時代の私個人の話題で締めくくりたいと思います。
『当時めちゃくちゃ陰キャだったよねww』
『そういえば安室奈美恵の話してたら、そっちはガンダムのアムロ?だったのがウケたww』
『え?あっきー君縦走でギックリ腰になったの?全く覚えてないんだけどww』
『当時全然会話しなかったよね私たち』
『こんなに話せるなら、当時もっと話すればよかったね』
『今度みんなで山行こうよ』
『日程は調整するからあっきー君計画頼むねw』
『食材の買い出しは付き合ってよ、約束ね』
『先生たち今日すごく楽しんでくれた、あっきー君が山の話盛り上げてくれたからだよ、ありがとう』
『また誘うから絶対来てね』
私の25年は多分無駄じゃなかった。
とても面白い日記でした!
高校生の頃と言えば、恐怖のボサボサ髪と本をバリアにして、現国の先生がクラスで日替わりで
ちょっとした文章を書くみたいなノートを作ったら「相容れない人間は敵だー」みたいなこと書いて、
クラス中を震え上がらせたバリバリの陰キャだった自分は(嘘です、あいつアホか・・・くらいに
思われていたとは思いますw)、何だか他人事でもない様な話しと言いますか笑。
40,50年とか生きると、流石に自分も丸くなったなとは思いますー。
コメントありがとうございます(*'▽')
おっと、はる999さんも3軍男子でしたか。
こういうのって他人の話なのはわかっていても、なんかこう、ゾワゾワきますよねw
自分と重ねてしまうというか。
私も今回10年ぶりくらいにお会いした顧問の先生からの印象が『髪の毛ボンバー』だったので、先生方からの印象も典型的陰キャだったんだろうな〜と思ってますw
人生経験や人との出会い、あとは挫折や失敗なんかでも人生観変わりますもんね。
少なくとも年相応くらいには大人になれているのかな?それならいいなと思ってます(*^^*)
こんにちわ
ええ〜〜あっきーさん陰キャだったんですかあ?
そんな風に見えないですけどね
まあ、人は変化していくものだと思うし
環境によっても変わっていくしね〜
ところでこのRX7の集団はオフ会でしょうか?
手前のダークブルーマイカがあっきーさんのマシン?
カッコええよねーこのセブン
二度とこんなスタイルのクルマ出てこないだろうな〜
コメントありがとうございます(*'▽')
何をおっしゃいます、ハイパーエリート陰キャですよww
実際にお会いしたことのあるjunbaderさんがそうは見えないと仰っていただけると、私の25年が報われた気持ちになります、ありがとうございます。
仰る通り環境によって変わることも大いにあると思います。
ただどんなに良い環境に置かれても、良い変わり方ができるかは本人の在り方次第だと思っているので、謙虚な気持ちを忘れずに今後も生きたいと思います。
あ、実はこの写真には私の車フレームアウトしちゃってるんですがw
↓これの代表写真に写ってるのが元愛車です。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4486727.html
当時は経済的理由から(仕事辞めて無職になっちゃったので)手放しましたが。
今思えば何が何でも手元に残しておけばよかったなぁ、維持費尋常じゃなかったと思いますが。
お邪魔します。
RX7乗りでしたか😆
旋回能力は良いのに足周り弱いので
友達もノーマルだと事故率高めでした。
最初の愛車S13でしたが、その後にスキーに嵌まってサーキット〜雪道まで走れる仕様でした。
走り屋と決めつけるのに抵抗あって友達メインでサークル的なチームを作ったり、プライベートチューナーついてくれたりで懐かしい時代です。
キャラに関しては友達の影響も多いと思いますし
山岳部でも、しっかり取り組んでたからこそ毎回呼ばれるんだと思いますよ🤗
コメントありがとうございます(*'▽')
そうなんですよ、FD乗りでした♪
ちなみにセカンドカーでS14乗ってた時期あるんですよ、NAでしたけど。
当時の仲間にもS13、苺乗り結構いました。
私はファッションスポーツカー乗りでしたけど、ガチの走り屋の仲間も当時結構いましたね。
なんかすごく懐かしいです( *´艸`)
いや〜それがですね、全然まじめにやってなかったというか…
何なら同期や先輩後輩全員含めても、私が今最も山にアクティブな状況はかなり異常というかw
まぁ人生わかんないもんですね〜呼んでもらえるってことはそれなりに需要はあるってことなので、私としてはうれしい限りですが(*^^*)
こんばんは。
部活は良いもんですね。25年に渡り、長い長い尾根を歩いてきたのかな、という印象を受けました。
コメントありがとうございます(*'▽')
おぉ、何とも良いお言葉を頂きました。
そうですね、長い長い尾根という表現がしっくりきました。
迷い尾根に誘われたり、滑落しそうになったり、でもロープの助けで間一髪逃れたり。
気付いたら良い景色が見えていたり。
そんな情景が目に浮かびました(*^^*)
自分も、私は呼んでもらえばいつでも日向でやっていけるんだからね!ただ居心地が良いしこっちに居ようよって周りに言われてるから日影にいるだけなんだからね、という設定で日影の三軍の下っ端に居ました。
人の感情の理解のためとしてエヴァの旧劇見に街に行ったり、英語の勉強だーと言ってMTGをやって、運動大事と言うことで教室の床の枡目使ってDDR練習したり、怪しい円盤を焼いて回してもらったりしましたねー。
最近ようやく周りのことに関心を持ち始めたのですが全然慣れないので日向は常に眩しいです、自分を少し変えて世界をほんの少しだけ変えられたら良いなーと思います、がんばろーと思えました、ありがとうございます😊
コメントありがとうございます(*'▽')
日記の構成上こんな感じで書いてますが、日影は日影で楽しかったですけどねw
決してクラスの主流にはなれませんでしたが、狭いコミュニティの中でそれなりに楽しい学生生活は送ってたなぁと(新作ゲーム出たら2〜3日学校サボったりねw)
社会に出れば否が応でも日向に引きずり出されるので強制的に変わらざるを得ないのですが
hattoさんの仰る通り、時折眩しいな〜ここ自分の居場所で合ってるのかなぁ?少し日影で休みたいなぁと…感じる時はありますね、根っこの部分はどこかまだ3軍陰キャなんだろうなぁと。
まぁ年齢にしても立場にしても、それを許してはくれないんですけどw
てかhattoさんのエピソードだいぶ私の実体験に近いですね、世代近い?私よりチョイ下?
自分もとっても楽しい思い出です。
プロフィール拝見したら同い年でした。S55生まれです。
たぶん完全に同じ時間の流れにいるかと思います。
運動部の時点ですごいなーと、帰宅部は許されなくて、席だけ化学部ですよ、自分。
マジですか、いやはやまさかの同い年ww
ゲーム全盛期、パソコン及びインターネット黎明期、テレホーダイの時代ですな。
そういえば東京に住んでた時、コミケに行ったのも思い出しました、懐かしい(*^^*)
思い出補正もありますが、なんかこう面白い時代ではありましたよね。
うちの山岳部は運動部とは名ばかりの、普段全く活動しない帰宅部でしたよww
とはいえ年5回くらいは強制的に山登らなきゃいけないので、一応運動部っちゃ運動部ですがw
とても面白く拝見しました。あっきーさんは高校時代に登山部だったんですね、いつもレコで超健脚ぶりに驚いていますがその元が分かった気がしました。
ちなみに私は大学でワンゲルでしたが高校ではサッカー部で色が黒くて髪が天然パーマだったので「ボンバー」でした。無理やり共通項見つけました😅
隠キャだったのは信じられませんが、今でも先生も一緒に集まれるって良いですねー。特にあっきーさんは慕われそう。
私もワンゲル仲間で毎年集まっていますが、山の仲間って本当に繋がり深いと思います。
○○○○○女子に囲まれての山行楽しみですね😊
コメントありがとうございます(*'▽')
正直普段は活動のない半帰宅部のような部でしたけどねw
ただ、山に対する心構えや準備、山屋としての矜持といった部分はきちんと自分の中に概念として残っていて、それが今に繋がっていると思います。
ちなみに高校時代は無造作ヘアーでボンバヘーでしたが、卒業してからは金髪にしたりロン毛だったり、いろいろやりましたよ( *´艸`)
これに関しては同期の1軍女子(特に2名)がそれはそれは献身的に企画運営やってくれてて。
彼女たちのおかげで繋がりを維持できているんですよね、本当に感謝です。
当時はホント苦手で全然喋れなかったんですけどね、ミニスカルーズソックス流行最先端の女子高生と3軍陰キャですから無理もないのですがww
いや、この場合は楽しみよりも重圧のほうが勝ってます(;´Д`)
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