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1970年代は、まだ、植林事業が行われておらず、高尾から続く笹尾根、高水三山から棒の嶺に連なる大丹波村の尾根にはどこまでもススキ野原、御岳山一体は広葉樹の森でしたね。奥多摩町や檜原村のどの家でも、子ども達は学校へ行く前に、山の炭焼き小屋から俵を降ろす手伝いをしてましたね。
国を挙げての植林事業の50年後に起きたことは、残念ながら橋本さんの言うとおりです。木材や炭・焚き木の輸入を差し止めて、補助金を出して国産木材活用を産業振興すべきだと、誰かに声を挙げていただけるのを待つ身です。
『杉やヒノキで柱を立て、ススキやヨシで屋根をふき、イグサを編んだ畳の上で暮らすといった日本の伝統的な木造建築を支える日本の植物と巧の技に注目。』山村では林業従事者が減るなかで、東京都は花粉粉症を引き起こす杉檜の伐採を、奥多摩一帯で大規模に進めていますね。やればできる!思えば、叶う!未来を背負う子どもたちのために。
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