![]() |
![]() |
![]() |
今日は天気が良かったですが午前中に用事がありましたので、
午後からは八王子図書館の郷土資料室に籠って高尾陣馬山域の
山名や山岳地理や古道などの研究をしておりました。
上記の添付写真の左の写真は千手尾根の古図です。天神山と云う新たな山名を発見しました。場所は現在の興慶寺山の東側の峰ではないかと調査中です。それに千手山にあたる場所が、ミヤノヤトになっております。おそらく千手山の別名の一つがミヤノヤト山(宮ノ谷戸山)ではないかと推測しております。その根拠は遠ノ谷戸尾根(川口丘陵)の404m峰は遠ノ谷戸山で、その山の別名が羽生山です。遠ノ谷戸山と宮ノ谷戸山は地名考としての共通点が有りそうです。そして真ん中の写真は、千手山が新城と云う城跡の名前になっております。右側の文は『ばばあ森』の場所です。醍醐林道『ババアコロガシ』や丹沢北部の仙洞寺山山域の『ババ山(金太郎権現山』や『ババア山(婆山)』などババア地名が多いので、民俗学的に考えるとこの山域の山村集落では古代から女性が神格化されていてこのような山名や地名が発生したのではないかともとれます。又は『ババア・ババ』は婆ではなく馬場(ババ)からの転化とも考えられます。低山でのバリエーションルート登山は常に歴史や地理や伝承や民俗学や考古学と絡み合いますので楽しいです。
★下記は今回の八王子図書館で調べた成果★
【高尾陣馬山域の各山の別名】
千手山:浄福寺城・案下城・新城・千手山・白山権現山・
浄福寺城山・恩方城山・新城山・ミヤノヤト山・宮ノ谷戸山
市道山:一歩地山・逸歩地山・イッポチ山
コンピラ山(南高尾山稜):大平山
大洞山(南高尾山稜):大洞谷ノツメ・大羽山
景信山:影信山・砥石山・景延山・高丸
入山尾根東端:鹿子山
裏高尾町駒木野の神明神社北裏にある小丘:地蔵山
泰光寺山(南高尾山稜):高山
入山峠付近589m圏峰:津地尾山(つちおやま)
遠ノ谷戸山:羽生山・中山
雹留山:榛名山
底沢峠の高尾山側の721m圏峰:赤岩山
下恩方町松竹の恩方第一小学校の西側の山:飯縄山
今熊山:呼ばわり山
杉沢ノ頭:材木沢ノ頭・熊笹山
小下沢山:逆沢ノ頭・逆沢ノ丸
八王子城山:深沢山・牛頭山・慈根寺山・八王子山・古城山・八王子城
千手尾根589m圏峰:不動山
本郷山(猪通り尾根):御堂窪山・ホンゴー
豆佐嵐山:大沢山
舟子尾根ノ頭:棚沢山・棚沢峰
小峰峠の西にある336m峰:小庄山
初沢山:初沢城・高乗寺城山・椚田城
JR中央本線の湯ノ鼻トンネル北方の山:駒木野山
石船山:醍醐林道の竜蔵神社の裏の山
滝入山・てんのうさま:醍醐林道の竜蔵神社の正面(醍醐川北側)の526m峰
臼杵山:臼木山
真峰嶺:峰の間・まみね
金比羅山(高尾駅の西側):浅川金比羅山・迷子ノ峰
景信山:柴山<この別名は景信山の別名の中で今回初めて見ました>
【高尾陣馬山域の各山の山名考】
イッポチ山の南側の峰:手無・手無山
※テナシ(手無)⇒テンナンショウorテンナスからの転化⇒マムシクサ群生地の意味
要倉山:中山・中谷山
※ヨーグラ(要倉)⇒ヨウノキからの転化⇒キブシ(落葉低木)
盆前山:京沢ノ頭
※ボンゼン(盆前)⇒ボンゼーンからの転化⇒クロウメモドキの木
小仏峠:崖の古語は『ホッケ』なので、小ボッケからの転化⇒小仏
陣馬山:チガヤ(茅)の方言⇒チン場⇒陣場⇒陣馬
小下沢:コーゲ(芝生・草原)からの転化
トッキリ場(鳥切場):熊や猪を追いつめて、最後に撃ち獲る場所
案下(あんげ):アイヌ語のパンゲ(谷間)が語源
北条山(北条):トッキリ場の背後に小高い山がある。丸い山で頂に祠が在り山ノ神である。
土地の人はホージョウ(北条)と呼んでいる。
切畑地の山言葉:あらく
参考文献
『藤九郎屋敷と上恩方の歴史』揺籃社 1984
『初沢の今昔』浅川地区社会教育推進委員会 1983
『八王子地名考』 かたくら書店 1986
『八王子事典』 かたくら書店 1991
『案下路をあるく』案下路をあるく会 1976
『案下往来』八王子郷土資料研究会 1974
『三多摩風土記』鉄生堂書店 1957
『恩方の民俗』八王子市(総合政策部市史編編纂室) 2012
『恩方村の伝説』八王子市郷土資料館 1974
『恩方の歴史と地理』案下路をあるく会 1969
『八王子市恩方地区における考古学的調査』八王子市教育委員会 1969
『江戸時代の恩方村』多摩文庫刊行会 1959
『高尾山薬王院文書・第一巻』法政大学 1989
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する