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母子家庭で精神疾患のある母親が突然家をでて数日帰らない。それまでは母が買ってくる真空パックのご飯を食べるだけだったが、「いつになったらご飯の時間になるのか、それともお母さんはご飯を買って帰ってくるのか、予測のつかない母親の行動で食事が翻弄される不安。」みかねた近所の人が使わなくなった炊飯器を与え、炊きたてのご飯を作れるようになったけれど、自分で炊いたご飯にマヨネーズやソースをかけるだけ。幼い兄妹は主菜、副菜、汁物で構成された「食卓」を知らない。結局母は長期入院し、兄妹は児童養護施設で暮らすことになった。
本書は前半が池上彰さんと児童養護施設の園長高橋利一さんの対談で、施設にやってくる子どもたちの現状が紹介され、後半では池上和子さんが、子どもの貧困を、親の問題、教育の問題、心の問題、施設の問題と分けて現状分析されている。
篤志家のボランティアから行政へ支援の主体は移りつつあるが、それでもまだまだ一般の方の援助が必要で、特に18歳以降については国の制度がカバーしていないため、必要な精神面と財政面でのアフタケアがなかなか厳しい。子どもたちが次第に心を開き、将来の夢を語り始めるところなど、胸を打つ話が多かった。高橋利一さんは極めて控え目な方だが、私財を投げ打って学園を運営されている崇高な生き方に大いに感銘を受ける。
子どもの貧困は、最近ようやく目を向けられ始めた。多くの書籍があるが、さすが池上氏、この分野の素人という立場に立って、読みやすく理解しやすい本にされたと思う。
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「はっとする味」平松洋子(ちくま文庫)2013/10/10初版
料理の本は無数にあって、レシピメインのもの、写真が勝負のもの、美食系、B級系、美文系、お笑い系などなど、大体は立ち読みで十分なのだが、うちで寝転がってもう少し続きを読みたいと購入したのが平松さん。短く切れの良い文体からすぐわかる。この人の料理はきっと本物。
油揚げの油抜きをどうするか。熱湯にくぐらせる?平松さんは「じわっと濃いめの味にしたければそのまま。ふうわりあっさり品よくいきたければ、さっと熱湯まわしかけて油抜き。」なんだかほっとする。
魚の炊き込みご飯。
「魚を入れて炊くとくさみが出ると怖じ気づく向きもあるけれど、なに、ちっとも心配はいらない。たったひと手間かければよいだけのこと。魚はあらかじめ焼いてから。つまり、骨にしっかり火を通してから」
113p「残りもの」の章。わずか数行の日記風記述が続く。残りものの味わいと工夫の面白さ。これは長年自分の知らなかった世界であった。主夫業わずか1年未満だからね。頭のいい人の文章は簡潔だなあと改めて思う。
数十枚しか写真はないが、出来上がった「きれいな」料理写真は一枚もない。平たい中華包丁の上にのった木綿豆腐とか、土鍋に炊いたご飯の上に乗った鯵一本分の骨の写真とか。ここだけでも立ち読み(眺め)ご推奨。
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「はじめての福島学」開沼博(イーストプレス)2015/3/11初版
「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線「子どもたち」を「6点セットキーワード散りばめ作戦」と著者は書く。これを使えば、何の取材もしなくても、楽勝で福島を語れちゃう。例えば「原発事故によって多くの人が避難をし続ける福島。除染・賠償・放射線への対策など課題は山積する。復興が遅れている。私たちは福島を忘れてはならない。」何も言っていない、空疎な言葉。
開沼さんは1984年福島県いわき市生まれの大学院生で、現在は福島大学特任研究員をなさっている若い方。32歳?これは、いわゆる「原発反対」「被災者を救え」という論調とは一線を画した「行政側」からの研究書であり、福島は決して悲惨なことになっていない、福島を政治利用しないでほしいという主張。うかつだったが、正当なデータを元にしたこうした主張をきちんと読んだことがなかった。
開沼さんは、詳細な資料をもとに、復興について「復興が進まないというのは嘘、むしろ復興が早すぎた弊害がある」、人口について「福島の人口流出は10倍誤解されている」農業について「チェルノブイリで起こったことが日本でも起こるというのは無知の極み」、家族について「婚姻率が上がり、出生率は全国最大幅の回復、流産などは震災前後で変化なし」、福島への誤解に対し一つ一つデータを元に反論されている。
善意を装いながら、まことしやかに福島のネガティブイメージをふりまく輩に対して、県民として行政の側で復興に関わるものとして強い怒りを感じて書いておられる。正義感あふれる強い文体で、「敵」を刺激するところも(筆の走り過ぎ)きっとあると思う。でも共感する部分も多い。ただ残念ながらデータを自分で読むということに慣れていないと、本当にそうなのかと思うこともあるかも。自分もその一人だけど。
ジャーナリズムに関わる人、福島について発言をしたい人、福島のものを食べていいのかと迷っている人は、是非一読を。
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あわせて「被災弱者」岡田広行(岩波新書)2015/2/20初版、を読む。
震災時、石巻や気仙沼、亘理にボランティアに行かれた方も多いはず。被災地のその後がどうなっているか、関心はあるものの個別のことは簡単には見えてこない。
筆者は東洋経済新報の記者で、宮城県石巻市と気仙沼市の、復興から取り残された「被災弱者」を丁寧にルポし、声高でなくその問題点をとりあげている。
仮設住宅は特に宮城県のものが劣悪だったようで、健康被害が多くでているし、地方都市であるため高齢化による認知症の進行が進んでしまった。復興事業が進み、災害公営住宅が建設される中で、逆に支援が終了していくという矛盾(公営に入れば被災者とみなされなくなる)。みなし仮設での不平等な支援の差。義捐金の受け取りにより打ち切られた生活保護。雄勝町での行政主導による(強引な)高台移転計画により、町人口の6割もの人口流出の恐れなど。
震災時より継続的にボランティア活動をされている地区の方や、遠方の方のスーパーな活躍をたくさん紹介しつつ、被災弱者の現状を詳細に共感を持って描き出している。4年後の「事実」として知っておくべきこと、と読んだ。今日は3.11+7である。
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「愛と暴力の戦後とその後」赤坂真理(講談社現代新書)2014/5/20
内容の紹介はyoneyamaさんが日記にしておられるので割愛させていただいて。
女性作家が戦後史を俯瞰するというのは珍しいかもしれない。小説家の感性を信じて、個人史(赤坂さんは高校時代にアメリカ留学されている)と戦後イベント史をサブカルも網羅しつつ行き来する。ああそうだった、あのときのアレが始まりか、と思いだせる記憶である。
114p「あさま山荘事件の『鉄球作戦』のインスピレーションは、『東京オリンピック』からきたのではないか」1964年の東京オリンピック、市川昆の記録映画は鉄球で東京を壊すシーンから始まるのだが、赤坂さんはその二つのイメージをつなげ、
「あれは見せるためにこそあったのではないだろうか」「あれはひとつの見世物だった」「初めてテレビで生中継された凶悪事件」「そして社会が同じ想像力から出られなくなっていくスパイラルが始まったように感じた」
私よりひとまわり若い赤坂さんが一章を割いて書いておられる80年代。実は私はほとんど記憶がない。どんな歌やドラマがが流行っていたとかどんな政治の流れだったとか。バブルってありましたっけとか。子育てと仕事の真っ盛りで、娯楽も文化も束の間の繁栄もほとんど享受していない。あの10年程が「抜け落ちている」感覚。赤坂さんの留学経験も色濃く反映されており、日本という国家への違和感もそこが小さな出発点かもしれない。そしてプロローグ:
「私の国には、何か隠されたことがある。」
なかなか味わいがある言葉。
毎度おもしろそうな書評ありがとうございます。福島、被災関連は、まだ時間的に近すぎて、あまり手が伸びていません。どうすりゃいいんだろ、って思っています。紹介の本はいい目安になります。
80年代の記憶が子育てとモーレツ仕事で抜け落ちているんですか〜。一まわり後の僕世代だと90年代ですか。確かに世の中よりは自分のことでしたが。バブルも知らずに没頭していたんですね。
yoneyamaさん、コメントありがとうございます。
バブルとは縁のないお仕事でした〜
山の行き帰りに聞くのは70年代のフォークやロック、歌謡曲だったりします。
震災コーナーは賑わっていますが、逆にどれを読んでいいか、ですよね。
ただ事実として入れて行くべきものと、もしかしたらリアルタイムで支援が必要な何かがあるのでは、との思いで時々目を通しています。自分の今現在の生き方(何を買い何を食べどこに住むか...etc)にも関わります。なにしろここは宮城なので。
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