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では、その一等三角点網の最初の三角形の一辺は、どこから始まったのか?
答えは、当時の神奈川縣相模國高座郡に設定された「相摸野基線」です。1882(明治15)年、ヒルガード基線尺(長さ4メートルの物差し)を使って基線南端点「一等三角点 座間村」と北端点「一等三角点 下溝村」間の距離「5,209.9697m」が確定しました。当時この一帯は広大な桑畑で、南端から北端までの基点間に一切の障害物も山谷もないため、ズバッとまっすぐ基線尺を当てるのに好都合だったようです。とはいえ、どんな物理量であれ、アナログで計測/計量した経験を持つ方なら、有効数字8桁という超高精度の数値を得るには、尋常でない精密測器と高度な技術と繰り返し測定が必要であることをご存知でしょう。 物差しを1400回以上継ぎ足し、106日間を要した測定に求められた粘り強い緻密さは、われわれ現代人には想像がつきません。
基線が確定したことで、南北の両端点から西側に第一増大点「一等三角点 鳶尾山」、東川に第一増大点「一等三角点 長津田村」が確定し、ここに最初の三角形が2個誕生しました。
第一増大点の三角点間を新たな基線端点として第二増大点「一等三角点 連光寺村(多摩市連光寺六丁目」と「一等三角点 浅間山(平塚市浅間山)」が確定、という具合に三角点網は拡充してゆきました。その経緯を詳しく解説したこちらのWEBサイト
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参謀本部による基線設定
http://uenishi.on.coocan.jp/j683kisen.html
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を拝見して、がぜん興味が湧いてきたのですが、私自身の発見の最大のポイントは、なんとこれらが【拙宅からの徒歩圏内である‼️】ことで、昨日、これらのうち、長津田を除く(※理由を後述)一等三角点3箇所、加えて南北端点の中間にある四等三角点、の計4箇所を自分の脚と眼で直接確認に行ってきました。
山行記録はこちら
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-8082698.html
※拙宅からだと長津田→南端点→(中間点→)北端点→鳶尾山とN字型に回れば効率がよいのですが、基線よりも先に増大点に行ってしまうのは、どうも違う気がしました。やはりまずは基線を押さえてから、ですよね。ここに来て、木村大作監督が映画「劒岳 点の記」を撮る際、時系列順の撮影にこだわった気持ちが理解できた気がしたのでした。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7992701.html
が意外と面白かったので、今昔マップ on the webで三角点をボーッと探していると、相模原に「基線北端点」と書かれた三角点を発見しまして、それって何?と調べてみたことが発端でした。
ぜひ、暑くなる前に訪れてみてください!
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