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興奮して眠れなかったので出発時間までテレビで北京オリンピックの開会式を観て過ごしました。バスの中で睡眠をとればいいと考えていましたが、結局一睡も出来ないまま富士吉田口5合目に着いてしまいました。
準備体操をしていると急に雲行きが怪しくなり雹が降ってきました。女性添乗員(富士登山ツアーの添乗経験者)が先導し、現地で合流した山岳ガイドが最後尾について歩き始めると雨が降り出し雷も鳴りだしました。途中のコンクリート作りのシェルターのような建物に避難して天気の回復を待ちました。他の登山客も大勢いてすし詰め状態のまま長い時間待機していました。後でわかったことですがこの時、ツアーの添乗員は山小屋にキャンセルが出来ないか携帯で交渉をしていたのですがキャンセルは無理とのことで半ば強硬的に登山続行することになったようです。その頃、8合目では落雷で一人亡くなっていました。まもなく雷雲も遠ざかるとの判断で雨が小降りの中歩き始めました。演習場に雷が何度も落ちるのが見えましたが雷が遠ざかるにつれ天気も回復してきました。最初は列をつくって歩いていましたが、次第に列は長くなり最後尾はどこを歩いているのかわからなくなりました。私は3000m近くになって欠伸が出るようになりました。その時は分かりませんでしたが高山病の初期症状が始まっていたのでした。
8合目の山小屋を通過した時は既に日は暮れてヘッドランプをつけて宿泊予定の8.5合目の山小屋を目指して兄の友人二人で歩いていました。兄や妹がどこを歩いているのかなど知るよしもありませんでした。7合目から8合目の山小屋が見えるのになかなか辿り着けない苦しい登りがつづきました。
8.5合目の山小屋に着いたのは夜の8時を過ぎていました。夕食は冷えたカレー弁当でした。疲れと軽い頭痛で食欲もなく半分も食べられませんでした。1時間後位に兄が到着し、更に1時間遅れて妹も到着しました。寝床は、枕と枕の隙間がないくらいのスペースで唖然としましたが疲れで直ぐ寝てしまいました。
登頂の集合時間になり夜中の2時に起こされた時は頭痛がひどくなっていました。登れない程ではなかったので山頂に行くことにしました。兄と妹は高山病で既に登頂を諦めていました。歩きはじめると気持ち悪さで嗚咽がはじまり歩ける状態ではなくなってしまい登頂断念の決断をしました。翌朝、兄に起こされるまで爆睡していました。敗北感一杯でベッドから御来光を見ていました。
山頂まで行けたのはツアー参加者の半分の15人位でした。兄の友人だけが山頂からの御来光を見てきました。山頂では、史上最速の初雪があったようで非常に寒かったとのことでした。下山時にも事件はあって、ツアーに参加していた年配の夫婦の奥さんの方が浮き石を踏んで転倒して足を骨折してしまったのです。私たちの山岳ガイドが他のツアーガイドと交代でおぶって6合目の馬が利用できる場所まで運び無事、麓の病院に搬送できました。こうして、私の初富士登山は終わりました。
三年後に再び富士山登山のツアーに参加する機会があり念願の山頂からの御来光を見ることができました。山専門の旅行会社が主催する富士宮口からのプリンスルートでした。山小屋も7合目で体力的にも比較的楽でカレーも美味しくおかわりをした程です。寝床も十分スペースがあり良く眠れました。お鉢巡りも果たし、影富士まで見ることができました。帰りは、御殿場口の砂走りも経験できて大満足の富士登山となりました。高山病の知識も対策も万全で臨んだこともありますが高山病の症状もでることなく参加者全員が登頂できました。
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