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一般には上記の説明が広く信じられているようですが「一見もっともらしい話だけど、本当だろうか?」と疑問に思いググってみたところ、どうも事実は違うらしいと言う記事を見つけました。2024年2月1日付けの山形大学のプレスリリース資料ですから、本当に最近になって公表されたものです。
【蔵王の「ワサ小屋(二代目)」と番人の「井上老婆」の写真が見つかりました 〜200年間に渡る名称の変遷と継承の過程が解明されました〜】
https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/information/press/20240201/01-2-2-2-2-2-21-2-2-2/
リリースペーパー:https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/files/3217/0666/1175/20240129.pdf
この資料を元に「ワサ小屋」の来歴について、要点をかいつまんで説明すると
1.江戸時代後期 現在のワサ小屋跡には修験道に由来する2つの「笹小屋」があった
2.明治以降 修験道の衰退によって「笹小屋」は放置され、荒廃した小屋は「ワサ小屋跡」と呼ばれるようになった
3.大正期 遭難事件を契機に小屋の重要性が再認識され、堀清太郎という人物を小屋番にワサ小屋が再興された
4.大正末年〜昭和戦前期 堀氏の没後、井上某というお婆さんが小屋番を引き継いだ(※井上氏の引退時期は不明)
5.戦中〜戦後 管理者不在のワサ小屋は荒廃し、昭和26年の地図には既に「ワサ小屋跡」との記載が見られる
といった具合になります。ワサ小屋の名称が小屋番のお婆さんの名前に由来するという説は相当に怪しくなってきていますが、では肝心のワサ小屋の真の由来はなんなのかというと、これがどうもハッキリしないようです。「ワサ小屋」には前身である「笹小屋」も含めて「和三小屋」、「ワシ小屋」、「鷲小屋」、「和七小屋」と実に様々な表記がされていたようです。そのため由来とされるものも一様ではなく
「笹小屋がワサ小屋と訛ったもの」
「近くの熊野岳に鷲が巣くっていたからワシ小屋」
「小屋番だった和七という男の名前がワシ小屋と訛った」
「小屋の近辺で発生する雪崩を、この地域の方言では「ワシ」と呼んだことにちなむ名称」
とまあ実に多彩な由緒・由来が語られていたようです。
いずれにせよ「おワサさんというお婆さんが小屋番をしていたからワサ小屋」ではなく、「ワサ小屋の小屋番をしているお婆さんが「ワサ小屋の婆さん」→「おワサさん」という愛称で呼ばれるようになった」とした方が、より実態には近そうな感じです。いつの間にか話の順序が逆転してしまったのですね。参照元の資料にも「井上老婆」としかないので井上のお婆さんの下の名前は伝わってないのでしょうか? 昭和初期ともなれば、そんな昔の話とも思えないので不思議です。
※画像はすべて前述のプレスリリースよりの引用です
それにしてもあれだけの量の石室の石はどうなったんでしょうね?
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