9−3章 日光火山群とその周辺の火山
(はじめに)
日光火山群は、那須火山群―高原山―赤城山と並ぶ火山フロントのうち、高原山と赤城山とをつなぐ位置にある火山群です。
日光火山群は火山が特に多いので、一つの章として説明します。
また、日光火山群に隣接している、尾瀬の燧ヶ岳、及び上州武尊山も、この章で説明します。
日光火山群は火山が特に多いので、一つの章として説明します。
また、日光火山群に隣接している、尾瀬の燧ヶ岳、及び上州武尊山も、この章で説明します。
1)日光火山群の特徴
日光火山群は、狭い領域に多数の火山があり、この火山フロントの中でも活動が活発な地域です。
(文献1−a)によると、日光火山群のうち現存する火山としては、女峰山(2464m)が最も活動歴が古く、約50万年前から活動を開始したと推定されています。その後も男体山、日光白根山など、多数の火山が活動しています。また大真名子山(おおまなこやま)、小真名子山(こまなこやま)など、多数の溶岩ドームが林立しているのも特徴的です。
なお、日光火山群の山々は標高が2000mを越える山々が多い点で、9−2章で説明した関東北部の火山群より群を抜いていますが、実はこれは火山自体が大規模なのではなく、火山体の下の基盤岩自体がかなりの高さを持っているために、見かけ上の標高が高くなっているものです。
例えば中禅寺湖の南側を縁取る山々は火山ではありませんが、標高が1800mを超えています。
産総研「シームレス地質図v2」によると、日光火山群の基盤岩は、最も下位にジュラ紀の付加体型地質(足尾帯)、続いて白亜紀の火山岩類や花崗岩、さらにその上に新第三紀 中新世の火山岩類、と少なくとも3つの層が積み重なっているようで、各火山の隙間にそれらの地層が認められます。
(文献1−a)によると、日光火山群のうち現存する火山としては、女峰山(2464m)が最も活動歴が古く、約50万年前から活動を開始したと推定されています。その後も男体山、日光白根山など、多数の火山が活動しています。また大真名子山(おおまなこやま)、小真名子山(こまなこやま)など、多数の溶岩ドームが林立しているのも特徴的です。
なお、日光火山群の山々は標高が2000mを越える山々が多い点で、9−2章で説明した関東北部の火山群より群を抜いていますが、実はこれは火山自体が大規模なのではなく、火山体の下の基盤岩自体がかなりの高さを持っているために、見かけ上の標高が高くなっているものです。
例えば中禅寺湖の南側を縁取る山々は火山ではありませんが、標高が1800mを超えています。
産総研「シームレス地質図v2」によると、日光火山群の基盤岩は、最も下位にジュラ紀の付加体型地質(足尾帯)、続いて白亜紀の火山岩類や花崗岩、さらにその上に新第三紀 中新世の火山岩類、と少なくとも3つの層が積み重なっているようで、各火山の隙間にそれらの地層が認められます。
2)女峰山
女峰山(にょほうさん:2464m)は、前述のとおり日光火山群のうち最も活動歴が古い火山です。女峰火山の主な活動は、約50万年前後に生じ、現在の山体は主にその時期に形成されたと推定されています。
その後は浸食が進み、山頂部を含む稜線はかなり険しい山容となっています。
また約20−15万年前には大規模な山体崩壊が起きたと推定されており、日光市や今市市の付近には、その山体崩壊に関連した流れ山状地形が認められます(文献1−a)。
なお火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると安山岩質です。
その後は浸食が進み、山頂部を含む稜線はかなり険しい山容となっています。
また約20−15万年前には大規模な山体崩壊が起きたと推定されており、日光市や今市市の付近には、その山体崩壊に関連した流れ山状地形が認められます(文献1−a)。
なお火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると安山岩質です。
3)男体山
男体山(なんたいさん:2484m)は、中禅寺湖のほとりにそびえ、日光火山群を代表する山とも言えます。南側から見ると、富士山型のきれいな山容をしており成層火山の典型です。
男体山は活動開始時期が以外と新しく、約2万年前からと推定されています。溶岩流とスコリア質噴出を繰り返す噴火が続き、約1万年前までの約1万年間に、現在の山体が形成されています。
なお火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると玄武岩質です。
また活動の初期に流下した「華厳溶岩」(けごんようがん)と呼ばれる溶岩流が大谷川(だいやがわ)の流れをせき止めたため、中禅寺湖が形成されました。華厳の滝付近もこの時期の溶岩流で出来ています。
一方、男体山の西側には高層湿原である「戦場ヶ原」が広がっていますが、ここも男体山の活動(軽石を中心とした噴出物)によって川(湯川)が堰き止められて一時的に湖が形成され、その後、湿原化したものと推定されています(文献1−a)。
男体山は活動開始時期が以外と新しく、約2万年前からと推定されています。溶岩流とスコリア質噴出を繰り返す噴火が続き、約1万年前までの約1万年間に、現在の山体が形成されています。
なお火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると玄武岩質です。
また活動の初期に流下した「華厳溶岩」(けごんようがん)と呼ばれる溶岩流が大谷川(だいやがわ)の流れをせき止めたため、中禅寺湖が形成されました。華厳の滝付近もこの時期の溶岩流で出来ています。
一方、男体山の西側には高層湿原である「戦場ヶ原」が広がっていますが、ここも男体山の活動(軽石を中心とした噴出物)によって川(湯川)が堰き止められて一時的に湖が形成され、その後、湿原化したものと推定されています(文献1−a)。
4)日光白根山
日光白根山(2578m)は、日光火山群の中の最高峰です。山名は単に「白根山」や「奥白根山」とも呼ばれます。(この章では「日光白根山」という名称に統一します)
日光白根山は遠方から望むとかなり高く大きな山ですが、しかしその火山としての山体は以外と小さく、基盤地質の高まりの上に、比高 約300mの溶岩ドームが乗っかっている山です(文献1−a)。
産総研「シームレス地質図v2」によると、山頂に近い前白根山(2373m)付近あたりまで、新第三紀 中新世末から鮮新世(約7〜3Ma)に噴出した大規模火砕流堆積物で構成されています。
日光白根山は過去6000年間に少なくとも6回の中〜大規模な噴火活動が確認されており、活火山として認定されています。
最近では江戸時代(1649年)に中規模の水蒸気爆発型噴火、明治時代にも3回、水蒸気爆発と推定される噴火が起きています。その後も火山性微動が起こったりしており、活動的な火山です(文献2−a)。
火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩質とされていますが、(文献2−a)では、「安山岩質〜デイサイト質」とされています。
注)“Ma”は百万年前を意味する単位
日光白根山は遠方から望むとかなり高く大きな山ですが、しかしその火山としての山体は以外と小さく、基盤地質の高まりの上に、比高 約300mの溶岩ドームが乗っかっている山です(文献1−a)。
産総研「シームレス地質図v2」によると、山頂に近い前白根山(2373m)付近あたりまで、新第三紀 中新世末から鮮新世(約7〜3Ma)に噴出した大規模火砕流堆積物で構成されています。
日光白根山は過去6000年間に少なくとも6回の中〜大規模な噴火活動が確認されており、活火山として認定されています。
最近では江戸時代(1649年)に中規模の水蒸気爆発型噴火、明治時代にも3回、水蒸気爆発と推定される噴火が起きています。その後も火山性微動が起こったりしており、活動的な火山です(文献2−a)。
火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩質とされていますが、(文献2−a)では、「安山岩質〜デイサイト質」とされています。
注)“Ma”は百万年前を意味する単位
5)日光の溶岩ドーム群
日光火山群の中では、比較的新しい溶岩ドームでできた山がいくつか認められます。
例えば、大真名子山(おおまなこやま:2376m)、小真名子山(こまなこやま:2323m)、太郎山(たろうやま:2368m)などです。これらの溶岩ドーム型の山々は、男体山と女峰山との間に密集しています。
これらの溶岩ドームの詳しい形成時期は不明ですが、約10〜5万年前頃と推定されています(文献1−a)。
火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、デイサイト〜流紋岩質です。
例えば、大真名子山(おおまなこやま:2376m)、小真名子山(こまなこやま:2323m)、太郎山(たろうやま:2368m)などです。これらの溶岩ドーム型の山々は、男体山と女峰山との間に密集しています。
これらの溶岩ドームの詳しい形成時期は不明ですが、約10〜5万年前頃と推定されています(文献1−a)。
火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、デイサイト〜流紋岩質です。
6)奥鬼怒地域の第四紀火山
日光火山群の北側は、鬼怒川の上流部となっており、温泉が多いことから「奥鬼怒温泉郷」とも呼ばれ、秘湯が多いことで知られています。
またこの一帯は、山のエッセイスト「辻まこと」氏が好んで歩いた地域でもあります。
ここではこの一帯を「奥鬼怒地域」と呼ぶこととし、この一帯に点在する第四紀火山について、この節で説明します。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この一帯の地質は基本的には、新第三紀 中新世末期(メッシニアン期)から鮮新世(約7〜3Ma)に活動した火山岩で出来ています。
しかしその上に乗るような形で、第四紀火山の火山岩が点在しています。
具体的には、根名草山(2330m)、於呂くら羅山(おろくらやま:2021m)、鬼怒沼(火山性台地)が、第四紀火山岩で形成されています。
時代的には第四紀のチバニアン期(約13―77万年前)のものが殆どで、女峰山の活動時期と重なるようです。
またこの一帯は、山のエッセイスト「辻まこと」氏が好んで歩いた地域でもあります。
ここではこの一帯を「奥鬼怒地域」と呼ぶこととし、この一帯に点在する第四紀火山について、この節で説明します。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この一帯の地質は基本的には、新第三紀 中新世末期(メッシニアン期)から鮮新世(約7〜3Ma)に活動した火山岩で出来ています。
しかしその上に乗るような形で、第四紀火山の火山岩が点在しています。
具体的には、根名草山(2330m)、於呂くら羅山(おろくらやま:2021m)、鬼怒沼(火山性台地)が、第四紀火山岩で形成されています。
時代的には第四紀のチバニアン期(約13―77万年前)のものが殆どで、女峰山の活動時期と重なるようです。
7)燧ヶ岳(尾瀬)とその周辺
日光火山群の日光白根山から北へ約20km離れていますが、この章で、尾瀬の燧ケ岳(ひうちがたけ:2356m)やその周辺の説明も行います。
7−a)燧ヶ岳
尾瀬湿原や尾瀬沼で有名な尾瀬の景観を引き締めているのは、西の至仏山と東の燧ヶ岳です。このうち至仏山は、地下深くにあったマントル由来のカンラン岩が変質した蛇紋岩体でできています。
一方、燧ヶ岳は見た目でも明らかなように、地質学的には比較的新しくできた火山であり、(文献2−b)では活火山として認定されています。また火山としての活動史は、(文献3)が良くまとまっていますので、以下、(文献3)をベースに説明します。
文献3)によると、燧ヶ岳火山で確認されている最古の活動は、およそ35万年前に遡ります。この時期、大規模火砕流が発生し、桧枝岐村付近に溶結凝灰岩台地を形成しています。この火砕流は「モーカケ火砕流」という名称がついています。
このモーカケ火砕流の噴出以前、尾瀬ヶ原を流れるヨッピ川は、只見川側ではなく、桧枝岐側に流れていたと推定されていますが、この火砕流によって流路が変わり、只見川水系になったと考えられます。
「モーカケ火砕流堆積物」の直下には軽石層があり「七入(なないり)軽石層」という名前がついています。これも燧ヶ岳火山からの噴出物だと推定されています。
次の活動の痕跡は、燧ケ岳の山腹にある溶岩流(最大厚さ=約40m)の痕跡より、10−15万年前に生じたと推定されています。
次に、約1.9万年前にも主に現在の山体の北東部の山腹で火山活動が生じ、溶岩流や火砕流が発生したと推定されています。また、現在の山頂の一つ、柴安ぐら(しばやすぐら)は溶岩ドームですが、この頃に形成したと推定されています。
約8000年前には、現在の山頂となっている柴安ぐら(しばやすぐら)と、俎ぐら(まないたぐら)との間の部分で岩屑なだれ(沼尻岩屑なだれ)が生じ、ナデッ窪(なでっくぼ)と呼ばれる谷状地形を作るとともに、現在の尾瀬沼の西側へと到達して現在の沼尻川を封鎖して、尾瀬沼が作られることになりました。
沼尻付近にはこの岩屑なだれに伴う流れ山上の地形が確認されています。なお、この岩屑なだれが火山性かどうかは不明です。
その後、赤ナグレ溶岩と呼ばれる溶岩流が流下する活動が起こり、ナデッ窪の一部はこの溶岩流で覆われています。
歴史時代の活動としては、16世紀に火山活動が起こり、この際に頂上部に「御池岳溶岩ドーム」が形成されました。その際(1544年)に小規模な爆発と泥流が生じたことが、文献に残っているそうです。
なお燧ヶ岳火山の岩質は(文献2−b)によると「安山岩―デイサイト質」です。一方、産総研「シームレス地質図v2」によると、「安山岩、玄武岩質安山岩」とされています。
7−b)尾瀬周辺の火山性地質
産総研「シームレス地質図v2」によると、尾瀬沼の南側の高まりで、「アヤメ平」などがある一帯は、第四紀 カラブリアン期(約78―約180万年前)に噴出した火山岩類で形成されています。
現在は比較的平坦な地形となっていますが、上記地質図を見ると、アヤメ平の南あたり(白尾山:2003m、荷鞍山:2024m)を中心とした円形状の火山岩の分布が見られ、その付近に火山中心があったことを伺わせます。また尾瀬地域の入り口の一つ、鳩待峠付近とその東側も同じ地質です。
専門書や文献類ではこの地域についての解説はありませんが、第四紀の中期からこの一帯は火山活動が盛んだったことを伺わせます。
7−a)燧ヶ岳
尾瀬湿原や尾瀬沼で有名な尾瀬の景観を引き締めているのは、西の至仏山と東の燧ヶ岳です。このうち至仏山は、地下深くにあったマントル由来のカンラン岩が変質した蛇紋岩体でできています。
一方、燧ヶ岳は見た目でも明らかなように、地質学的には比較的新しくできた火山であり、(文献2−b)では活火山として認定されています。また火山としての活動史は、(文献3)が良くまとまっていますので、以下、(文献3)をベースに説明します。
文献3)によると、燧ヶ岳火山で確認されている最古の活動は、およそ35万年前に遡ります。この時期、大規模火砕流が発生し、桧枝岐村付近に溶結凝灰岩台地を形成しています。この火砕流は「モーカケ火砕流」という名称がついています。
このモーカケ火砕流の噴出以前、尾瀬ヶ原を流れるヨッピ川は、只見川側ではなく、桧枝岐側に流れていたと推定されていますが、この火砕流によって流路が変わり、只見川水系になったと考えられます。
「モーカケ火砕流堆積物」の直下には軽石層があり「七入(なないり)軽石層」という名前がついています。これも燧ヶ岳火山からの噴出物だと推定されています。
次の活動の痕跡は、燧ケ岳の山腹にある溶岩流(最大厚さ=約40m)の痕跡より、10−15万年前に生じたと推定されています。
次に、約1.9万年前にも主に現在の山体の北東部の山腹で火山活動が生じ、溶岩流や火砕流が発生したと推定されています。また、現在の山頂の一つ、柴安ぐら(しばやすぐら)は溶岩ドームですが、この頃に形成したと推定されています。
約8000年前には、現在の山頂となっている柴安ぐら(しばやすぐら)と、俎ぐら(まないたぐら)との間の部分で岩屑なだれ(沼尻岩屑なだれ)が生じ、ナデッ窪(なでっくぼ)と呼ばれる谷状地形を作るとともに、現在の尾瀬沼の西側へと到達して現在の沼尻川を封鎖して、尾瀬沼が作られることになりました。
沼尻付近にはこの岩屑なだれに伴う流れ山上の地形が確認されています。なお、この岩屑なだれが火山性かどうかは不明です。
その後、赤ナグレ溶岩と呼ばれる溶岩流が流下する活動が起こり、ナデッ窪の一部はこの溶岩流で覆われています。
歴史時代の活動としては、16世紀に火山活動が起こり、この際に頂上部に「御池岳溶岩ドーム」が形成されました。その際(1544年)に小規模な爆発と泥流が生じたことが、文献に残っているそうです。
なお燧ヶ岳火山の岩質は(文献2−b)によると「安山岩―デイサイト質」です。一方、産総研「シームレス地質図v2」によると、「安山岩、玄武岩質安山岩」とされています。
7−b)尾瀬周辺の火山性地質
産総研「シームレス地質図v2」によると、尾瀬沼の南側の高まりで、「アヤメ平」などがある一帯は、第四紀 カラブリアン期(約78―約180万年前)に噴出した火山岩類で形成されています。
現在は比較的平坦な地形となっていますが、上記地質図を見ると、アヤメ平の南あたり(白尾山:2003m、荷鞍山:2024m)を中心とした円形状の火山岩の分布が見られ、その付近に火山中心があったことを伺わせます。また尾瀬地域の入り口の一つ、鳩待峠付近とその東側も同じ地質です。
専門書や文献類ではこの地域についての解説はありませんが、第四紀の中期からこの一帯は火山活動が盛んだったことを伺わせます。
8)上州武尊山(じょうしゅうほたかやま)
群馬県にある上州武尊山(2158m)は、赤城山の北側、日光火山群の西側に位置し、遠くからはあまり目立つ山ではありませんが、標高は2000mを超える大きな山体で、百名山にも選ばれています。
本来は武尊山(ほたかやま)という山名ですが、北アルプスの穂高連峰と間違えられやすいので、登山界では「上州武尊山」と呼ばれています。
この山も日光火山群などと同様、第四紀火山ではありますが、古い火山のためか、その地質や形成史に関しては手持ちの専門書に記載がありませんでした。しかし調べたところ、(文献4)に多少説明がありましたので、以下、(文献4)に基づき説明します。
上州武尊山は火山としての活動は正確には解っていませんが、100万年以上前に起こったと推定されており、その後、火山活動は停止しています。
この山の中心部はいくつかの峰で構成されていますが、沖武尊(おきほたか)、剣が峰、中武尊といったピークは円形状に並んでおり、この内側には南に開いた約2kmの馬蹄形の地形が認められます。これはおそらくカルデラ火口の跡だと推定されています。
上州武尊山の火山活動は、溶岩流、火砕流、火山灰噴出などで、それらによって成層火山として成長したと推定されています。
例えば至仏山などの近辺の山から望むと、武尊山の山腹には、多数の溶岩層でできた層状構造を、目視で見ることができます。
また、産総研「シームレス地質図v2」によると、前述の尾瀬 アヤメ平付近の火山活動時期と、この上州武尊山の火山活動時期は、同じ、第四紀 カラブリアン期(約78−約180万年前)ということで、同じ頃に活動した火山群だと思われます。
なお火山岩の岩質としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、「安山岩、玄武岩質安山岩」とされています。
本来は武尊山(ほたかやま)という山名ですが、北アルプスの穂高連峰と間違えられやすいので、登山界では「上州武尊山」と呼ばれています。
この山も日光火山群などと同様、第四紀火山ではありますが、古い火山のためか、その地質や形成史に関しては手持ちの専門書に記載がありませんでした。しかし調べたところ、(文献4)に多少説明がありましたので、以下、(文献4)に基づき説明します。
上州武尊山は火山としての活動は正確には解っていませんが、100万年以上前に起こったと推定されており、その後、火山活動は停止しています。
この山の中心部はいくつかの峰で構成されていますが、沖武尊(おきほたか)、剣が峰、中武尊といったピークは円形状に並んでおり、この内側には南に開いた約2kmの馬蹄形の地形が認められます。これはおそらくカルデラ火口の跡だと推定されています。
上州武尊山の火山活動は、溶岩流、火砕流、火山灰噴出などで、それらによって成層火山として成長したと推定されています。
例えば至仏山などの近辺の山から望むと、武尊山の山腹には、多数の溶岩層でできた層状構造を、目視で見ることができます。
また、産総研「シームレス地質図v2」によると、前述の尾瀬 アヤメ平付近の火山活動時期と、この上州武尊山の火山活動時期は、同じ、第四紀 カラブリアン期(約78−約180万年前)ということで、同じ頃に活動した火山群だと思われます。
なお火山岩の岩質としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、「安山岩、玄武岩質安山岩」とされています。
(参考文献)
文献1)貝塚、小池、遠藤、山崎、鈴木 編
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」 東京大学出版会 刊 (2000)
文献1−a)
文献1)の、2−2章「関東北部の火山群」のうち、
2−2−(3)節 「日光火山群」の項
文献2)気象庁ホームページのうち、「日本活火山総覧(第4版) Web掲載版」
の各項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献2−a)
文献2)のうち、「No.41 日光白根山」の項
文献2−b)
文献2)のうち、「No.38 燧ヶ岳」の項
文献3) 早川、新井、北爪
「燧ヶ岳火山の噴火史」 地学雑誌 第106巻 p660−664(1997)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/106/5/106_5_660/_pdf
文献4) 産総研 地質調査総合センターのサイトの、
「地質で語る百名山」シリーズのうち、 「武尊山」の項
「GSJ地質ニュース」 第4巻 p241-242 (2015)
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol4.no8_241-242.pdf
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」 東京大学出版会 刊 (2000)
文献1−a)
文献1)の、2−2章「関東北部の火山群」のうち、
2−2−(3)節 「日光火山群」の項
文献2)気象庁ホームページのうち、「日本活火山総覧(第4版) Web掲載版」
の各項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献2−a)
文献2)のうち、「No.41 日光白根山」の項
文献2−b)
文献2)のうち、「No.38 燧ヶ岳」の項
文献3) 早川、新井、北爪
「燧ヶ岳火山の噴火史」 地学雑誌 第106巻 p660−664(1997)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/106/5/106_5_660/_pdf
文献4) 産総研 地質調査総合センターのサイトの、
「地質で語る百名山」シリーズのうち、 「武尊山」の項
「GSJ地質ニュース」 第4巻 p241-242 (2015)
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol4.no8_241-242.pdf
第9部の最初の章で、ここに第9部の各章へのリンクあり
【書記事項】
初版リリース;2021年10月24日
△改訂1;内容確認(誤字修正)、書記事項追記
△最新改訂年月日;2021年12月25日
△改訂1;内容確認(誤字修正)、書記事項追記
△最新改訂年月日;2021年12月25日
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
ベルクハイルさんの記事一覧
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質;7−9章 奥羽山脈(3)奥羽山脈の非火山の山々、及び奥羽山脈の隆起について 8 更新日:2024年01月27日
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 18 更新日:2023年03月18日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する