静岡出の一等工女・今井おけいちゃんを追って チャリレコ★松井田ー碓氷製糸ー富岡市立図書館


- GPS
- --:--
- 距離
- 62.9km
- 登り
- 344m
- 下り
- 540m
コースタイム
今井おけいちゃんは、明治6年に静岡から富岡製糸場に入場し一等工女に昇格しました。長野松代出身の横田英(富岡日記の著者・同じく一等工女に昇格)の親友である。
----------------富岡日記(横田英著)より抜粋--------------------
・糸揚げと迷信(明治6年)
私も明釜へ参ってしめして居りますと、その次の釜に静岡県の人で旧旗本の今井おけいさんと申す人が居られまして、「あなたは毎日何を言っておいでなさるのです」と申されましたが、人に申すべきことでありませんから私は笑って居りましたが、(中略)「実は糸が切れて切れて困りますから、大神宮様を信心して居るのであります」と申しましたら、非常に気の毒がって下さいまして、「私が切れぬように骨を折ってとって上げるから揚げて下さい」と仰せになりまして、とって下さいました。
・一等工女
私は西の二切目の北側に番が極まりまして、参って見ますと、私の左釜が前に申述べました静岡県の今井おけいさんでありましたから、私の喜びは一通りではありません。また今井さんも非常に喜んで下さいました。その日から出るも帰るも手を引合いまして、姉妹も及ばぬほど睦しく致して居りました。
・桝数
一等工女の日々繰ります桝数は四升五升位がその頃通例でありました。私もその位ずつとりました。今井おけいさんは中々桝数が上りまして六升位おとりになりましたから、私も一生懸命になりまして、追々六升位とれますようになりました。
(中略)私共台の受持書生深井さんが、今井さんと私の間の前に立って見て居られましたが、やがてこのように申されました。「今井おけいさんも横田お英さんも、向う台の小田切せんは八升とりました。お前さん方も八升とったらどうです」 と申されましたが、両人口を揃えまして、「中々私共が八升なんてとれません」と申しましたら、 深井さんは何とも申さず行っておしまいになりました。そこで私が今井さんにこのように申しま した。「おけいさん、おせんさんが八升おとりになりましたとて皆大騒ぎをしておいでになりますが、私共とて同じ繭で同じ蒸気、一生懸命になったらとれぬこともありますまい。明日からやって見ましょうではありませぬか」と申しますと、今井さんも至極そうだと申されまして、いよいよ明朝からと申す約束を致しました。
・白桃の枝と暇乞い(明治7年)
一同退場致します時に、銘々これまで心安く致しました人々の部屋へ暇乞いに参りました。皆別れを惜しみまして、互に涙でろくろく言葉も出ぬほどでありましたが、残る人々は別して故郷へ帰ります私共を見まして実に羨ましく思って居られました。わけて静岡県の今井おけいさんは、 私が帰ると申しました時から涙ばかりこぼして居られましたが、いよいよ退場の時、出口の所へ後から駆出しておいでになりまして、桃の小枝を持っておいでになりまして、私の髪へ挿さして下さいまして、「これは白桃の枝だから、これを挿して居れば暑気に当らぬ呪禁まじないだから、道中挿して行って下さい」と涙ながらに申されまして、後をも見ずにお顔にお袖を当てて御自分のお部屋の方へ駆けて行かれました。私もその時の悲しさは今でも忘れません。そのやさしき親切なる御心立てを折々思い出して懐かしく思います。春ごとに白桃の花を見ますと、何となくその人にお目に懸かるよう思われまして、白桃を愛して居ます。
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引用が長くなりましたが、明治英ちゃんと今井おけいちゃん(実際には”今井けい”か?)の明治6-7年の富岡製糸場での生き生きとした活写です。
富岡帰りの横田英は長野市松代町西条に建設された日本初の民営器械製糸場・六工社の創業に参画・また製糸技術のリーダーとして教授として指導的な役割を果たしました。
対して、今井おけいちゃんのその後(富岡退場後)については今現在私は知り得ていませんし、こうしたレアな情報はネットには転がっていません。
ふるさと静岡のいづこの製糸場で技術指導に当たったのでしょうか?
行き:JR東・信越本線西松井田駅まで輪行
8:30西松井田(県48・県199)ー8:45碓氷製糸場9:10ー9:30松井田町図書館10:30−11:00富岡市宮崎公園 旧茂木住宅12:00ー貫前神社(国254)ー12:30 7イレブン富岡店12:45ー富岡製糸場ー13:30富岡町図書館14:30(県10・国18・碓氷川CR)−15:30JR高崎駅
帰り:JR東・高崎線高崎駅から輪行
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
帰り:JR東・高崎線高崎駅から輪行 全線自転車を使用 |
写真
装備
個人装備 |
ロードレーサー+LOOKペダル(歩けない自転車靴)
|
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感想
今日の目的は気の向くまま”シルクカントリー群馬”の散策(サイクリング)と、富岡製糸場のビックネーム”お英ちゃん”の大親友で静岡出の一等工女・今井おけいちゃんの追跡です。
■西松井田駅から碓氷製糸場へ
予定では松井田駅から養蚕地帯へ、、と考えていたが、そういえばこの辺りに製糸工場があると読んだことを思い出します。
プリンス自動車(日産の前進)製の自動製糸機R40(うろ覚え)が稼働している、今でも”生きている”製糸工場。 ・・いがねばw
■突っつけばヤブ蛇ならぬお蚕出まくり
丘陵地帯で”お蚕”と尋ねれば、何らかの異常反応があるのが群馬だww
この辺りお蚕してましたか??
→群馬では典型的な愚問です
余りに強い反応があるので、群馬(長野も)に限っては、この手の質問は馬鹿らしくなった自分がいます (;'∀')
西松井田駅にて
おいら:この辺りにある碓氷製糸っていう糸を作る工場知りませんか?
中年女性:そこを曲がって鉄塔の先を降って・・
おいら:お詳しいですね
中年女性:働いてましたから
おいら:(・・絶句)
工女さんですか!!あなたはお蚕神です(;'∀')
中年女性:なにいってんだよ(爆) そんな人は一杯いるよ(笑)
”今でも”ここ群馬は、蚕種(卵屋)、養蚕、製糸、さらに染色・織り・裁縫という一連の流れが稼働していて、またそれぞれの分野で流通経路開削・交通・建築・外国への技術提供、生物学・遺伝学、またお蚕のご飯である桑の研究も盛んに行われている、”いまも”稼働しているシルクカントリーなのだ。
こんな群馬で役立つことは、自身の探求経験で、特に戦後に終わった伊豆のシルク産業だ。松崎を除き明治中期から戦後まで”儲かるバイト感覚?”だったので廃れるのも早く、痕跡探しにやたら苦労した地域。
※明治伊豆製糸場のキーワード
・松崎:松崎製糸場・明治7年〜昭和初期。蒸気エンジン稼働、早繭市場、牛原山の桑畑、明治5年依田家等7人娘富岡で伝習
・韮山:韮山製糸場・明治初期。韮山反射炉の隣接地、稲村家
・由比:望月製糸場・明治中期。蒸気エンジン製糸、望月家
・浜松:訪問していないが明治初期に幾つかの製糸場が存在(開場から3年ほどで閉鎖)、富岡帰りの伝習工女あり
そして静岡の人は製糸業や富岡での伝習を殆ど記録に残していない。。
こんな苦戦地域の現場で経験を積んだ後だけに、、
群馬はシルクが生きているわけだから現在進行形であり、回顧(蚕)に詠嘆(えいたん)をしている場合ではないww
さすがシルクカントリー群馬でありますね(;'∀')
■守る製糸の灯 −碓氷製糸場ー
日本の本格製糸場は今や岡谷・酒田・安中の三工場
1878年(明治11)5月に安中(あんなか)市の豪農萩原鐐太郎が碓氷座繰製糸社として設立した。模範工場の富岡製糸場が取り入れた蒸気エンジン製糸ではなく、グンマ昔ながらの座繰り製糸中心だった。(蒸気エンジン=長野県が積極的に採用)
工場敷地内の石碑によると松井田の工場は大正5年に建立されたとのこと。
※なお製糸場近くに河があるのはお約束。
さて初訪問の碓氷製糸場、残念ながら日曜は非稼働ですが生きている工場なので、当然と言えなくもない。その代わり少々付近を散策することが出来まして、あれやこれやと発見がありましたね(詳細は写真のコメント)
※団体のみ見学可能・個人は不可だそうです。
移転や経営形態は変わっても今でも製糸を続けているこの碓氷製糸場はシルク業界の常夜灯のような存在です。
■富岡への道すがら、尾高工業と旧茂木住宅へ
富岡市に入るとグンマちゃんを凌ぐ”お富ちゃんキャラ”が多数出現!! なんら関係のない”売地”とか”工事中”にも登場する始末(;'∀')
そんな中、電柱広告に”お富ちゃんイラスト+尾高工業”
▼”お富ちゃんイラスト+尾高工業”
これは気が付くまで10秒かかって引き返した(;'∀')
お富ちゃん=富岡製糸場の萌え?キャラ(モデルは英ちゃん)
↓
尾高工業??尾高?=富岡製糸場の初代工場長・尾高淳忠(おだかじゅんちゅう)!?
↓
▼尾高工業は尾高淳忠の子孫か!?
駐車場に尾高工業の社員さん(実は休日出勤の社長)がいらっしゃったのでお伺い
おいら:こんにちは。電柱の広告を見てお伺いしたのですが
社長:はい
おいら:お富ちゃんのイラスト入りですけど、尾高工業さんは富岡製糸初代工場長の尾高淳忠さんと関連が??
社長:淳忠さんとは関連ないよ(苦笑 ※淳忠さんに即反応するところが凄いw
おいら:残ねーんw
−自転車談義と養蚕談義ながなが続く
社長:ここらは養蚕が盛んで俺も手伝わされたんだよ。ここらは全て桑畑だったんだ。回転蔟?懐かしいこと言うね。今でも(養蚕を)やっている家はあるよ
▼旧茂木住宅の案内板
茂木と言えば横浜で大儲けし横浜線(明治41年)の開業に大いに係った人物=茂木惣兵衛か!!
これも看板を10秒行き過ぎ、引き出しに引っかかったが、残念ながら別系統であった。旧茂木住宅学芸員・平野氏と昼まで30分交歓
■おけいちゃんを訪ねて −富岡市立図書館ー
郷土史豊富w 松井田図書館でも思ったが群馬県人は資料記録を残すのが好きなのか?宜しいことだ。
英ちゃんの富岡工場での親友、静岡出の一等工女・今井おけいちゃんの足跡をたどる。富岡製糸場史には県別の入場工女の記録項目があったのですが、明治初期の静岡には松崎、韮山、浜松(三工場)製糸場があったが、松崎以外は記録がなさすぎる。
官営富岡製糸所工女史料(昭和54年1979年たかせとよじ著)という工女を追った本でも静岡は記録が少ないので不発と記してある始末(;'∀')
しかも明治初期の静岡の製糸場は原料繭の不足から松崎を除き3年ほどで廃業してしまったという。
平成26年”富岡製糸場と絹産業遺産群”の世界遺産登録の35年前にこのような初期工女追跡本が発行されていたのは驚きだが、結局のところ”今井おけいちゃん”は追いきれなかった。
明治6年・英ちゃん富岡退場後に郵便手紙(明治6年一般化)のやり取りがあったことは想像できるが、英ちゃんの富岡後記(六工社編)におけいちゃんの記述は出てこないので、何かの事情で敢えて後記に書き留めなかったのだろうか?
なお開けぬ時代であったから、今ではつまらぬ病気が原因で富岡女子寮で亡くなった若い工女さんも多くあったが、おけいちゃんの名がその名簿に見えなかったことは、なんとなくの救いであった。
-----------------富岡日記(横田英著)--------------
お花見
三月末頃でありました。製糸場一同(工男は参らず)は一ノ宮へお花見に参りました。役人方、取締一同、賄方中々盛んなことでありました。尾高様をはじめその他(工女は申すまでもなく)おいでになりました。その前日北海道から工女が両名入場致しました。その人も参りまして、その工女を送っておいでになりました役人もおいでになりました。ラッコの皮の外套を着て居られました。私共はその役人も工女も皆アイヌ人種かと思って居りました。後から考えますと決して左様ではありませぬ。工女ばかりも五六百名、その他の人で七百名余も居りました。
その日は三味線もありまして、工女の内でひきます人も中には本手に踊ります人もありまして、実に面白いことであり京した。工女も皆十二三より二十五六歳位までの者が揃って、ふだん日なたに出ず毎日湯気に蒸されて居ますから、髪の艶つや顔の色実に美しいことで、とても市中の婦人と場内の人では一つになりませぬ。入湯も一日も欠かしませず、身嗜みだしなみも宜しゅう御座いますから、別品さんが沢山居られました。女の目で見ましてさえ十二分の楽しみ気晴しを致しまして、夕方 一同帰場致しました。このようなことは毎年あります。前年は小幡城跡へ参りましたが、このように盛んではありませぬ。芝居にも折節一同参ることがありますが、その日は小屋残らず場内の人ばかり他の人は一人も入れませぬ。
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工女らの笑顔まぶたに桃の花 ほの香
春眠や里に流るる鐘の音 ほの香
富岡のあの岡越えて花盛り ほの香
五千年長く短き͡蚕の眠り ほの香
鳥雲に積荷の脇の蚕霊碑 ほの香
掃立や尾高渋沢原三渓 ほの香
尋ねれば花満開と元工女 ほの香
立ち入れば桑それぞれの芽吹きかな ほの香
たがやせる台地に鳴くや雉一羽 ほの香
富岡の経緯を手繰る四月哉 ほの香
※蚕の眠り(このねむり)春、蚕霊碑(さんれいひ)
■スペシャルサンクス
碓氷製糸株式会社
http://www.usuiseishi.co.jp/
(有)尾高工業
http://www.tomiokacci.or.jp/odakakougyou.htm
■関連リンク
静岡出の一等工女・今井おけいちゃんへの道へ チャリレコ★函南ー三津坂隧道ー戸田ー土肥(養蚕古集落)ー松崎(旧早繭市場)ー稲梓 2019年03月24日(日)
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由比に蒸気エンジン製糸場とかマジですか?? チャリレコ ★国道1号線旧道区間 (蒲原ー由比ー興津)2019年03月17日(日)
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