19990501-03会津朝日〜会津駒、テント泊
- GPS
- 56:00
- 距離
- 38.8km
- 登り
- 3,530m
- 下り
- 3,128m
コースタイム
- 山行
- 6:52
- 休憩
- 2:30
- 合計
- 9:22
- 山行
- 10:13
- 休憩
- 3:03
- 合計
- 13:16
- 山行
- 7:42
- 休憩
- 2:32
- 合計
- 10:14
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
新大阪1757→ひかり254→2056東京2112→あさひ339→2248浦佐2257→タクシー\3320→2310小出(駅泊) 19990501(土) 小出538→716只見735→タクシー\4350→754いわなの里・会津朝日岳登山口 19990504(火) 桧枝岐役場前1640→バス\1710→1800会津高原1800→1839\2360北千住2153→22??日暮里2221→22??東京2300→銀河→713新大阪 |
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感想
1999年のGWは大阪から遠路遥々と南会津の名峰、会津朝日岳から会津駒ヶ岳まで歩いてきました。きつかったですが、うまく好天に恵まれ、残雪期の山歩きをまさに満喫することができました。以下、簡単にUpいたします。
4月30日
夕方、大阪を出発、新幹線を乗り継ぎ、浦佐から小出までタクシーを飛ばす(\3320)。 大宮から乗り込んできた4人パーティも同様に小出駅泊まり。駅員に交渉してくれて待合い室で眠ることができた(^_^)。このパーティも朝日から三岩まで縦走するようであった。
5月1日(土)
快晴!只見線の始発列車で只見に行き、予約していたタクシーで赤倉沢沿いのいわなの里の登山口に到着。タクシーの運転手によると今年は残雪は多めとのことだった。自家用車が2台駐車してあった。
4人組より先に出発、最初から右岸の雪の上を歩くところがある。川を渡り左岸の林道を歩き、荒禿沢出合で分岐を左に行き沢を渡って更に右岸沿いの登山道を行く。この辺りで山菜採りらしき人達とすれ違った。徐々に高度を上げ残雪が増してくる。標高800m弱の二俣では水流は雪にほぼ覆われていた。
傾斜が増し、沢から尾根にルートは移り、急登が続き苦しい。日差しも強く、途中木陰で休憩。背後に御神楽岳、飯豊方面が見えてきていた。ようやく尾根に登り着き、右折すると先行パーティが見えた。男女三人組の彼等がいる所には「人見の松」の道標。初心者連れなのでここで引き返すとのことだった。
更に一登りでピークに出、その次のピークがようやく叶ノ高手。朝日岳が厳つく見える。鞍部に下り少し登って次のピークはトラバースしたが、急斜面で尾根伝いのトレールを行った方が楽だったかもしれない。再び尾根に戻り鞍部から少しの登りで右側に青い屋根の熊ノ平避難小屋。ここで大休止。水場は確認せず。ノートに証拠を残しておく。
ここから樹林の尾根を一登りで小幽沢カッチ、そこから上部は雪の大斜面、踏み跡がほぼ一直線に付いている。一歩一歩進み、登り着いた所が頂上稜線。ここにザックを置き、すぐそこの朝日岳頂上をピストン。最高点は岩礫のピーク、すこぶる展望が良いが何の標識も無い。飯豊、粟ヶ岳方面、守門岳、浅草岳、毛猛山、未丈ヶ岳、越後駒、中ノ岳、荒沢岳、平ヶ岳、至仏山、燧岳、丸山岳へ延々連なる稜線、その奥に会津駒から三岩岳へのたおやかな稜線が遥か遠くに霞みながらも見えている。その左方に霞むのは帝釈山脈方面か?東方は重々たる南会津の山並み、でも残念ながら私には山名がわからない。三角点は更に北西に進んだ所にあり展望板、残雪がある。記念写真をパチパチ撮り、元の場所に戻りいよいよ縦走開始。
まず南東方の尖った1610mPを目指す。踏み跡はあるが薮がうるさい。目指す鋸歯の稜線上には残雪はなく、先の薮が思いやられた。1610mPから右折して急降下して行くが、思いの外、道が付いており通常の道と変わらない感じで下っていく。途中手元の高度計で1570mのちょっとしたピークに今日入山し、明日丸山岳を往復するという単独行の男性が幕営していて、そこで休憩。
その先徐々に薮がうるさくなり、ペースがどんどん落ちる。三岩岳から来たという学生の5人パーティとその先ですれ違い、情報交換。心配していた丸山岳より先は残雪が豊富で薮漕ぎは無いとのことだった(^_^)。 更に薮の道を進むと樹林の中に幕営適地の小平地があり休憩。ただ残念ながらこの時期では付近に残雪はなくすぐに水は得られそうになかった。更に薮を進み、1451mP付近でようやく残雪に出てしばらくは薮から解放された。
大幽朝日岳への急登手前の約1440m付近の東側はちょっとした雪原となっており幕営の跡もあり、ここで行動を止めようかとも思ったが今晩は風も強くなりそうになかったので大幽朝日岳まで頑張ることとした。
急な雪面を登り、最後は薮の中の道に入ってしばらくの急登でほぼ遮るものの無い大幽朝日岳頂上。三角点周囲の地面は出ておりわずかな平地にどうにかテントを設営。南東側には残雪が残っている。明日の下行路を確認し夕食を採って就寝。
5月2日(日)
今日も快晴、しかし、昨日より空気が靄っている感じ。雲からの御来光を見て5時過ぎに出発。踏み跡はすぐに薮に覆われ、朝一番というのにペースが全然上がらない(;。;)。 最初の約1430mPの先から稜線の右側に踏み跡を見つけるが、途切れがちでやはり結構時間がかかる。155SmPへの登り初めの約1430m鞍部でようやく雪面に出て薮から離れる。しばらくは快適な雪の尾根の登行となる(^_^)。 しかし1736mPへの登りになると雪庇は切れがちになり、またもやペースダウン。この時期、融雪が速いので先行者の踏み跡通りには進めない所もある。1736mPまで来るとあとは緩い尾根の登りが丸山岳まで続いているが、雲が増えてきて、丸山岳が霞んできた。1736mPからしばらく行った所で休憩していると、昨日会った丸山岳ピストンの単独行男性が追いついて来た、凄いスピード、というよりは私のペースがのろいということか(^^ゞ。 一登りで村界尾根に登りつき、南側の展望が開ける。また、天気は回復してきたようで青空が増えてきた。ちょっとした鞍部から登り返したなだらかな雪のピークが丸山岳\(^_^)/。 春霞とはいえ、360°の展望。三岩・会津駒が大分近づいたがまだまだ遠い。振り返ると会津朝日からの薮っぽい稜線が連なっている。丸山岳北東尾根とも言うべき尾根の上部は快適そうな雪の緩い尾根に見えた。先行していた男性に記念写真を撮ってもらい、しばらく休憩。視界が無ければこのあたり、迷ってしまいそうな雪原である。でも先は長い。
快晴の中、縦走再開、なだらかなピークを越し、鞍部に向けて下る。途中薮が少し出ているが概ね快適な残雪の稜線。ちょっとしたピークを二つ越え登り返した1723mPで尾根が分岐する。右折し薮の出た稜線を右に避け、梵天岳の前衛峰はかろうじて左側の雪庇で巻き、稜線の分岐である1765mPに到着。視界が無ければこの下降点も難しいだろう。ここにザックを置き、すぐそこの梵天岳を往復。丸山岳の南面が眼前である。
1765mPに戻り、鞍部に向けて一気の下り。快適な残雪の尾根を登り返し、ダラダラ登りが尽きた所が高幽山山頂。ここでも大休止。ここからしばらくは緩い尾根の下りが続き、1692mPを越えてから一気に約1470m鞍部まで下降、この下りはほぼ雪面を辿れた。一つ小ピークを越え、鞍部付近の薮が出ている手前で休憩。ここから1712mPへの登りは雪庇が崩れ駆けているが、結構行ってみたら雪面を辿ることができ、薮に悩まされることはあまりなかった。1712mPへ登り着き少し下った鞍部で大休止。
次のピークは北側を巻き、雪庇のうねる尾根に戻るりしばらく行くと、1754mP、眼前にギャップを隔てて今日最後のピーク坪入山が聳える。鞍部まで雪の尾根を一気に下るり、登り返すが疲れた体にはしんどい。一ヶ所雪面が切れ、薮をこぐがあとしばらくの急登でやっとのこと樹林の多い坪入山山頂到着。
西面は樹林で展望が利かないが、今まで見えなかった東面への展望が開ける。今まで付いていた踏み跡は北側に向かっていた。黄昏迫る山頂でしばし休憩の後、私は南東へ尾根を下っていく。尾根が広がり平たくなった約1680m付近の樹間を今日のテントサイトとし、設営した。この日の夜も雲が多くなってきたとはいえ風は弱くラッキーであった。
5月3日(月)
朝少し寝過ごし、雲から昇る御来光を見て撤収してから出発。1612m鞍部まで緩く下り、二段階の登りで登り返し、1775mP付近は北側を回り込んで行くが薮がうるさい。ようやくピークに着いても窓明山までの稜線は雪庇が切れ薮の中の踏み後を辿ることが多く短い距離ながら時間が掛かる。ようやく窓明山にたどり着くがそこは雪のたっぷりあるピークだった。
天気は何とかもっている。記念写真を撮り、しばし休憩後縦走再開。少し下った所に湿原が顔を出しており登山道はその真ん中を突っ切っている。ここから三岩岳までは夏道もあり、会津駒までの稜線も標高が上がるのでもう薮に悩まされることは無かった。少し下ると昨夜は三岩岳避難小屋泊まりの夫婦連れとすれ違う。昨夜は避難小屋は12、3人だったとのこと。
2万5千図で池塘マークのある鞍部からちょっとしたピークを越え、三岩岳への登りに入る。尾根は広がり樹林の斜面となる。踏み跡とテープの目印を見つけながら上方に向かっていくが、視界が無いと特に下りはわかりにくいだろう。とにかく上方へ向かっていったが、尾根の西方を進んでいったようで、行けども行けども小屋が見つからない。左方に向かい、尾根上の足跡に出た所で休憩。下方から声が聞こえてきて、どうやら小屋は行き過ごしてしまったようである。この頃から雲が増え、てきて時に雨がぱらつき、いよいよ低気圧が近づいてきたかと思ったが、結局その後また少し回復してきた。
踏み跡が幾つかある尾根から雪原状になった緩い斜面を登り詰めると、そこは三岩岳の頂稜、右折してしばらくで三角点の回りだけ地面の出た三岩岳三角点に到着。展望は360度が望めるが、霞が多く、越後駒・荒沢・丹後山方面もよくわからなかった(;。;)。
更に三岩岳の頂稜を進むと会津駒方面から縦走し大戸沢岳付近で幕営したという夫婦連れとすれ違う。三岩岳最高点を超え、2060mPで御池から入り昨夜は駒ノ小屋泊まりというスキー縦走パーティとすれ違った。この辺りまで来ると結構パーティが入っているようである。
2057mPを越えると1918m鞍部に向けて一気の下り、大戸沢岳へは今回の縦走で最後となる登りらしい登り、日差しが強く途中、木陰で休憩思わずザックの上でうたた寝(数分ぐらいだったと思う。)。急登が終わる辺りで三人組と二人組の2パーティとすれ違った。共に今朝檜枝岐から登ってきたということだった。
大戸沢岳は樹林阻まれ北西方向は展望が利かない。又、南西の風が強く吹きつけ寒かった。樹林に沿って緩く雪原の鞍部に下り、2098mPは北面を巻く。ここも視界が無いとわかりにくそう。稜線に戻ると左前方に三角屋根の駒ノ小屋、そして多くの登山者を見ることができた。しかし、やはり風が強く寒い。駒ヶ岳の手前で防風のため雨具を着た。
そこから最後の一登りで雪に覆われ、標柱が半分埋もれた会津駒ヶ岳頂上到着\(^_^)/。北方を見ると丸山岳、その右側に会津朝日岳が春霞の中、遥かに遠い。縦走の最後にいつも思うことだが、よくここまで歩いてきたものだと思ってしまう。これも縦走登山の醍醐味の一つなのだ。
頂上にいた男女二人パーティに写真を撮ってもらい、辺りの展望を楽しむが遠望は聞かない。でも中門岳へ続く雪の尾根は美しかった。何人家の登山者がその尾根を歩くのが見えた。ここまで来ると燧や至仏も近い。平ヶ岳や越後三山、荒沢岳も近いはずだが、霞んでいる。そうこうしている内に続々と登山者がやってくるが多くは軽装でピストンのようだった。
最後の山頂をしばし堪能した後、眼下に見えるウッディな感じの駒ノ小屋に向けて下山開始。小屋は素泊まりのみとのことだが管理人がいて有料であり、山行最後の夜は、この小屋で泊まろうかとも考えていたが、下山することとした。
最後の大休止ご風も強くなってきて、雲も増えてきたので下山開始。ガスの日用ののポールが並ぶ雪の尾根を一気に駆け下る。しかし、さすがに下りはスキーの人が速い。1990mPを過ぎると樹林帯にはいるがたくさんたくさんの踏み跡と幹に付けられた多くのペンキマークで迷う心配は無い。途中で夏道が出てくるが、道の左側の雪面を継いでガンガン下る。手元の高度計で1315m地点の道が右方に下る所から下は登山道を辿り、下山した。林道に降り立った所から千葉県からの女性ハイカーと共に下る。林道をショートカットして駒ヶ岳入口のバス停到着。右折し、約600m先のJAと村役場の側にある駒ノ湯に向かい、一風呂浴びた(\500)。あまり広くないが、露天風呂もありバスの時間さえなければもっとゆっくりしたい所だった。
16:40のバスで会津高原駅に出、会津高原鉄道で北千住まで行き(途中から結構混雑した。)、JRを乗り継いで東京駅に出、ムーライトながらもドリーム号も一杯だったし、臨時の夜行の品川発大垣行き快速は疲れた体にはチトきついと思い、奮発して焼こう寝台急行銀河に乗って帰阪した。
今回の残雪期ならではの南会津の主稜線の縦走は、天気にも先行者のトレールにも非常に恵まれ、4日の日程を2泊3日で歩くことができ、結局悪天にもつかまらずに、つつがなく踏破下山することができ、残雪期の縦走を満喫することができました。また今度、好天をうまくつかまえて、南会津や上越、尾瀬界隈の山を残雪期に歩いてみたいものです。
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