記録ID: 195223
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
丹沢
【丹沢主脈縦走】 焼山〜蛭ヶ岳〜丹沢山〜塔ヶ岳〜鍋割山
1962年08月09日 〜
1962年08月10日
fuya0123
その他2人
- GPS
- 33:08
- 距離
- 28.2km
- 登り
- 2,190m
- 下り
- 2,237m
コースタイム
◎ 9日:鳥屋(9:45) → 平戸分岐(10:07) → 焼山分岐(13:22) → 焼山(13:30=13:53)
→ 焼山分岐(14:02=14:06) → 黍殻山(14:35=15:07) → 東野分岐(15:37) → 八丁坂(15:44=15:46)
→ 姫次(16:06=16:08) → 原小屋 [現在はありません] (16:23)
◎ 10日:原小屋(7:19) → 地蔵岳(7:26=7:30) → 蛭ヶ岳(8:30=8:51) → 棚沢の頭(9:22)
→ 不動の峰(9:28) → 丹沢山(9:58=10:21) 龍ヶ馬場(10:35) → 日高(10:50) → 塔ヶ岳(11:02=11:35)
→ 金冷やし(11:58=12:01) → 大丸(12:08=12:15) → 小丸(12:30) → 鍋割山(12:50=13:00)
→ 後沢乗越(13:30) → 三叉分岐(13:48) → 沢出合(13:55=16:12) → 二股小屋(16:30) → 堀川(18:53)
→ 焼山分岐(14:02=14:06) → 黍殻山(14:35=15:07) → 東野分岐(15:37) → 八丁坂(15:44=15:46)
→ 姫次(16:06=16:08) → 原小屋 [現在はありません] (16:23)
◎ 10日:原小屋(7:19) → 地蔵岳(7:26=7:30) → 蛭ヶ岳(8:30=8:51) → 棚沢の頭(9:22)
→ 不動の峰(9:28) → 丹沢山(9:58=10:21) 龍ヶ馬場(10:35) → 日高(10:50) → 塔ヶ岳(11:02=11:35)
→ 金冷やし(11:58=12:01) → 大丸(12:08=12:15) → 小丸(12:30) → 鍋割山(12:50=13:00)
→ 後沢乗越(13:30) → 三叉分岐(13:48) → 沢出合(13:55=16:12) → 二股小屋(16:30) → 堀川(18:53)
天候 | 9日:晴れ 10日:晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
[徒歩] 新原町田(7:37) → 原町田(7:48) [電車] 原町田(8:00) → 橋本(8:16) [バス] 橋本(8:25) → 鳥屋(9:27) ◎ 10日:[バス] 堀川(18:58) → 渋 沢(19:05) [電車] 渋沢(19:25) → 浦和駅(21:18) |
コース状況/ 危険箇所等 |
−−− 50年前の記録を、ほぼ "原文のまま" ダイジェストで 記します。 −−− ・・・・・日記風ですが、ご勘弁を・・・・・。 −−− ☆☆ 9日:蛭ヶ岳手前の「原小屋」まで ☆☆ −−− バスを降りて、予定よりやや遅れて歩き始めた。 「平戸分岐」からは 道が狭くなり、"焼山へ3時間"の指導標を後にして 登り始めた。 樹木が、進むたびに 顔で分ける程 前に出ている。(注:熊笹のことを言っている) 下では聞こえない ウグイスの声が、季節はずれで面白い。 かなり堪える登りで、第一の休憩では、汗びっしょりになった。 早くもこの時で、水筒の水半分を飲み干すほど 喉が渇いた。 無人小屋で "飯" のはずだったが、無くなったか?通り越したか?で、第二の休みで食べた。 ここで水は、○○ちゃんの水筒の半分位を残して無くなった。 今日の行程の「原小屋」まで 水が無い。解ってはいたが、仕方がなかった。 案外早く「焼山分岐」に着いてほっとした。ここから焼山までは、殆ど平らで 楽だった。 「焼山」に着いた。展望はきかないが、木の間から 道志川付近の家が小さく見えた。 ここでは、リンゴで喉の渇きを潤した。 ゆっくり休んでから 出発。ずーと尾根伝いであるが、相変わらず 草木のでかいのが 道に覆い被さるようになっている。 それでも、時々両側が開けて 展望がすこぶる良い。 喉はカラカラ。「黍殻山」に着いた時、"水場へ2分"と書いてあったのだ。 喜んで飛んで行ったら、ちょろちょろとかすかな水が、岩の間から落ちている。 喉がカラカラだったので、水の少々汚いのなんか 問題じゃなかった。 出発して今度は、道の草木が低くなって 展望が非常に良くなった。 傾斜15°〜20°位の「八丁坂」が、ずーっと続いている。 冷たい風が、汗を冷やして 気持ちが良い。 突然、横の草がざーっと動いて、何か 四つ足のような動物が 逃げて行った。 そして、やっと「雁坂峠」のような場所「姫次」に着いた。 十五分下って、「原小屋」に着いた。 ぼくら以外の登山者は無く、飯はしてくれないので、三人で 7,8分降りた沢まで行った。 "炉"は、立派なのが 岩で出来ていたので、二人は薪取りへ、僕は 燃やす準備をした。 三人集まって、閑かな山中に一筋の煙が上がった。 やがてご飯が出来て、小屋へ帰って食べ始めた。旨いものだ。 小屋には猫がいて、よく慣れていつも寄ってくる。 広い2階に、三人でゆうゆうと寝た。面白い話をしながら・・・・・。 −−− ☆☆ 10日:蛭ヶ岳 〜 丹沢山 〜 塔ヶ岳 〜 鍋割山 ☆☆ −−− 5時に起きて、空が晴れているのに ホッとした。小屋の窓から、大きな富士山が見られた。 朝食はタンメンなので、用意して 沢へ降りていった。顔を洗ったが、切れるように冷たかった。 すべて朝露で濡れていて、火がうまく燃えなかった。熱いタンメンを、ふうふう言いながら食べた。 「地蔵岳」を通り、「蛭ヶ岳」に向かった。途中の景色も、富士山を中心にして 素晴らしかったが、 「蛭が岳」頂上からの景色は、このコース最高だった。 「原小屋」で 頼まれた "醤油" を ここの山小屋の人に渡すと、お茶を出してくれた。 冷たかったが、ありがたかった。 「焼山」から続いていた 「塔ヶ岳へ・・・Xm」が、2000,1500,1000,500mと近づいてきた。 「尊仏小屋」が見えてきた。最後は思わず足に力を入れて、懸命になっていた。 着いた!!。「塔ヶ岳」頂上。のっぺりとした土になっていて、一番の景色が雲で全く見えなかった。 「鍋割山」では、秦野町が良く見えた。下りは、乾いた小石、土、岩で 危なく急だった。 「後沢乗越」から左に折れたが、沢なので、岩がゴロゴロ。その上 急でまいった。 だがまもなく 水があるところにぶつかり、飯を炊く絶好の所を見つけて、腰を下ろした。 誰も来ないのを幸いに、有頂天になって タオルを腰に巻いてつかってしまった。 気持ちいいが、寒くなってしまった。 飯を炊いて食べた味、最高に旨かった。ここで2時間も遊んで、別天地を去った。 |
写真
感想
◎ この記録は、ほぼ50年前のものです。(当時、中学3年生)
この記録を 2012/05/31に "登録" しましたが、「丹沢」は、後にも先にも これ1回きりでした。
ルートについては 現在の地図上に落としているので、尾根上は合っていますが、前後の取り付けに
ついては、位置、名称が 違っていると思います。
◎ 中学3年生の夏休みです。従兄弟と3人での山行きです。
原小屋 (現在はありません) は、素泊まり(布団付き)で 200円でした。
10日の「沢の出合」では、2時間もの "休憩"を しており、リュックの物を平らげて、沢に浸かって
"水浴び"を 楽しみました。
◎ 9日6時、台風10号が東北地方の日本海海上にあり、東京地方は、35.7℃を記録しています。
10日も 33.9℃を記録し、下界はさぞ暑かったろうと思います。
−− 当時の運賃は、以下のとおりでした。 −−
[電車] ・浦和 − 新宿 = 70円(×往復) ・新宿 − 新原町田 = 80円 ・原町田 − 橋本 = 40円
・渋沢 − 新宿 = 160円
[バス] ・橋本 − 鳥屋 = 90円 ・堀川 − 渋沢 = 10円
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初めまして、kurihoといいます。
50年も前の山行記録興味深く拝見しました。
私がまだ生まれる前の秦野丹沢の状況が、素晴らしい日
記としてそれも当時の状況が刻々と表現されていることに素晴らしいと思う次第です。
健脚なコースタイムも素晴らしいですね。現代の大人や子供たちとの体力の差が歴然と物語っていると思います。
本当に貴重な記録拝見できて良かったです。
kurihoさん こんばんは
大変古くて しかも「コース状況/周辺情報」という欄には合わないような 勝手な
"書き方" なのに、コメントをいただき 恐縮しております。
小さいときから、兄弟&従兄弟の影響もあり、秩父の山に行っておりまして、
未だに「秩父」へ多く通っております。
最近は、電車に乗って行くのが億劫で「楽チン・マイカー登山」が
主流になってしまいました。
古い記録は、幸いにも "紙" で残してあったので、今 順に「ヤマレコ」
へアップしております。
「丹沢」は "土地勘" も無く、地図へ落としたり 記述したりするのに
目に浮かばず 戸惑いました。
「丹沢」に多く行かれている様子で、尾根も沢も素晴らしいコースが多くて
富士山も 間近に見えるし いいですね。
もうすぐ65歳ですが、今後も「安全登山」で "レコ" していきたいと思います。
fuya0123さん、大変懐かしい写真を見させてもらいましたよ、
写真の顔はやはり若いですね、ハイキングを始めた頃は、私も帽子は麦わら帽子でしたよ、
私の丹沢の尾根は渋沢からが主に起点でしたし、その時の体調の調子によってでしたから、
蛭ヶ岳のコースの標識は丹沢山−焼山の他に、後方のは檜洞丸方面だったと思いましたが、
焼山は下りに使いましたが当時は確か赤土だったと思いましたし、この長い下りのコースを何人か登ってきていました、
それがfuya0123さんと同じコースの人でしたか、
それに当時の塔ケ岳の尊仏山荘の写真も懐かしいですね、
当時は野宿でが基本でザックを枕にして寝ていましたが、尊仏山荘に一度だけ泊まりましたが、
当時は二段式で、布団付きで確か200円ぐらいでしたよ、
食事は無しでしたよ、生米を持参して朝炊いてもらい、ワカメの味噌汁が出ました、
よくボッカでの人が荷物を格小屋に運んでいましたから、
今と違い人海戦術でしたから、宿泊者までの食事の用意は出来なかったんだと思います、
交通費も私の家から丹沢は1000円あれば小田急の新宿駅で、
帰りは冷やし中華を食べて家の近くの銭湯に入れましたね、
ヤマレコでは「塔ノ岳」出ていますが、確か同じく私らは「塔ケ岳」と呼んでいました、
naiden46さん おはようございます。
初めまして。わたしより、4歳ほど先輩でしょうか。
今まで、いろいろな山に登られたご様子。
健康を害され 山登りが出来ないとのことで、心中お察しいたします。
今 山に行きますと、私も含め 中高年の方が 実に多いですね。
一方で 若い方のグループも見受けられ、明るくて頼もしいです。
皆さんの"装備"を拝見しますと、立派な服装に登山靴。それに 格好いい"帽子"と
すっかり様変わりしましたね。時代ですかね。
しかし 装備は当然大事ですので、神田や秋葉原の「山の店」へは
時々足を運びます。
今 過去の"ヤマレコ"を 少しづつアップしているのですが、
目が疲れて、あまり捗りません。
私は 高血圧等があるものの まだ山に行けそうで、せっせと
「秩父方面」に出掛けています。
最近は "迷い道"が多くて、気をつけなければいけない!!と 思っておりますが
今後も、山には "精勤"したいと思っています。
お体に気をつけて。
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