妙芽谷〜大日岳〜能登郷〜大御影山〜松屋大権現☆新緑の深山幽谷に桃源郷を訪ねて
- GPS
- 09:23
- 距離
- 18.3km
- 登り
- 1,297m
- 下り
- 1,343m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
妙芽谷:大滝までは右岸に薄い踏み跡あり、大滝からはテープはあるものの踏み跡はなく滑りやすい斜面のトラバースが続き、難路 稜線に上がるまで踏み跡なし |
写真
感想
今津の酒波寺から若狭の闇見(くらみ)に至る近江坂古道は、大御影山から江若国境尾根を辿って三重獄から北に伸びる稜線に登るが、その後は大日岳を経由する尾根伝いではなく、天増川の源流に一旦下ってから再び能登野越に登り返すというコースを辿っていたらしい。この天増川の源流域は能登郷と呼ばれる湿原が広がる一帯があり、かつては木地師達が生活を営む集落があったという。このような漠然とした情報だけでも、どんなところだろうかと好奇心を掻き立てられるには十分であるが、ここを訪れた山行記録は非常に少ない。
この能登郷を訪れたいと思いながらも、その機会を逃し続けていた。今年こそはと思い、新緑の季節が訪れるのを待っていただった。この能登郷を訪れるなら日帰りで十分なのであるが、連休で二日続けての好天が約束されているようなので、敢えてテン泊山行を考える。
真っ先に考えたのは三十三間山から三重獄にかけて天増川流域を周回するコースではあるが、私が翌日の下山後に別の山行をと考えたために、家内はすぐに下山出来るところがいいという条件を持ち出す。テン泊は大御影山の予定とする。
【1日目】
山行当日、夕方までに大御影山に到着すればいいので出発が少々遅くても・・と油断しているうちに、ついつい出発時間が遅くなり、京都の自宅を出発したのは9時前とかなり遅くなる。
美浜に到着するとまずは岡酒店で早瀬浦の「ひやし酒」を手に入れる。この酒店はもとは国道沿いの美浜駅のすぐ近くにあったものだが、駅前に新たに道の駅を作るとかで移転を余儀なくされたらしい。すぐ近くにある道の駅をわざわざ駅前に移転させる理由が全く理解不能ではあるが、閑散とした駅前には広い更地が出来ていた。
駅の東にあるスーパーで食料を買い込み、登山口の松屋に向かうと既に正午近くになっていた。能登又谷にかかる橋、白谷橋を渡ったところの林道沿いの広地に車を停めて出発する。
まずは能登郷に至るのに大日岳を越えたいところである。大日岳から北東に走る送電線に沿ってつけられるいる巡視路を辿ることが一般的であり、昨年の初夏に大日岳を訪れた時もこのルートを辿っているのだが、今回は国土地理院の地図で能登又谷から大日岳の東麓の谷沿いに記されている破線ルートを辿ることを考える。
このルートを辿る山行記録も見当たらないが、下山後に調べてみると、やぶこぎネットに沢登りの山行記録があり、妙芽谷と呼ばれる谷であることを知る。距離的には大日岳への最短ルートとなる筈ではあるが、余程良好に整備された一般登山道でない限り、距離が短いからと云って時間がかからないことはないということを思い知る羽目になるのだった。
妙芽谷に入ると右岸に明瞭な踏み跡が続いている。道沿いでは早速にも多くの一輪草や二輪草の花々が出迎えてくれる。谷を進むと左手の支谷の入口に新緑を纏う大きなトチノキが目に入ので、大樹を表敬訪問する。
再び本谷に戻るとまもなく両岸が迫り、山の陰に入った谷は急に薄暗くなる。ところどころで不明瞭にはなるものの右岸には踏み跡が続いており、渡渉することなく谷沿いを進むことが出来る。
やがて踏み跡は沢を離れ、右岸の斜面をトラバース気味に登ってゆく。谷の二俣に至ったところで目の前に広がる光景に息を呑むことになる。広々とした谷の出合にはいずれの谷も落差のある滝がかかっている。特に右俣の滝は水量も多く、その落差はゆうに10mはあるだろう。
まずは滝下に降りてしばし休憩する。右俣の滝下に至ると冷たい水飛沫が飛んでくる。この美浜町には北側の雲谷山に屏風ヶ滝と呼ばれる滝が国土地理院の地図に記されているが、落差といい水量といい目の前に聳える大滝は屏風ヶ滝の比ではない。
地図を確認するとこの右俣の谷を越えていくことになっているが、この大滝は容易には越えられそうもないところだ。さらに滝の上流にも滝がかかっているのが見える。なんとかこの滝を越えたところで、その上流の滝を巻くのが難しければ万事休すだ。
左俣の滝は右岸から巻くのはさほど難しそうだ。ところで、この左俣の滝は迫力という点で右俣の大滝に比べると明らかに見劣りするのだが、特筆すべきは滝を見下ろすかのように右岸に屹立するトチノキの大樹だ。滝は大樹の秀麗な佇まいと相俟って一幅の掛物のような光景を広げているのだった。
さて、いざ滝の右岸の斜面をトラバースしようとすると、右岸の上の方にピンク・テープがはためいているのが目に入る。ピンク・テープのあるところまで登ると足元にあるのは鹿道と思しき踏み跡があるばかりではあるが、その薄い踏み跡を辿って滝を越える。
滝上からは平流が続いているので、沢沿いに進む。気がつくとピンクテーブは対岸の急斜面へと誘導している。明瞭な踏み跡があるわけでもないのだが、ピンクテープを追って滑りやすい左岸の尾根を慎重に登る。尾根は地図では広々とした台地状の尾根のように記されてはいるが、二重尾根となっておりその間を細い沢が流れている。
尾根を辿ると忽然とピンク・テープがなくなる。山毛欅の樹々が目立つ。
下生えのない疎林を辿って、右俣の谷へと下降する。
沢沿いには大きなカツラやトチノキが次々と現れる。そして沢沿いには苔むした炭焼き窯の跡が次々と現れる。広々とした谷には下流に大滝があることが信じられいほどに平和な流れが続き、まるで桃源郷と呼びたくなるところだ。眩いほどの新緑の美しさもあって、先に進んでしまうのが勿体なく感じられる。(庄部谷山の甲森谷のようにカツラの大樹がめくるめく現れる訳ではないものの、その谷相の美しさは甲森谷に勝らずとも劣らぬように思われる。)
やがて沢は三俣に分かれる。真ん中の谷が最も流れが細いように思われたが、コンパスで確認すると大日岳に向かうのは確かにこの谷だ。谷の左岸には薄いながらも明らかに踏み跡が続いている。上流に進むと、再び広々とした谷が広がり、ここでも目を疑いたくなるようなカツラの巨樹が現れる。対岸にはまだまだ苔むした炭焼き窯のあとが続いている。
いつしか谷の周囲はブナの樹林が広がっている。所々に現れるユズリハやアセビの藪を避けながら尾根を進むと、突然、送電線の下の伐採斜面に出る。斜面を登ると正面には大見影山、その左手には三国岳の展望が広がった。
伐採地からはすぐに送電線巡視路に出る。巡視路を大日岳の方に向かって歩くと、周囲のリョウブやブナの樹々にすべからくテープが巻かれている。伐採前のマーキングに思われるが、まさかこれらの樹々を全て伐採するつもりなのだろうか・・・まもなくその真相を知ることになる。
大日岳の山頂のすぐ手前で男性五人のパーティーとすれ違う。しんがりを務めておられたリーダー格と思しき男性に「こんな遅い時間にどちらまで?」と聞かれるので「大御影山でテン泊の予定」とお答えすると、「それなら安心だ」と仰るのは、さすがに心配して聞いて下さったようだ。パーティーの方達はこの大日岳から大御影山へのピストン往復とのこと。大御影山には多くの登山者がおられたが、ビラデスト今津の家族旅行村からのピストンの方達ばかりだったとのこと。ちなみにこのパーティーが今回の山行で唯一、出遭った人達であった。
パーティーとお別れして大日岳の山頂に出ると唖然とする光景が広がっていた。昨年の初夏に大日岳の山頂を踏んだ時にも山頂周囲は伐採されていたが、今回は山頂一帯が広く伐採され、多くの資材が散財している。さらにユンボなどの重機がいくつも見られる。伐採地の周辺はロープが巻かれ、「送電線鉄塔の付け替え工事中、立ち入り禁止」と書かれた赤い垂れ幕があるが、そうは云っても迂回路がわざわざ作られている訳ではない。休日なので工事が休止していて良かったが、工事が行われている平日だと迂回はかなり面倒だったと思われる。
ひとまず山名標と三角点のみは確認しに行く。最近、伐られたものと思われる山毛欅の切り株が何とも痛々しい。その切り株の太さを見るに、ここにはどれほどの大きなブナを樹林が広がっていたことかと思うと哀しみを覚える他ない。しかし、新たに送電線を引くと送電線下の樹林も根こそぎ伐採されるのだろう。先ほどの巡視路の周囲の樹々に伐採のマーキングを施されていた意味を理解するのだった。
大日岳からはまずはかつての電波塔があったピークに向かう。わずかにブナの樹林が残ってはいるが、こちらの尾根沿いの樹々もすべからくテープが巻かれている。登山道沿いにはすぐにモノレールが現れ、電波塔ピークに向かってモノレールが続いている。登山道周囲の樹々の伐採のマーキングのテープも延々と続いている。まさか、この尾根沿いの樹を全て伐り倒すつもりなのだろうか? 下山後に知ったのだが、大日岳の山頂に至るまで林道を延伸するために尾根上の樹を伐採する計画らしい。
かつてのNTTの電波塔が設置されていた広々としたピークに出ると、西側の展望が一気に広がる。景色のいいところではあるが、雑然と並べられた送電線鉄塔の建築資材が広場の景色を殺風景なものにしていた。西側から向かう林道には真新しい砂利が敷き詰められており、どうやらこの林道を通って資材が運びこまれたのだろう。
電波塔からは尾根の南のリョウブの樹林の中を下降する。数年前の雪深い時期に辿った時には尾根から好展望が広がっていたのだが、リョウブの樹林が全て雪に埋もれていたからであったことを今更ながらに知る。尾根の南の鞍部で天増川林道と交差すると、いよいよ能登郷に向かって林道を下る。
先ほどの電波塔ピークまでこの林道を通って資材を運んだものかと思ったが、一向に整備されている気配はない。ということは先ほどの電波塔ピークには他の林道を経由して資材が運搬されているようだ。林道を下降するとすぐに左手に天増川の源流域が広がるようになり、林道から小さな谷に沿って広々とした源流域に降り立つ。
沢沿いには黄色い菊科の花が数多く咲いている。サワオグルマ(沢小車)の花らしい。広々とした河岸段丘には新緑を纏って直立したハンノキの樹々が見られる。谷に差し込む午後の斜陽のせいで新緑は柔らかな色合いを帯びている。穏やかな平流がコポコポと囁くような音を立てる。この日の前半に辿った谷の景とは全く異なるが、ここも確かに桃源郷と呼びたくなるような景色だ。
足元は確かに泥濘んだ湿原が広がっており、慎重に歩く場所を選ばないと泥濘に足をとられることになりそうだ。サワオグルマが咲き乱れる沢を渡渉を繰り返しながら下ってゆく。やがて、広い谷の左岸に明瞭な古道が現れた。かつての近江坂古道の名残だろうか。古道に導かれるがままに平坦な谷を下ってゆく。
長閑な湿原の白昼夢のような光景は左岸の尾根に突如として出現した伐採地と重機によって寸断されることになる。どうやら湿原のすぐ近くの左岸尾根に大日岳の山頂から続く新たな送電線のの鉄塔を建設しているようだ。左岸に現れた送電線巡視路のプラスチック階段を登ると、すぐに建設現場に到着する。伐採された現場には大日岳で見たものと全く同じステンレス・パイプの櫓が組まれていた。さすがにここは登山者が来ることを想定していないのだろう。周囲をロープで囲むことはされていない。
送電線巡視路を辿って尾根を登るとすぐにも既存の送電線鉄塔が現れる。好展望の鉄塔広場からは天増谷を俯瞰することが出来るが、下流の対岸に、そして上流の右岸にも同様の鉄塔の建設作業が行われているようで、いずれの作業地においても伐採された斜面に重機が見える。それらはこの自然を蝕む新たな感染症の病巣のようにも見えるのだった。
送電線鉄塔を過ぎると新緑のブナの樹林に飛び込む。稜線が近づくにつれブナの大樹が目立つようになり、壮麗な森が広がるようになる。この大日岳からの稜線に再び合流すると、緩やかな尾根では西陽がブナの樹肌を明るく輝かせている。この区間はブナの樹林に関しては白眉とも云うべきところだろう。
大御影山への尾根の分岐に入ると鞍部にかけてなだらかにブナの回廊を下ってゆく。北側には雲谷山や庄部谷山の展望が広がるが、庄部谷山はすっかり雲の中だ。尾根には多数のカタクリを見かけるが、多くの花が閉じているのは時間が遅いせいだろうか。ここも斜面にはブナの大樹がまばらに生えているが、さすがに大御影山の山頂に到着する時間がきになるところで、ゆっくりとブナの樹々を鑑賞してしている余裕がなくなってきた。夕陽が紅く斜面を染める中を山頂への深い掘割の古道を辿る。
大御影山の山頂にたどり着くと辿ってきた大日岳の方向に夕陽が落ちてゆく。南西の三重獄の方向への展望は開けるが夕陽が沈む方向への展望が開ける箇所はない。山頂から野呂尾の高の方へと少し東に向かうと稜線の北側から沈み行く夕陽を眺めることが出来るが、生憎、夕陽は西の空にかかる雲の影に隠れてしまう。
弱い西風が吹いているので、稜線の南東側の緩斜面の草地の上にテントを張ることにする。琵琶湖の対岸では長浜から米原、彦根の街明かりが徐々に輝き始めていた。テントに入り込みビールで乾杯すると料理に取り掛かる。
緩い斜面にワンポール・テントを張ったせいで傾いたポールを直そうとした瞬間、家内のビールの入ったカップをひっくり返してしまう。山の上でビールをひっくり返すのは何とも虚しいものだ。何のために重たい思いをして担ぎ上げてきたのだろうか。しかし、この日は早瀬浦が十分にあるのが救いだった。
【二日目】
早朝に目が醒めると、南の空にかかる下弦の月のせいであたりが明るい。空が霞んでいるせいか、東の空は橙色に染まることなく、ブルーのモノトーンのまま急速に明るくなってゆく。長浜や彦根の市街の明かりもスウィッチを消したかのように急に見えなくなった。東の金糞岳の左手から太陽が昇り始めると、彼方に御嶽山のシルエットが浮かび上がる。
まずはテントの中でコーヒーを沸かす。気がつくと鍋の縁を茶色の点が動いている。マダニであった。行動食で簡単に朝食を済ますとテントを撤収する。出発の前に再び大御影山の山頂から三重獄から眺める。光の加減のせいだろう、朝陽を浴びて明るく輝く三重獄は黄昏に眺めたシルエットとは異なり驚くほど近くに感じられる。
山頂を後にすると野呂尾の高に向かって灌木と草原の広がる広々とした尾根を北東に進む。そういえば大御影山の三角点名は野呂尾であるが、この野呂尾とは大御影山から北東に伸びる尾根の名称なのだろう。
野呂尾の高は山頂部の一角だけにブナの叢林が広がり、新緑のブナ林の中に入ると鎮守の森に入ったかのように雰囲気が一変する。ここのブナ林も何とも素晴らしいところだが、林に差し込む朝陽がブナ林の清々しさを際立たせてくれているようだ。
尾根を先に辿るとブナが疎らに生える灌木帯となり、正面には雲谷山、庄部谷山、野坂岳、東側に大谷山から赤坂山、三国岳へと至る江若国境の山々のパノラマを見ながら尾根を緩やかに下ってゆく。積雪期に歩いた時には一面の雪原が広がるところだが、その下に低木や灌木があったとは知る由もない。
尾根を北に辿り、斜度が増すとブナの樹林となる。尾根の下部では杉の樹が多くなるが杉林の中にも新緑のブナの大樹が目を惹く。鞍部から登り返すとなだらかな山頂台地が広がる松屋大権現至る。この樹々が疎らに生える草原状の山頂も独特の雰囲気のあるところだ。樹々の多くは黄色くおぼろげな花を数多くつけている。クロモジの樹だろう。
ところでクロモジといえば爪楊枝であるが、この山頂一帯の堂々としたクロモジの樹々を見ていると、果たして割り箸と共に入っている爪楊枝が果たして必要なのかと云う疑問が今更ながらに沸き起こる。ちなみに割り箸に入っている安価な爪楊枝はクロモジではなく白樺から作られるらしい。
松屋大権現の北斜面からは再び正面に庄部谷山を眺めると、所々でユズリハが密生する斜面を下ってゆく。積雪期は尾根芯を辿ってきたが、登山道は斜面をトラバース気味に下降してゆく。やがてユズリハの密生が現れるが、切り払いがされているので、通行には全くといってもいいほど支障はない。このあたりになると自然林の中にホオノキの大樹が目立つようになる。最後は斜面をつづら折りに下って神社の裏手に降りたつ。
あとは能登又川沿いの林道を歩いて駐車地に戻る。林縁にはイチリンソウ、キケマン、ムラサキケマン、クサイチゴ、スミレなど数多くの花が咲いており、飽きることがない。ヒメウツギも薄紅色の花を咲かせ始めていた。
川沿いの広い河岸段丘には砂利が敷き詰められて綺麗に整地されていると思えば、ここでも「送電線鉄塔付け替え工事のため立入禁止」と記されたシートがロープに掛けられている。能登郷から大日岳を経由する新たな送電線はここに至るらしい・・・と云うことは新たに庄部谷山から芦谷山の稜線で建設が進められる風力発電で発生した電力を送電するためのものだろう・・・と考えるとますます陰鬱になるのだった。
能登又谷川の清流のほとりで新緑を眺めながらソーセージとマフィンとを温め、朝食を済ませると気分を変えて次の山に向かうことにする。
コメント
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yamaneko0922さん、こんばんわ。
なるほど、このルートを通ったのですね
ヤマネコさんが「予定通り」もう少し早く出発していたらお会いできたかもしれませんね
いつも思うのですが、ヤマネコさんは古道の歴史やそれにまつわる人の生活といった背景にも詳しいですよね〜。その知識量にはいつも感心させられます
私も古道にまつわる「埋もれた歴史」に興味はあるのですが、せいぜい現地の案内板等で知るのみで、遺構を見た後に他のハイカーさんのレコを見て「そうだったのか」と思い返すことが多いです。お恥ずかしい・・・
いや、しかし、破線道や難路を共に踏破する奥様にも驚きです
難路を進むのも楽しくなりそうですね
これからも、ヤマネコさんのレコで勉強させて頂きます
お疲れ様でした。
simonmasakiさん コメント有難うございます。
>古道の歴史やそれにまつわる人の生活といった背景・・・
古道の歴史などに関しては過分なご評価です。たまたま古道について記載されている本やサイトで知識を得ただけのことで、所詮は他所の知識の受け売りに過ぎません。
>破線道や難路を共に踏破する奥様・・・
確かに私は道のないところを歩く機会が多いのですが、家内は道があるところがいい・・・としょっちゅう文句を言われます💦
今回はニアミスでしたが、どこかでお遭い出来る機会があることを願っております。
こちらこそ今度とも宜しくお願いします。
美浜トレイルをなぞるだけではないだろうと思っていましたが、能登又の沢を詰めた源流域と能登郷の湿地帯を絡ませるとは思いも付きません。ビールを溢した時の奥様の顔が浮かびましたww
レコを拝見していると山猫ワールドに引き込まれてしまいます。能登郷は下りてみたいのですが登り返しがあるので躊躇していました。機会を見つけて彷徨ってみたいと思います。
それにしても、大日岳〜電波塔跡地は危惧していた通りの惨状となりそうですね。林道を造成するのなら全滅でしょう。灌木帯とブナの疎林の雰囲気が素晴らしい所だったのに残念です。
送電鉄塔の耐用年数は50年らしいです。高度成長期に建てられた他の系統も次々に建て替えられて行くのでしょうか、虚しさが込み上がってきます。
naojiroさん コメント有難うございます。
>能登又の沢を詰めた源流域と能登郷の湿地帯
それぞれ非常に素晴らしいところでした。
そういえばnaojiroさんは登り返しが嫌いでしたね。能登野越から下ってから林道でなだらかに登るという方法もありますよ。ここは別世界です。秋も美しそうですし、暑さが我慢出来れば夏の景色も気になるところです。
>灌木帯とブナの疎林の雰囲気が素晴らしい所・・・
同感です。残念極まり無いです。
>送電鉄塔の耐用年数は50年
意外と短いですね。今日flatwellさんから聞きましたが、庄部谷山も送電線の付け替えがされるそうですね。
同じ日に大御影山の山頂を踏まれていたんですね。
でも、高島トレイルのルートを辿っただけの僕とは違い、濃密な山行になっていますね。
こういう行程を考えて実行できる人は限りなく少ないかと。
高島トレイルのマップを見ていると、三重嶽から水坂峠への稜線の西側の天増川は嫌でも目に入るのだけど、その源流域にこんな風景が広がっているとは驚きです。
大御影山の山頂から北東に延びる尾根も気になっています。
僕の山行スタイルでは、どちらも微妙に敷居が高いのだけど、時間と相談して部分的にでも歩いてみたいですね。
送電線鉄塔の工事現場の様子、その前後の写真との落差があり過ぎて、どう表現したら良いのか分からないぐらいですね。
関西に住む者としては、日々の生活はこれらの送電線で送られて来る電力で成り立っている訳で、自分も当事者だという意識を少なくとも持つ必要があるのでしょう。
山頂にテント泊してのビールとは、さぞかし旨いのだろうと思ったら、こぼしてしまうというオチが付くとは。
事前に購入した二の矢があったのは幸いでした。
VGさん 濃密なコメント有難うございます。
私もVGさんの長大な山行へのコメントをさせて頂こうかと思いつつも、先にコメントを頂いてしまい恐縮です。
>天増川は嫌でも目に入るのだけど、その源流域に・・・
ですよね。ご自分の目でご覧になったらもっと驚かれると思います。残念ながら私の写真ではその魅力の十分の一も表現出来ておりません。おそらく晴れでも曇りでも綺麗だと思いますし、霧があればとても幻想的なのだろうと思います。
>大御影山の山頂から北東に延びる尾根・・・
ここも素晴らしいです。松屋大権現のクロモジの疎林が広がる広々とした台地状の山頂、ブナの大樹の尾根、パノラマの尾根、野呂尾の高のブナの叢林と周辺の草原・・・魅力が満載です。朝一のひかりに乗って米原→敦賀→美浜と乗り継げば、新庄行きのコミュニティ・バスに間に合うかと。新庄から松屋まで4kmほど。VGさんの足なら40分ほどの歩行は大したことはないでしょう。
>自分も当事者だという意識・・・
ただし電力会社は一般市民の生活に欠くべからざる電力を供給するのだから・・・という「正義」のもとには「犠牲」は許されるという論理で企業の利益を優先させているかもしれません。
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