唐松岳〜不帰2峰「逆しの字」滑降
- GPS
- 04:37
- 距離
- 13.8km
- 登り
- 1,015m
- 下り
- 2,025m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年01月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
※GPSデータは2峰までで止まっていたため、そこから先は手動で描きました。タイムの04:37は誤りです |
写真
感想
週末の好天予報を得て、火曜日からフジタ・ドローンらとどこに行くか話していたが、まあ十中八九八方尾根、七割くらいはまた2峰になるのだろうな、と薄々感づいていた。試しに五竜方面を提案してみるも、やはり反応は鈍い。金曜に休みをもらったので八方池前泊も考えたが、前日までにまとまった降雪がありそうだったのでとりやめ、それぞれ斑尾とアライでゲレパウを楽しんだ後、小谷で飲んで寝た。
同じく2峰を目指すというケノザとSKIDAY氏と合流してアダムに乗車。アルペンリフトオープン時は殺伐とした雰囲気で人がなだれ込む。八方池山荘到着の手前でフジタのストックの留め具が緩んでしまい、これを直すのに若干の時間を要す。その間、若手ボーダー2名がロケットスタート。その後ろの2名に続いて5番手で行く。最初から競争状態でヒューマンファクター高めである。
先行者の装備やライン取り、ボーダーという属性や年齢などから、どこかで追いつくだろうと思っていたが、下の樺を越えたあたりで追いついた。いわくここからアイゼンにするとのことで、この時点でもう二度と会わないかもと思った。その後は1人先行したが、ドローンやケノザが来ないので丸山の先で待つ。体感30〜40分待った気がしたが、20〜30分だったかも知れない。フジタ曰く下の樺の上からツボ足で来たという(それは時間かかるわ)。
再び歩き出してスキーのまま唐松に登頂し、シートラへモードチェンジ。その時点でドローン、ボーダー2名と合流。あとはひたすら先行して(今回は迷わず)2峰に到着。ずっと斜面を見ていて一番イメージが湧いた「逆し」に狙いを定める。すぐにボーダー2名も到着。フジタと合流してゆっくり準備をしていると、2人はそれぞれ南峰とセンター「極真」へ下りて行った。この日、八方尾根は強風だったが、南峰から先はほとんど風がなく、フジタ・ドローンが飛んだ。
準備してドロップ。先に1人滑ったのを見たこともあり、落ち着いて滑れた。スラフは出るがそこまで多くない。スピードを上げてXの交差点まで行き、一呼吸おいて横断。ルンゼに入ってからはずっとスラフが出ていて、最狭部でさすがにかわし切れずに止まった。が、後からGoPro映像を見てみるとそのまま突っ込んでも問題ない量だと思われた。雪崩には強弱があり、突っ込むか止まるかの判断はスピードが求められるため、非常に難しい(しかし、止まるという判断は常に安全)。とはいえ、ほぼほぼノンストップでボトムへ。雪も良くまあ満足。
ボトムで少し話をした後、ボーダーは颯爽と帰って行った。ほどなく撮影を終えたフジタも同じラインで滑ってきて合流。フジタのドロップ前にケノザが到着していたということで、連絡が取れれば待って撮影することに。Messengerで連絡が取れたので、無線を合わせて2名を撮影。SKIDAY氏が南、ケノザが北。ケノザはまたしてもハプニングがあったらしい。あとは唐松沢パーティランをし、面倒なジャンプ渡渉を越えて下山。デポしたマイカーで駐車場に戻った後、フジタを除く3人でガストで飯を食い一路東京へ。
帰宅して動画を編集するうちに、なぜここまでこの斜面にこだわっているのか、ということについて考えさせられた。元々は「ノンストップできれいに滑る」ということを意識していると思っていた。しかし、それはとりもなおさずアルペンスキーへのこだわりだった。競う相手がいないためタイムは特に意識していなかったが、できるだけ止まらず、スムーズに滑り切るということは、すなわち速く滑るということに他ならない。
既にこれまでこの斜面で何度か、中学の時に挫折したアルペンスキーを思い出していた。2017年3月に北峰「ゴーストレイトa」を止まらずに滑り切った時はスラロームレース終盤の疲れを、2018年2月に南峰「オープンb」で転んだ時には同じくスラロームの「片反(片足通過反則)」での転倒を。滑る前にストックを2回鳴らす動作は、レースをやっていた頃の習慣だ。私は中学の途中でアルペンを止め、その後社会人になって山岳会に入り、冬山登山を経て山スキーに至るまでの17年間、全くと言って良いほどスキーをしてこなかった。興味を失ったこともあったが、どこかで避けていたのかもしれない。
今こうして、この斜面を滑り切ることに執着する自分を見つけ、自分が思っていた以上にあの挫折で負ったトラウマが大きかったのかも知れない、と思い至る。当時自分は北海道の小樽という、日本では至極恵まれた環境にいて、トップではなかったが、そこそこではあった。しかし、最終的には自分の能力や可能性を見限って、違う方向に舵を切った。今でもそれが間違っていたとは思わないが、この時に自分の能力を信じることを止めた気がする。
こうして今でも山に登ったり、際どいラインを滑ったりしているのは、その時失ったものを取り戻すためではなかったか、と深夜に考えた。不帰に通い始めて7年、2峰を滑るのは7回目になる。
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