富士山 0mから山頂へ 村山古道を通って
- GPS
- 22:03
- 距離
- 43.8km
- 登り
- 3,924m
- 下り
- 1,558m
コースタイム
- 山行
- 10:52
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 11:57
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
20日(日)早朝に宿を出発する 六合目の雲海荘に泊まる 21日(月)早朝に宿を出発する 山頂に登り、宝永山を通って五合目へ下る バスで新富士駅へ行き、新幹線・在来線で自宅に帰る |
その他周辺情報 | 六合目雲海荘――富士山で9月に営業している山小屋は少ない。ここははその中の一つだ。30年程前にシュラフですし詰めの北穂高小屋へ泊まって以来の小屋泊だった。布団もあるし食事も出してもらえるので、別世界へ来たような感じだった。しかし吉原から登って来て非常に疲れているのに、ほとんど眠れなかった。それでも翌日しっかり歩けているので、横になっているだけで寝ているのとよく似た効果はあるのだろう。 |
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
富士山に登る時には、0mから山頂まで行こうと思っていた。どの道を通ったら良いか調べていたところ、村山古道というのがあることが分かった。昔の富士講の登山ルートで今でも登る人があり、踏み跡程度の道が付いているようだ。
19日、吉原駅前の宿に着いてから海岸に行き海の水に手を付ける。帰りに偶然にも鈴川の富士塚を見た。かなり高い立派な塚で、今回の登山を後押ししてくれるような気持ちになった。
20日、早朝の暗いうちに宿を出発し、旧東海道を西に向かって歩く。岳南電車の踏切を越え吉原宿を過ぎると、右に曲がり村山古道に入る。新東名高速道路を越える所が少し分かりにくかったが、後は村山浅間神社までは舗装してある歩きやすい道が続く。
途中には道標がいくつもあり、昔からの信仰の道だったことがよくわかる。「富士山に登るのですか」と声を掛けてくれた人がいた。鈴川の富士塚から富士山に登る人も何人かはいるようだ。9時過ぎに村山浅間神社で昼食にする。5時から歩いている私には昼食だったが、神社で作業している方には朝食に見えたようだ。
村山浅間神社から少し進むと登山道になる。ここで運動靴から登山靴に履き替える。札打場跡の大ケヤキや富士山麓山の村を順調に通過して、中宮八幡堂で休憩する。ここから道は右方向に行くのが正解なのだが、正面に道路が見えたので真っ直ぐ進んで道路に出た。しかし次の登山道が分からずにうろうろしていたら、右方向に登った所にピンクテープが見えて無事合流できた。
ここからは道も細くなり薮状になってくる。次の道路を越えてからは傾斜もどんどんきつくなる。疲れもたまってきているので50分歩くことができなくなり、30分歩いては休憩を繰り返しながら、何とか六合目雲海荘に着いた。ここの標高が2493mなので、登った高さも歩いた距離も今までで一番だっただろう。
21日、5時に朝食を食べて出発する。登山道に入って新七合目御来光山荘あたりで、日が昇ってくる。下の方は雲海が広がっている。赤い岩がごろごろした道は、だんだん急になりジグザグに登るようになる。九合五尺の胸突山荘辺りは、名前の通り非常に急だった。やっとの思いで浅間大社奥宮の前に出る。氷が張っていた。
ここから剣ヶ峰までは、また非常に急な道になる。剣ヶ峰には日本最高峰の碑があり、大きな火口が見える。御鉢巡りををするために北の方に向かうと、大沢崩れ上部に出た。朝霧高原がはるか下に見える。この高度差は今までに見たことがなく、富士は日本一の山というのが体感できた。吉田ルートの上部まで来ると、久須志神社や多くの山小屋があった。火口越しに剣ヶ峰や白山岳を見ながら銀明水へ向かう。
赤茶けた岩まじりの砂の道を下る。途中でいくつかの山小屋の前を通り、ブルドーザー道を横切りながら下って行く。下山道に入り馬ノ背を通って宝永山に登る。下には大きな宝永火口が見える。宝永火口まで下ると上から見ていたよりも迫力のある壁が目の前に見える。雲海荘で飲み物を買い小休止して、五合目へ下った。
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