槍ヶ岳


- GPS
- 56:00
- 距離
- 42.7km
- 登り
- 2,907m
- 下り
- 2,900m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年09月の天気図 |
アクセス | |
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
槍ヶ岳は、飛騨山脈(北アルプス)南部にある標高3,180mの山である。山域は中部山岳国立公園に指定されており、日本で5番目に高い山であり多くの人のあこがれの山。北アルプスの山々を登っていても富士山とこの山はいつも注目される。
ヤマケイオンラインでは以下のとおり紹介されている。
鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。
行政区分からいえば長野県の大町市、安曇野市(旧南安曇郡安曇村)と岐阜県高山市(旧吉城郡上宝村)との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。
南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。
しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。
登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。
近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。
その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。
登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。
槍沢コースだと普通二泊三日のコースでまず一日目は槍沢に宿泊となるのであるが、ただ行くだけではもったいない。そこで地図を見ると蝶ヶ岳がコースに組むことができる。
ヤマケイオンラインでは以下のとおり紹介されている。
常念山脈の主峰、常念岳の南に起伏の少ない山稜を横たえるのが蝶ヶ岳。5月末から6月にかけて、この地味な山稜の一部に黒い蝶が舞うような雪形が現れる。松本平の農事暦の1つで、山名もこれからつけられている。
山稜は秩父古生層で構成され、山頂は粘板岩などの砕石で埋まり、北端に岩塊の重なる蝶槍がある。頂上の南には二重山稜があり、蝶ノ池、カモシカの池、長塀(ながかべ)尾根の妖精ノ池など、舟窪地形が多い。
お花畑とともに登山者にとっての魅力は、蝶ヶ岳から蝶ヶ岳ヒュッテにかけての稜線から見る穂高連峰と槍ヶ岳の大展望である。梓川渓谷を隔てて連なる岩峰群は、カール、U字谷などの氷河地形の観察にもいい。
登山道は豊科(とよしな)から三俣までタクシーを利用し、所要5時間。上高地から長塀尾根を登って所要5時間30分。
しかもここは穂高の絶好な展望台。ということでこちらもあわせて登ることに。
初心者にしてはかなり欲張り無謀コース。
槍では鎖初体験。このときに鎖場ってこんなに楽しいのかと感じてしまって2度も頂上に登ってしまった。3日目も登りたかったのですがディズニーランド並みの行列で断念。さながら天上のアトラクションっていう感じです。
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