関西遠征3 金華山 岐阜の名城に向けて登る


- GPS
- --:--
- 距離
- 5.9km
- 登り
- 367m
- 下り
- 367m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
行きは「馬の瀬」、結構な急登である。地元の登山者によると年に10人ほどが滑落するとのこと。 帰りは「めい想の小径」、一番ゆるい道であるがそれでも結構な傾斜があった。 運動靴で登っている人が多かったが、あれば登山靴が望ましいと思う。 |
写真
感想
この師走に関西の方に行ってきました。
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本日2つ目の山である。この山に登って見たいと思っていた理由は3つある。一つは知り合いのおばあちゃんが戦争時代岐阜に疎開しており、「金華山だけはたくさん登った」「私が登ったことがあるのは金華山だなぁ」と常に言っていたこと、「それはよかったねえ」「行ってみたいなあ」という会話をいつもしていたこと。
次は、ある山行記録で、金華山の4つのの登山串をすべて通って2登する記録を読んだこと。
それと、実は私はロープウェーでここに来たことがある。日本百名城登城に挑戦していたころである。とにかく時間がもったいないので(1日は4つ5つは普通に行く)ロープウェーで登り、展望を撮影してまた下がっていった。で、来るなら次は登ってきたいと思っていたのだ。
で、4つの登山道のうち3つは急登りであるので、楽な登山道はくだりにして登りは「馬の背」を行くことにした。
看板には、「老人・幼児には無理です」と書かれているが、幼児も登っていた。近くの地元登山者に話を聞いたところ、3日前にも滑落して大けがを負った人がいるらしい。年間10人ぐらいは滑落し、1人程度は死に至るのだという。特に下りに多く急なところでも前向きに降りてきて滑ってしまうのだという。「ここを下るのであれば場所によっては後ろ向きに下らなきゃならないよ」というアドバイスを受けた。
と、ここにきて登山靴じゃなくてスニーカーで来たことに気づいたのである。登山靴だったら全然大丈夫であろう、でもスニーカーでここを下るのは厳しいかもしれない。
結局、登りは「馬の背」帰りは「瞑想の小径」を行くことにした。
確かに、馬の背はきつかった。でも結構ズック靴とかで登っている人も多かった。老人・幼児もいた(幼児の定義はわかるが、老人の定義ってなんだろう・・・)。
とにかく両手も駆使して登る登る。息をつきながら登る登る、1時間もかからない道だ、でも今日2山目なのもあって結構筋肉にきている。
そんな中、人工物が見えた時の喜びは・・・。ああ、山頂かぁ。
さて、この地に岐阜城ができた。1201年にこの地に二階堂氏が砦を築いたのがこの城の始まりとされている。濃尾平野を見下ろし、木曽川や長良川の水利を抑えた要害の地である。
1400年代から斎藤氏がこの地の守護となり治めることになるが、長井氏の謀反によりいったんは斎藤氏が没落する。その後斎藤道三による下剋上により、再び斎藤氏が治めることになる。
1567年、織田信長は斎藤氏を滅ぼしこの地を「岐阜」と改め、発展させる。その後、織田信雄、池田氏、豊臣氏が城代を務めることになる。
1601年、家康による天下統一後、信長のような天下人がまた現れることを忌み嫌い、この城を廃城にした。
その後、明治時代に復興店主ができて、観光地となった。日本百名城にも選ばれておりたくさんの観光客が訪れるようになった。
その後、展望台から写真を撮り、おにぎりを一つ食べ、下山する。
この登山道のユニークな点は、偉人の名言が所々に見られる点である。面白いですね、この言葉から「瞑想」にふけってくださいということなのでしょうね。
その後下ってきてから岐阜公園内を散策し、岐阜市歴史博物館を見学する。板垣退助が暴漢に刺されたのはここだったんですねえ。と妙に感動する。(予定していなかったですから・・・)
次の日は滋賀県の三上山を予定している、結構な距離を運転せねばならない、関ヶ原でカレーを食べ、暗い中琵琶湖沿いを南下していった。
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