記録ID: 692608
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
十勝連峰
オプタテシケ山
2015年07月08日(水) [日帰り]
danjiri
その他2人
体力度
5
1泊以上が適当
- GPS
- 10:02
- 距離
- 19.0km
- 登り
- 1,546m
- 下り
- 1,528m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 8:56
- 休憩
- 1:06
- 合計
- 10:02
4:31
182分
スタート地点
14:33
ゴール地点
オプタテシケ山は美瑛富士の北隣、十勝連峰の北端に位置する2000メートル超えの山である。山の名の意味はアイヌ語で「槍がそこにそり立っている山」または「槍がそれた山」など諸説ある。アイヌ民族は『この山は雌阿寒岳と夫婦山だったが、離婚の末に槍を投げつけ合う大喧嘩をした。最終的に雌阿寒が槍を当てられ、今でも傷から膿を流している。雌阿寒岳の火口こそが、その傷跡だ』との伝説を伝えている。
道南、道央の山を巡り、富良野盆地に移動した7日こそ雨降りだったが、それ以外の日はすべて好天に恵まれ、予定していた山を順調に歩くことができた。とはいえ前半は狩場山こそ6時間を要したものの、それ以外の山は3〜4時間程度の、比較的軽い山だった。しかし後半に予定している山は、ニセイカウシュッペを除き、オプタテシケ山、芦別岳、石狩岳、ニペソツ山ともそれぞれ8〜11時間を要するきつい山ばかりである。身体は持つかとちと不安である。とくにオプタテシケ山は、11時間を超えるともいわれ身構えなければならない。そこでまだ疲労が蓄積していないうちにきつい山を登っておこうと、後半のトップにオプタテシケ山を充てた。
7月8日、前夜泊まった富良野のオートキャンプ場からオプタテシケ山登山口に向かって走っていると、夜明けの十勝岳、美瑛岳、美瑛富士がくっきり見える。北海道は東に位置しているので大阪あたりより30分ほど夜明けが早い。4時頃でも十分明るい。今日も好天である。風もなさそうだ。今日は長丁場であるだけに気になっていた天候はまずは一安心である。これまで前半も好天続きだったが、今日はそれにもまして絶好の登山日和である。美瑛富士の左手に、両サイドのスカイラインを急激に落とし、肩をいからせた稜線の真ん中にキュンと尖がりを見せる高峰が目に入る。まるでツバメかコウモリを想起させる。そのキャラクターのことは知らないのだが、メンバーの一人が「バットマン」のキャラクターに似ているという。それだけ特徴がある山容なのに、これまで登る予定がなかったので、この高みを気に留めることはなかったが、これがオプタテシケ山でだった。白金温泉を過ぎて望岳台や十勝温泉への分岐を見送り、涸沢林道のゲートに向かう。ゲートは間もなくである。事前に森林管理署に問い合わせて教えてもらったナンバーを回して扉の鍵を外し、林道を走る。この林道利用のおかげで1時間余り短縮できる。11時間がコースタイムといわれるこのルートに、この林道歩きが加わったら日帰りが難しくなってくる。鍵をあけてありがたく林道を走らせてもらう。
登山口の駐車スペースには札幌と宇都宮ナンバーの車が駐車。すでに先行しているようだ。さらに釧路ナンバーの車が入ってきた。登山口で身支度していると、H男さんが
「バナナは匂いがきついのでクマが寄ってくるで」
という。今日は長丁場。口にしやすくて消化がよく、すぐにエネルギーになるバナナは山歩きの行動食としてはベストである。ただ傷つきやすく足が早いのが玉に傷。匂いがクマを呼んではいけない。匂いが漏れないようバナナを入れているポリ袋をしめなおした。
登山届を出して、4時27分スタート。昨夜は長丁場に備えて早く寝付き3時起き。4時半前にスターを切れるというのは、順調な滑り出しである。坦々とシラカバ林を行く。足元にゴゼンタチバナ、マイズルソウが咲いている。いつの間にか針葉樹に樹相が変わっているが、少し勾配が増した程度で変わり映えしない道を黙々と歩く。まだ朝早いのでヒグマの活動時間帯だ。笛を吹き鳴らすことを怠らない。北アルプスの読売新道を思わせるような、巨岩と根張りを縫う歩きにくいところがしばらく続く。「天然庭園」と呼ばれているところだ。多分美瑛富士の火山活動で押し出された岩塊の一部だろう。足を捻挫しないよう、靴の置き所を注意して歩く。登山道は美瑛富士のすそ野を巻くように付いている。樹間から美瑛富士が垣間見える。引き続きイソツツジ、ツガサクラ、ミツバオーレンなどの花がちらほら見られる。
雪渓に出た。斜度はさほどない。雪渓の端を渡って行くも滑落の恐れはない。雪渓の途中で立ち止まれる余裕がある。雲海の上に広がった大雪、トムラウシ、オプタテシケの大展望に歓声を上げる。大雪は茫洋と大きい。トムラウシは双耳峰となって見える。見上げれば紺碧の空に真っ白の雪渓が延び、直下すぎてもう山頂が見えなくなった美瑛富士の岩塊の海が広がっている。
この先いくつかの雪渓を渡ったが、狩場山のようなおっかなびっくりの雪渓に出くわすことはなかった。狩場山の雪渓は尾根直下の東側急斜面に棚のように横たわる雪渓だった。尾根直下とあって斜度があり長い。それに対してここの雪渓は沢に沿って縦に発達し、横切るには短く、登るには斜度が緩やか。逆光の朝陽に、うっすら漂うガスが浮かび上がり、辺りは幻想的風景になる。石垣山、ベベツ岳、オプタテシケ山のスカイラインがどんどん近づいてきた。右手の乳首が石垣山だろう。ベベツ岳がその右手のピークなら、オプタテシケは左手奥のピークだろうか。まだ大分距離がある。チングルマ、キバナシャクナゲ、エゾザクラ、イワウメなどが足元を飾る。最後の雪渓を渡り終えて笹原をたどっていくと、氷が張っている。今朝の旭川の最低気温の予想が8度だった。とすれば標高1600メートルのこの辺りがマイナスになっていてもおかしくない。下山してからこの日旭岳に登った「花組グループ」の人から旭岳ではつららさえ見られ、風も強ったと聞いた。「あと500メートル」の標識が出てくると、笹原にぽつんと建つ美瑛富士避難小屋は間もなくだった(7時34分)。
避難小屋はプレハブ風のこじんまりした小屋だ。美瑛富士に再び秀麗なスカイラインが戻っているが、高度を上げているので高度感はない。石垣山も乳首がかろうじて見えるだけだ。小屋前で一息入れて稜線に向かう。美瑛富士、美瑛岳への分岐を見送り、石垣山へジグザグのガレ場を登る。冷たい風が吹き付け、一枚羽織らなければならないほどだ。といっても強風というのでない。陽射しが強まればこれも涼風に変わるだろう。
振り返れば形のいい美瑛富士と美瑛岳が姿を見せている。十勝岳は美瑛岳に隠れている。もう少し立ち位置が右(東)にずれてくれば見えてくるだろう。石垣山のコブを越えると、残雪をまだらに付けばらけ始めた雲海の上に出ている大雪の大展望が開けた。雲一つない快晴。Ye女さんが「最高!最高!」を連発。先に尖がりのピークが見えている。あれが石垣山だろう、と思い込んでしまった。Y男さんから「11時間かかった」「オプタテシケは見えているがなかなか遠い」と散々吹き込まれている。そう吹き込まれると「見えている」方の印象が薄らぎ、「なかなか遠い」方の印象が刷り込まれてしまった。
石垣山から鞍部に降り立つと(8時58分)、昨夜避難小屋に泊まりオプタテシケ山に行ってきたという5人グループと出会う。リーダーらしき男に女性4人。どうもツアーか、ガイド登山のようだ。続いて単独行の男が下ってきた。昨日途中断念し、今日リベンジしてきたという。昨日僕らは移動日で、それまで一日たりとも降られることはなかったのに、その日だけ降られた。悪天で引き返したのだろう。聞けば4時20分にスタートしたとのこと。僕らより少しだけ早や立ちしたというのに、もう下ってきたか。まだベベツ岳があり、オプタテシケ山はその先だというのに相当な健脚と見受けられる。
登り返しコブを越えて行く。振り返ると十勝岳が美瑛岳の肩越しに見えだしている。足元にはキバナシャクナゲが群生。ベベツ岳と思い込んでいる尖がりのピークが間もなくである。山頂手前で、その先にあるはずのオプタテシケ山のピークがないことに気が付いた。9時54分、そのピークに立つとその先は急激に落ち込み、その先はトムラウシの高みまで針葉樹の高原が果てしなく広がっているだけだ。行く手にずっと見えていた尖がりがオプタテシケ山だったのだ。山名の標柱にも紛れもなくオプタテシケ山と書かれている。もうここがオプタテシケ山であることがはっきりしているというのに、それでも居合わせた単独行の男に
「ここがオプタテシケ山ですね」
と念押しする有様だ。それぐらいこの山をベベツ岳と思い込んでいた。その男は
「ベベツ岳は巻き道側をたどると山名板が小さいので見落としたのかもしれませんね」
と同情してくれた。確かにそれらしきピークはあったが踏まずに巻いた記憶がある。そこがベベツ岳だったのか。ベベツ岳がどのピークか、オプタテシケ山まであとどのぐらい歩かなければならないか、気になってGPSでチエックしたことはチエックした。しかし我がGPSの地図データにはベベツ岳の名前はなかったし、ピークの連なりから判断することもできなかったのだ。
ピークを見間違うということはこれまでもよくあったことだ。しかし、たいがい次のピークこそ山頂ではないかと期待しながら、偽ピークに騙されがっかりするというケースだった。今回の見間違いはその逆である。その行幸のお蔭で登りに6時間以上要すると覚悟していたのに、5時間30分足らずですんだ。オプタテシケ山の珍事は、きっと僕の山の記憶に長く残ることになるだろう。
後続のYe女さん、H男さんに
「おーい、ここがオプタテシケだ。もう登らんでいいよ。儲かったで」
と大声で招きよんだ。登りに5時間30分弱。コースタイムよりかなり短い。30分も山頂にとどまって腹ごしらえをしながら大展望を楽しんだ。馴染みのある大雪やトムラウシはともかく、右手(東側)の高みが気になる。居合わせた男に山座同定をお願いした。どっしり大きいのはニペソツ山、その左奥に見えるのが石狩岳、ちょっと右に離れているのがウペペサンケ山だという。いずれも東大雪の山だ。石狩岳とニペソツもこれから登る予定の山である。飽かず眺め入った。
珍事の山頂を離れる時が来た。陽射しが強まり、稜線にガスが流れはじめている。名残惜しく下っていくと単独行の女性2人に相次いで出会う。女性が単独でよく来るものだ。この山系をよく知る地元の人だろうか。後で出会った女性は今宵は避難小屋泊まりだという。登り返してピークに立った。このピークがベベツ岳だった。小さな山名板がちゃんと立っている。やはり巻き道を通過したので山名板を見落としたのだ。石垣山で美瑛富士、美瑛岳は見納めである。美瑛岳、十勝岳方面の分岐が見下ろされる。ルートを外れてハイマツ混じりのガラ場のショートカットを楽しみながら分岐に降り立った。
美瑛富士避難小屋を過ぎて笹原の切開きを下っていると、大きなペットポトルを手にした長身の男と出会った。石垣山から下山途中、避難小屋の前に人影が認められた、その男に違いない。
「どうしたんですか?」
と声をかけると
「地図に水は雪渓の雪を溶かして利用すると書かれているが、雪渓がなかった」
そんなことはない。下っていけば雪渓はちゃんとあるはずだ。しかし下りきらなかったのだろう。彼は困り抜いている様子だ。僕は今日の長丁場に備えて水をたっぷり担いできた。それにポカリスエットも余っている。僕らはあと1時間余で下山できる。水はもう不要だ。
「水がなければお困りでしょう」
水を譲ることにした。Ye女さん、H男さんも同調。水を寄せ集めると2リットルペットポトルの8割方が埋まった。それにポカリスエットだの、諸々の飲み物が提供された。これだけあれば十分だろう。
彼は長野の人で大雪から十勝へ縦走している途中だという。哲学者のような風貌のひげもじゃらの男は、言葉少なに礼を述べて立ち去った。「旅は道連れ、世は情け」とはよくいったものだ。僕らは晴れ晴れした気持ちで快調に下山し、14時30分、登山口に戻った。長丁場と吹き込まれて少々不安だったオプタテシケ山は、終わってみれば10時間でピストンできた。後に控えている長丁場の石狩岳、ニペソツ山の大きな自信になった。
道南、道央の山を巡り、富良野盆地に移動した7日こそ雨降りだったが、それ以外の日はすべて好天に恵まれ、予定していた山を順調に歩くことができた。とはいえ前半は狩場山こそ6時間を要したものの、それ以外の山は3〜4時間程度の、比較的軽い山だった。しかし後半に予定している山は、ニセイカウシュッペを除き、オプタテシケ山、芦別岳、石狩岳、ニペソツ山ともそれぞれ8〜11時間を要するきつい山ばかりである。身体は持つかとちと不安である。とくにオプタテシケ山は、11時間を超えるともいわれ身構えなければならない。そこでまだ疲労が蓄積していないうちにきつい山を登っておこうと、後半のトップにオプタテシケ山を充てた。
7月8日、前夜泊まった富良野のオートキャンプ場からオプタテシケ山登山口に向かって走っていると、夜明けの十勝岳、美瑛岳、美瑛富士がくっきり見える。北海道は東に位置しているので大阪あたりより30分ほど夜明けが早い。4時頃でも十分明るい。今日も好天である。風もなさそうだ。今日は長丁場であるだけに気になっていた天候はまずは一安心である。これまで前半も好天続きだったが、今日はそれにもまして絶好の登山日和である。美瑛富士の左手に、両サイドのスカイラインを急激に落とし、肩をいからせた稜線の真ん中にキュンと尖がりを見せる高峰が目に入る。まるでツバメかコウモリを想起させる。そのキャラクターのことは知らないのだが、メンバーの一人が「バットマン」のキャラクターに似ているという。それだけ特徴がある山容なのに、これまで登る予定がなかったので、この高みを気に留めることはなかったが、これがオプタテシケ山でだった。白金温泉を過ぎて望岳台や十勝温泉への分岐を見送り、涸沢林道のゲートに向かう。ゲートは間もなくである。事前に森林管理署に問い合わせて教えてもらったナンバーを回して扉の鍵を外し、林道を走る。この林道利用のおかげで1時間余り短縮できる。11時間がコースタイムといわれるこのルートに、この林道歩きが加わったら日帰りが難しくなってくる。鍵をあけてありがたく林道を走らせてもらう。
登山口の駐車スペースには札幌と宇都宮ナンバーの車が駐車。すでに先行しているようだ。さらに釧路ナンバーの車が入ってきた。登山口で身支度していると、H男さんが
「バナナは匂いがきついのでクマが寄ってくるで」
という。今日は長丁場。口にしやすくて消化がよく、すぐにエネルギーになるバナナは山歩きの行動食としてはベストである。ただ傷つきやすく足が早いのが玉に傷。匂いがクマを呼んではいけない。匂いが漏れないようバナナを入れているポリ袋をしめなおした。
登山届を出して、4時27分スタート。昨夜は長丁場に備えて早く寝付き3時起き。4時半前にスターを切れるというのは、順調な滑り出しである。坦々とシラカバ林を行く。足元にゴゼンタチバナ、マイズルソウが咲いている。いつの間にか針葉樹に樹相が変わっているが、少し勾配が増した程度で変わり映えしない道を黙々と歩く。まだ朝早いのでヒグマの活動時間帯だ。笛を吹き鳴らすことを怠らない。北アルプスの読売新道を思わせるような、巨岩と根張りを縫う歩きにくいところがしばらく続く。「天然庭園」と呼ばれているところだ。多分美瑛富士の火山活動で押し出された岩塊の一部だろう。足を捻挫しないよう、靴の置き所を注意して歩く。登山道は美瑛富士のすそ野を巻くように付いている。樹間から美瑛富士が垣間見える。引き続きイソツツジ、ツガサクラ、ミツバオーレンなどの花がちらほら見られる。
雪渓に出た。斜度はさほどない。雪渓の端を渡って行くも滑落の恐れはない。雪渓の途中で立ち止まれる余裕がある。雲海の上に広がった大雪、トムラウシ、オプタテシケの大展望に歓声を上げる。大雪は茫洋と大きい。トムラウシは双耳峰となって見える。見上げれば紺碧の空に真っ白の雪渓が延び、直下すぎてもう山頂が見えなくなった美瑛富士の岩塊の海が広がっている。
この先いくつかの雪渓を渡ったが、狩場山のようなおっかなびっくりの雪渓に出くわすことはなかった。狩場山の雪渓は尾根直下の東側急斜面に棚のように横たわる雪渓だった。尾根直下とあって斜度があり長い。それに対してここの雪渓は沢に沿って縦に発達し、横切るには短く、登るには斜度が緩やか。逆光の朝陽に、うっすら漂うガスが浮かび上がり、辺りは幻想的風景になる。石垣山、ベベツ岳、オプタテシケ山のスカイラインがどんどん近づいてきた。右手の乳首が石垣山だろう。ベベツ岳がその右手のピークなら、オプタテシケは左手奥のピークだろうか。まだ大分距離がある。チングルマ、キバナシャクナゲ、エゾザクラ、イワウメなどが足元を飾る。最後の雪渓を渡り終えて笹原をたどっていくと、氷が張っている。今朝の旭川の最低気温の予想が8度だった。とすれば標高1600メートルのこの辺りがマイナスになっていてもおかしくない。下山してからこの日旭岳に登った「花組グループ」の人から旭岳ではつららさえ見られ、風も強ったと聞いた。「あと500メートル」の標識が出てくると、笹原にぽつんと建つ美瑛富士避難小屋は間もなくだった(7時34分)。
避難小屋はプレハブ風のこじんまりした小屋だ。美瑛富士に再び秀麗なスカイラインが戻っているが、高度を上げているので高度感はない。石垣山も乳首がかろうじて見えるだけだ。小屋前で一息入れて稜線に向かう。美瑛富士、美瑛岳への分岐を見送り、石垣山へジグザグのガレ場を登る。冷たい風が吹き付け、一枚羽織らなければならないほどだ。といっても強風というのでない。陽射しが強まればこれも涼風に変わるだろう。
振り返れば形のいい美瑛富士と美瑛岳が姿を見せている。十勝岳は美瑛岳に隠れている。もう少し立ち位置が右(東)にずれてくれば見えてくるだろう。石垣山のコブを越えると、残雪をまだらに付けばらけ始めた雲海の上に出ている大雪の大展望が開けた。雲一つない快晴。Ye女さんが「最高!最高!」を連発。先に尖がりのピークが見えている。あれが石垣山だろう、と思い込んでしまった。Y男さんから「11時間かかった」「オプタテシケは見えているがなかなか遠い」と散々吹き込まれている。そう吹き込まれると「見えている」方の印象が薄らぎ、「なかなか遠い」方の印象が刷り込まれてしまった。
石垣山から鞍部に降り立つと(8時58分)、昨夜避難小屋に泊まりオプタテシケ山に行ってきたという5人グループと出会う。リーダーらしき男に女性4人。どうもツアーか、ガイド登山のようだ。続いて単独行の男が下ってきた。昨日途中断念し、今日リベンジしてきたという。昨日僕らは移動日で、それまで一日たりとも降られることはなかったのに、その日だけ降られた。悪天で引き返したのだろう。聞けば4時20分にスタートしたとのこと。僕らより少しだけ早や立ちしたというのに、もう下ってきたか。まだベベツ岳があり、オプタテシケ山はその先だというのに相当な健脚と見受けられる。
登り返しコブを越えて行く。振り返ると十勝岳が美瑛岳の肩越しに見えだしている。足元にはキバナシャクナゲが群生。ベベツ岳と思い込んでいる尖がりのピークが間もなくである。山頂手前で、その先にあるはずのオプタテシケ山のピークがないことに気が付いた。9時54分、そのピークに立つとその先は急激に落ち込み、その先はトムラウシの高みまで針葉樹の高原が果てしなく広がっているだけだ。行く手にずっと見えていた尖がりがオプタテシケ山だったのだ。山名の標柱にも紛れもなくオプタテシケ山と書かれている。もうここがオプタテシケ山であることがはっきりしているというのに、それでも居合わせた単独行の男に
「ここがオプタテシケ山ですね」
と念押しする有様だ。それぐらいこの山をベベツ岳と思い込んでいた。その男は
「ベベツ岳は巻き道側をたどると山名板が小さいので見落としたのかもしれませんね」
と同情してくれた。確かにそれらしきピークはあったが踏まずに巻いた記憶がある。そこがベベツ岳だったのか。ベベツ岳がどのピークか、オプタテシケ山まであとどのぐらい歩かなければならないか、気になってGPSでチエックしたことはチエックした。しかし我がGPSの地図データにはベベツ岳の名前はなかったし、ピークの連なりから判断することもできなかったのだ。
ピークを見間違うということはこれまでもよくあったことだ。しかし、たいがい次のピークこそ山頂ではないかと期待しながら、偽ピークに騙されがっかりするというケースだった。今回の見間違いはその逆である。その行幸のお蔭で登りに6時間以上要すると覚悟していたのに、5時間30分足らずですんだ。オプタテシケ山の珍事は、きっと僕の山の記憶に長く残ることになるだろう。
後続のYe女さん、H男さんに
「おーい、ここがオプタテシケだ。もう登らんでいいよ。儲かったで」
と大声で招きよんだ。登りに5時間30分弱。コースタイムよりかなり短い。30分も山頂にとどまって腹ごしらえをしながら大展望を楽しんだ。馴染みのある大雪やトムラウシはともかく、右手(東側)の高みが気になる。居合わせた男に山座同定をお願いした。どっしり大きいのはニペソツ山、その左奥に見えるのが石狩岳、ちょっと右に離れているのがウペペサンケ山だという。いずれも東大雪の山だ。石狩岳とニペソツもこれから登る予定の山である。飽かず眺め入った。
珍事の山頂を離れる時が来た。陽射しが強まり、稜線にガスが流れはじめている。名残惜しく下っていくと単独行の女性2人に相次いで出会う。女性が単独でよく来るものだ。この山系をよく知る地元の人だろうか。後で出会った女性は今宵は避難小屋泊まりだという。登り返してピークに立った。このピークがベベツ岳だった。小さな山名板がちゃんと立っている。やはり巻き道を通過したので山名板を見落としたのだ。石垣山で美瑛富士、美瑛岳は見納めである。美瑛岳、十勝岳方面の分岐が見下ろされる。ルートを外れてハイマツ混じりのガラ場のショートカットを楽しみながら分岐に降り立った。
美瑛富士避難小屋を過ぎて笹原の切開きを下っていると、大きなペットポトルを手にした長身の男と出会った。石垣山から下山途中、避難小屋の前に人影が認められた、その男に違いない。
「どうしたんですか?」
と声をかけると
「地図に水は雪渓の雪を溶かして利用すると書かれているが、雪渓がなかった」
そんなことはない。下っていけば雪渓はちゃんとあるはずだ。しかし下りきらなかったのだろう。彼は困り抜いている様子だ。僕は今日の長丁場に備えて水をたっぷり担いできた。それにポカリスエットも余っている。僕らはあと1時間余で下山できる。水はもう不要だ。
「水がなければお困りでしょう」
水を譲ることにした。Ye女さん、H男さんも同調。水を寄せ集めると2リットルペットポトルの8割方が埋まった。それにポカリスエットだの、諸々の飲み物が提供された。これだけあれば十分だろう。
彼は長野の人で大雪から十勝へ縦走している途中だという。哲学者のような風貌のひげもじゃらの男は、言葉少なに礼を述べて立ち去った。「旅は道連れ、世は情け」とはよくいったものだ。僕らは晴れ晴れした気持ちで快調に下山し、14時30分、登山口に戻った。長丁場と吹き込まれて少々不安だったオプタテシケ山は、終わってみれば10時間でピストンできた。後に控えている長丁場の石狩岳、ニペソツ山の大きな自信になった。
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雪渓を渡るところが何カ所かあるが、おおむね緩やか。アイゼンは不要。ベベツ岳は山頂を巻くと、山名板が小さく見落としやすい。 |
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