燕岳~常念岳


- GPS
- 16:13
- 距離
- 24.3km
- 登り
- 2,420m
- 下り
- 2,494m
コースタイム
- 山行
- 4:44
- 休憩
- 1:25
- 合計
- 6:09
- 山行
- 9:07
- 休憩
- 1:22
- 合計
- 10:29
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
飛行機
一ノ沢登山口からはタクシーを呼びます。穂高駅まで6500円。常念小屋に着いたら手配の連絡をします。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
整備されている |
その他周辺情報 | 中房温泉に前泊した。湯巡りできる。 穂高温泉の各施設を使う人が多いと思うが、今回使った松本市内の『湯の華銭湯 瑞祥』も快適だった。どこかの温泉から毎朝温泉水を運んできているらしい。 |
予約できる山小屋 |
中房温泉登山口
|
写真
感想
遂にこの時が来ました。
人生初の日本アルプスです。
当然今回も長い山行記録です。
毎回読み返すと何を感傷的になってるんだ、と恥ずかしくなりますが、記録の目的は山行の詳細ではなく「感動」を記録することだと僕は見做しているので、ご容赦ください。
今回は中房温泉から登り、燕山荘で1泊し、燕岳・大天井岳・常念岳と縦走して一ノ沢登山口に降りるルートを選びました。本当は蝶ヶ岳まで行って三股登山口に降りるいわゆるパノラマ銀座を選びたかったのですが、日程の都合上一ノ沢に降りることにしました。天気が心配されましたが、ガスることはあっても夜以外で雨が降ることは無く、比較的天気には恵まれたのではないかと思います。
長野に入る前日まで盆にある部活の大会へ向けた追い込みで疲弊しきっていたので、準備万端とはいえない状態での出発となりました。挙句帽子を忘れてしまい熱中症が危ぶまれましたが、霧や雲のおかげで大事には至りませんでした。ザックも小屋泊にしては大きすぎる55Lを選んでしまい、そしてなぜかスニーカーを持って上がってしまうという失態も起こしてしまいました。他にも後述する幾つかのアクシデントがあり、今までの山行の中でも反省すべき点が多いものとなりました。準備から既に登山は始まっていると肝に銘じて、山行に臨みたいです。
さて4:00家を出て飛行機で長野へ向かい、前日は中房温泉で1泊しました。思っていたよりも広い温泉で、湯めぐりができました。何十年も前からここで人が生活してきたのだと感じさせる趣深い旅館で、山行の前線基地として興奮を呼び起こすには十分すぎる場所でした。中房温泉まで自転車で来ることもあるという方に熊本出身であると伝えると「熊本にもいい温泉と道がある、本気で住む場所を探したくらい」と言われ、嬉しく感じました。やはり郷土愛は故郷を離れてこそ改めて感じるものだなと実感しました。
翌日朝食を食べて、比較的遅い7:30に出発しました。北アルプス三大急登の1つと言われる燕岳・合戦尾根でしたが、速度が出せないほど急というわけではなく、比較的速いペースで合戦尾根まで到達しました。調子に乗って急いで登ったのですが、忘れていたのは標高のこと。合戦小屋は標高2350mのところにあり、高度順化のことを完全に忘れていました。急いで登ったから息が上がっているのだろうと思い、燕山荘まで駆け上がった頃には既に呼吸がしづらく、頭の奥の方も少し痛かったです。ゆっくり登れば症状が出なかったとは言い切れませんが、今後高地登山の時には高山病のことを加味してコースタイムを考えなければならないと思い知らされました。合戦小屋はスイカが有名らしいですが、恥ずかしながらスイカが苦手な僕はカルピスを買って飲み干し、燕山荘に向かいました。
歩いていくと急に赤い屋根とテントが見え、階段を登ると、左手に石垣と巨大な山荘、右手に壮麗な燕岳、そして正面に壮大な裏銀座の山々が広がりました。その迫力は過去に無い景色であり、九州では見たことのない山の連なり方でした。登山客もたくさんいて、燕山荘に足を踏み入れると信じられないくらい立派な作りで、僕が泊まった区画だけでも100人は余裕で泊まれるほど大きな施設でした。その綺麗さ、明るさ、広さに胸が高鳴りました。登山客の数も多く、九州ではあまり見かけないような大型の長期縦走用ザックを背負う方やヘルメットをぶら下げた方もいました。初めてのアルプスということもありテント泊ではなく小屋泊を選択したのですが、正解でした。夜は雨も降ったのですが、この上なく快適で、息が苦しいことを除けばまるで家にいるのと同じようなリラックス感でした。
燕山荘に着くと、途中で出会い、最後燕山荘まで一緒に登った福岡から来た子と燕山荘自慢のカツカレーを食べて、燕岳へ向かいました。中々にガスってはいましたが、燕岳は屋久島の永田岳に引っ付いてた岩をより尖m成長させたような、表面の尖った岩が鎧のように見えるかっこいい山でした。イルカ岩、メガネ岩もさらっと抑えて、明日ガスが晴れる事を願い、部屋に戻りました。
ここでなんと所属するアウトドアサークルの方と再会しました。聞けば、メンバーの1人が燕山荘で働いていらっしゃるとのこと。さらにその方と同じ部屋だったので、仕切りを開けてのびのび過ごすことができました。シーズンになると山好き同士は山で再会するというのはよくあることかもしれませんね。
夕食は広い食堂でオーナーのお話を聞きながら肩を寄せ合って食べました。手作りというから驚きです。普段の山行では荷物を出来るだけ軽くしようと必死なので、米のおかわりができると聞いたときにはそんな贅沢なことをしていいのか、と不安にさえなりました。ありがたく2回おかわりしました。
アルコールは高山病を悪化させると聞いていたのでジョッキでビールを飲みたい気持ちを抑え、寝る支度をして20:00には床に着きました。しかしかなり息苦しくしていたらしく、それもあって1:30には目が覚めました。夜は天気が荒れ、雷も落ちましたが、ふと窓から外を見ると星が見えました。再び寝付けそうにも無かったので外へ出てみると見えたのは満天の星空。天に川が流れていると誰でも形容したくなるような銀河の断面が青白く見えました。大きく光る流星を見たときに願い事をする余裕はなく、ただただ美しさに心を奪われていました。突然眩い光が眼下に見えたと思い、目を遣ると下界の街の明かりが見え、その上には厚い雲がかかっていました。音も届かない距離であるにも関わらず度々放たれて目に届く閃光は自然、特にこの地球の持つ強大なエネルギーを感じさせました。時計を見ると2:30。起床予定の3:30までの間軽く横になろうと、部屋に戻りました。
2日目、起きて荷物をまとめると外へ出ました。あいにくガスガスで、ご来光やモルゲンロートは見えませんでしたが、分厚い雲海が広がっており、雲海の縁を成す山脈の稜線から雲が溢れるように見える滝雲も見られました。また今日の進行方向を見ると遠くに明らかに他とは異なる山容が見えました。槍ヶ岳です。いつか登ることになるのかな、と思いながら朝食を摂り、大天井岳へと稜線歩きを始めました。
稜線は常に一歩足を踏み外せば滑落する道で、慣れた人にはそうでもないのかもしれませんが、高いところが苦手なのと息がしづらかったために平坦な道ではありましたが普段のペースで歩けませんでした。ともあれ、おかげでゆっくり景色を観ることが出来ました。常に右手には槍ヶ岳へ連なる山脈が見えていました。全てが初めての景色でした。綺麗でした。確かに綺麗ではありましたが、見晴らしのいい稜線を歩くということは景色があまり変わらないということでもあり、低山は景色が豊かで面白いぞ、とちょっとした九州自慢もしたくなりました。そして途中で幸運にも雷鳥親子に出会いました。写真ではよく見る雷鳥ですが、実際に見るとよっぽど可愛らしく、「クックッ」と小さく鳴く姿に僕含め登山客は歩みを止めて和んでいました。さらにはブロッケン現象も見ることができました。
大天井岳の手前でこれまで一緒に歩いてきた子と握手をして別れ、彼は槍ヶ岳を、僕は常念岳を目指しました。何度も書いていますが、登山中のこういう出会いも醍醐味の1つだと思います。大天井岳で過去最高標高に到達したあとは、時間が押していたため、トレッキングポールを取り出して常念小屋へ急ぎました。突然の猿集団に驚きつつも、ひたすらに歩き続け、ふと振り返り、見えたのは美しく伸びる長い稜線。自分が歩いてきた道が綺麗に見えるのは高地ならではであり、いま自分は地球の表面を歩いているんだと感じさせる景色は、さらに遠くへ歩きたいという欲望を駆り立てました。次はテントも担いでもっと長く滞在したい。
常念小屋に向かうまでの道の中で、九州で遭遇したら「道を間違えたな」と判断して引き返していたであろう道もありました。岩と石の違いは「持ち上げられるか否か」である、と誰かが言っていましたが、その定義に従えば、迷うことなく岩と判断できるものから構成される道?というか岩場を進まなければなりませんでした。進めないことはないけど、こういうのも登山道と呼ぶにだな、と常識がアップデートされた瞬間でした。浮石に注意しつつ歩いて行きましたが、面白いことに浮石はほとんどありません。小さめの石でさえビクともしない。おそらくみんなが踏んでいって石たちが1番安定する位置に固定されていたのでしょう。歩いた場所が道になるとはこういうことなんだろうな。
常念小屋まで標高を落とす道で一旦低い木に囲まれた瞬間、ものすごくいい匂いがしました。土の匂いなのか木の匂いなのかはわかりませんが、高地のザレ場・ガレ場では嗅ぐことが無かった豊かな香りがしました。普段は感じない嗅覚の刺激に驚き、感動しました。ワインの香りの評価に「英:earthly、仏:terreux(土の香りがする)」というのがあるらしく、僕は今までなんかもっといい表現は無かったのかと思っていましたが、この日初めて「土の香り」にポジティブなニュアンスを感じました。実際その香りが「土の香り」か否かはまた別の話ですが。
常念小屋に着いて、荷物を軽くして山頂アタックしようと準備しているとやってきたのは、若い夫婦とお父さんに背負われた赤ちゃん。赤ちゃんを背負って山を登る用のザックがあるとは知りませんでした。診療所でのお勤めのために登ってきたご夫婦と赤ちゃんとの戯れが1日の予定行動時間9時間半というやや過酷な山行の癒しになりました。幼少期から長野で育ったあの子は将来は海外の登山とかに行くのかな、とか考えました。小さい頃から見ていたら見慣れた景色になっちゃうんだもんな、この景色が。僕が故郷の景色が好きなように、見慣れたからと言って好きにならないってことはないと思いますが。将来子どもができたら子どもを背負って山に登りたい。
常念小屋でランチを食べようと思いましたが、現金が6000円しかなく、この6000円は一ノ沢登山口からのタクシー代なので削ることもできず、ここで初めてモンベルのリゾットを食べました。水入れて5分で美味い。アルファ米は日本語で「ほしいい」と呼ぶらしいと最近知りました。古典の授業で聞いたことがありませんか?いつか自分で作って持って行きたいです。最後の登りの前にアミノバイタルを飲んで、軽快に常念岳を登って行きました。山としては単調で、観る山としては燕岳に軍配が上がりますが、頂上からの景色で言えば常念岳は最高でした。頂上には金属の円盤に見える山の名前と方角を記した図があり助かりました。頂上で座って休憩していると、立ち上がって景色を見たときに何故自分がこんな高く危険なところにいるのか、疑問に思うことがあります。わからない。なぜ登るのか。燕山荘のオーナーがいい事を言っていたけど思い出せない。でも登って降りてきたときの自分の表情は生き生きとしているし、周囲の人間への薄っすらとした博愛みたいなものが芽生える。オーナーもそんなことを言っていた気がします。
さて常念岳をほぼ走るように駆け降りると、1000m近い降りが待っています。正午を回っていたので、常念小屋に着いたらすぐにタクシー会社に連絡して迎えを予約しました。降りるだけだろうとたかをくくっていましたがましたが、予想外にキツく長い降りでした。下山前に常念岳とその奥に見える山々をもう一度目に焼きつけて、また来よう、と誓いました。
川の音を聞きながら、九州で見慣れたような林の中を駆け降りていくと突然現れた一ノ沢。登ってくる登山客数人とすれ違いました。水を補給する場所があり、疲労が溜まっていて冷たいものを欲していたのもあって、今まで抵抗があった浄水器を経ない生水を飲んでみましたが、冷たくてめちゃくちゃ美味しかったです。そこを過ぎると崖をジグザグに降りるような狭い道が続きました。ロープこそ張ってあるものの一歩道を踏み外せば転落する場所ばかり。川を渡る箇所も多く、天気に恵まれたことに感謝しました。ほとんど浅い川のようになっている登山道もあり、屋久島を思い出しました。とある場所では大量の岩や石が川のようになっていて、さながら土石流でもあったのかと言いたいほどの場所も。そんな場所では小さな岩から小さな岩へと飛び越えて川を渡るのですが、1年前だったら道が無くなってパニックになっていただろうな、と思いました。それにしても、印を途中で見失い焦りましたが、人間の歩いた痕跡を辿って、登山道っぽい登山道に合流できました。他にもほとんど崩壊しかかっている道もあり、崩れないか心配でした。後半は空腹で視野が20%くらいになりつつも、タクシー会社に伝えた時間よりも1時間遅れていたので急ぎました。今思えば安全のために何か食べてから動いてもよかったかもしれないけれど、転がる石のように加速していた自分にとって止まるという選択肢は取れませんでした。結果2時間半で常念小屋から下山しました。ちなみに途中でまたもや猿と遭遇し「ウッキー!」と驚かれました。
ひたすら降った2時間半、タクシーの運転手に謝って、穂高駅まで送ってもらいました。興奮状態で運転手と話していましたが、聞けば過去には中房温泉に降りた後、タクシーを呼ばずにバスで40分かかるような道を徒歩で降りて、青春18きっぷで東京まで帰った若者もいたとか。まだまだクレイジーさが足りないなと思いながらも、自分はいいかなと思えたことにもどこか安堵しました。松本市内のスーパー銭湯で風呂に入り、夕食を食べて、宿へ帰りました。
初めての日本アルプスはもちろん体験として最高でしたが、自分の体力や装備、登山との向き合い方を考えさせられるものとなりました。最近準備がなおざりにしつつあったことが祟って今回忘れ物が多くなってしまい、予定の時点でコースタイムx0.9で考えて休憩時間も少ないタイトなスケジュールだったため、焦りながら行動しなければなりませんでした。しっかりと休憩も加味してゆとりあるスケジュール設定と綿密な準備を欠かさないようにしようと思います。しばらく遠征はお休みにして、今度は走る方をやってみたい。そしてテント泊も。
後日談
下山の翌日に松本市内の某病院に就活に行ったのですが、そこでは日に4-5人ヘリで患者が運ばれてくるらしく「こんなにポロポロ落ちてくるのをみてたら見るだけでいいな、ってなったよね」と語る先生もいらっしゃいました。マウンテン・ドクターというドラマがあるらしく、つまらないとの評判ですが、観てみようかな。
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