記録ID: 7280590
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ハイキング
京都・北摂
愛宕山9月月詣 散々迷った挙句着地は高雄/神護寺
2024年09月25日(水) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:49
- 距離
- 15.6km
- 登り
- 1,052m
- 下り
- 987m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:32
- 休憩
- 1:17
- 合計
- 6:49
距離 15.6km
登り 1,052m
下り 987m
15:48
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
ここでお会いした方
しばらく談笑
そうこうしているうちに
今日の予定を変更しなければならなかった(-_-;)
服装はそうでもなかったけれど
”トレランしています”
もっと話したかったけれど邪魔しても(-_-;)
”どうぞ”と道を譲る
高雄に車を止めてトレランしていますとのこと、
わたしも久しぶりに高雄へ下りるかなぁ
しばらく談笑
そうこうしているうちに
今日の予定を変更しなければならなかった(-_-;)
服装はそうでもなかったけれど
”トレランしています”
もっと話したかったけれど邪魔しても(-_-;)
”どうぞ”と道を譲る
高雄に車を止めてトレランしていますとのこと、
わたしも久しぶりに高雄へ下りるかなぁ
神護寺
(右京区梅ヶ畑高雄町)
本尊 薬師如来
真言宗の遺跡本山。
山号は高雄山。
正式には神護国祚真言寺。
延暦年間(七八二〜八〇六)に和気清麻呂が河内国に建立した神願寺を、天長元年(八二四)に高雄山に移し、当地にあった高雄山寺と合併、勅願寺とされた。
延暦二十一年(八〇二)に最澄(伝教大師)が清麻呂の長男広世の招きで法華会を行い、大同四年(八〇九)には空海(弘法大師)が入寺。
以来、十四年間住持した。
空海の没後、弟子の真済が宝塔を建て、五大虚空蔵菩薩坐像五躯(国宝、旧宝塔院本尊、現多宝塔安置)を安置した。
仁安三年(二六八)には、中興の祖である文覚が火災で荒廃していた伽藍の再興に着手。後白河法皇に「文覚四十五箇条起請文」(国宝)を上呈した。
以後、上覚や明恵が相次いで入寺、応仁・文明の乱で衰えたがまた復興し、元和から寛永期(一六一五〜四四)にはほぼ再建が完成した。
金堂には、本尊の薬師如来立像(国宝)が祀られている。
平安時代初期の作である。
大師堂(重要文化財)は「弘法大師の納涼房」とも呼ばれ、厨子の中に板彫弘法大師尊像(重要文化財)を安置する住宅風の軽快な建物。
寺宝に「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」(いずれも国宝)があり、わが国の肖像画史上の傑作とされている。
また、大和絵の優品である「山水屏風」(国宝)や、空海が唐より請来した曼茶羅を手本に描かれた、現存最古の両界曼茶羅図である「高雄曼茶羅」(国宝)、「文覚上人像」(重要文化財)など多数の国宝、重要文化財の絵画を所蔵している。
空海筆「灌頂暦名」(国宝)は、弘仁三年(八二一)とその翌年に空海が金剛界・胎蔵界灌頂を最澄や弟子の泰範らに伝授した時に、この灌頂を受けた者の名簿。
(右京区梅ヶ畑高雄町)
本尊 薬師如来
真言宗の遺跡本山。
山号は高雄山。
正式には神護国祚真言寺。
延暦年間(七八二〜八〇六)に和気清麻呂が河内国に建立した神願寺を、天長元年(八二四)に高雄山に移し、当地にあった高雄山寺と合併、勅願寺とされた。
延暦二十一年(八〇二)に最澄(伝教大師)が清麻呂の長男広世の招きで法華会を行い、大同四年(八〇九)には空海(弘法大師)が入寺。
以来、十四年間住持した。
空海の没後、弟子の真済が宝塔を建て、五大虚空蔵菩薩坐像五躯(国宝、旧宝塔院本尊、現多宝塔安置)を安置した。
仁安三年(二六八)には、中興の祖である文覚が火災で荒廃していた伽藍の再興に着手。後白河法皇に「文覚四十五箇条起請文」(国宝)を上呈した。
以後、上覚や明恵が相次いで入寺、応仁・文明の乱で衰えたがまた復興し、元和から寛永期(一六一五〜四四)にはほぼ再建が完成した。
金堂には、本尊の薬師如来立像(国宝)が祀られている。
平安時代初期の作である。
大師堂(重要文化財)は「弘法大師の納涼房」とも呼ばれ、厨子の中に板彫弘法大師尊像(重要文化財)を安置する住宅風の軽快な建物。
寺宝に「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」(いずれも国宝)があり、わが国の肖像画史上の傑作とされている。
また、大和絵の優品である「山水屏風」(国宝)や、空海が唐より請来した曼茶羅を手本に描かれた、現存最古の両界曼茶羅図である「高雄曼茶羅」(国宝)、「文覚上人像」(重要文化財)など多数の国宝、重要文化財の絵画を所蔵している。
空海筆「灌頂暦名」(国宝)は、弘仁三年(八二一)とその翌年に空海が金剛界・胎蔵界灌頂を最澄や弟子の泰範らに伝授した時に、この灌頂を受けた者の名簿。
神護寺の鐘楼は、1623年(元和9年)の建立。
楼上の梵鐘は、875年(貞観17年)に鋳造されたもので国宝。
序詞(じょことば)を橘広相、銘文を菅原是善(菅原道真の父)、揮毫は藤原敏行の手による銘文が刻まれている。
序、銘、書のいずれも当代一流の者によることから「三絶の鐘」と称された。
日本三名鐘の一つ。
楼上の梵鐘は、875年(貞観17年)に鋳造されたもので国宝。
序詞(じょことば)を橘広相、銘文を菅原是善(菅原道真の父)、揮毫は藤原敏行の手による銘文が刻まれている。
序、銘、書のいずれも当代一流の者によることから「三絶の鐘」と称された。
日本三名鐘の一つ。
バス停
1時間に1本
タイミングよくバスが来ました♫
バスの乗客が運転手に乗り換え方を聞いています。
バスの運転手の陳腐な回答?
しゃべりながら走っているので危ない危ない(-_-;)
間違ったバス停をアナウンスしたり・・・。
太秦天神川で下りることになったみたい。
わたしも地下鉄に乗るのでバスを降りた後声をかける
市役所前に行きたかったみたい
地下鉄の駅へ案内、わたしは一つ目の駅で降りるのでたくさんのお話をすることはできませんでしたが喜んでいただけました。
もっといろんなことを聞きたかったみたい。
東京の方でした。
1時間に1本
タイミングよくバスが来ました♫
バスの乗客が運転手に乗り換え方を聞いています。
バスの運転手の陳腐な回答?
しゃべりながら走っているので危ない危ない(-_-;)
間違ったバス停をアナウンスしたり・・・。
太秦天神川で下りることになったみたい。
わたしも地下鉄に乗るのでバスを降りた後声をかける
市役所前に行きたかったみたい
地下鉄の駅へ案内、わたしは一つ目の駅で降りるのでたくさんのお話をすることはできませんでしたが喜んでいただけました。
もっといろんなことを聞きたかったみたい。
東京の方でした。
感想
神護寺の勉強もできて良かった
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訪問者数:267人
神護寺も見学人は少ないようですね、見どころがあってよかったですね。
道は荒れてるようですが。
やっと涼しくなって外歩きが楽になりましたね。
蜘蛛の巣と倒木には悩まされましたが・・・。
気温は20度気持ち良かったです♫
林道が長く登山靴での歩きは堪えました(-_-;)
色々と記録拝見させていただいてます。
神護寺ルートは7月に行きましたが、道を塞ぐ倒木に苦労し、あまり歩かれてないのか蜘蛛の巣には難儀しました。芦見谷も歩きましたが、No45の倒木の写真もあの後しばらく続くので大変でした。倒木を避けつつ沢ぎりぎりのところを進むというのが多く、そこに虫の攻撃が来るのが怖かったですね。
今後未踏の峰山、朝日山に行きたいのですが、色々記事を検索してみると楽しくなさそうですかね。
こんばんは。コメントありがとうございます。
7月に4回も登っておられますね。
拝見しました。
しかも難コースばかり・・・。
わたしは月詣なのでひと月に1回登るのがやっと(-_-;)
昔は良く登りましたが・・・。
細野からの縦走コースも面白いです。
タカノスもいいですね。
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