中央公園Pをスタートして、まずはお目当ての龍崖山が見えてきました。最右の峰
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10/27 8:54
中央公園Pをスタートして、まずはお目当ての龍崖山が見えてきました。最右の峰
(飯能茜大橋)入間川を渡ります。
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10/27 8:57
(飯能茜大橋)入間川を渡ります。
夢馬くん、今日はよろしくね!
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10/27 9:06
夢馬くん、今日はよろしくね!
「八耳堂」(太子堂)本尊は聖徳太子、現建物は文政三年(1820)。
「軍荼利神社」は鎌倉時代当地の武士、大河原氏が創建、殿屋敷に居住し龍涯山に砦を造った。
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10/27 9:07
「八耳堂」(太子堂)本尊は聖徳太子、現建物は文政三年(1820)。
「軍荼利神社」は鎌倉時代当地の武士、大河原氏が創建、殿屋敷に居住し龍涯山に砦を造った。
八耳堂の外観
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10/27 9:07
八耳堂の外観
六地蔵石幢「享和三年癸亥年十一月吉祥日(1803)」お地蔵様の彫りが素晴らしい。
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10/27 9:08
六地蔵石幢「享和三年癸亥年十一月吉祥日(1803)」お地蔵様の彫りが素晴らしい。
宝筐印塔、平成7年の解体修理の際、塔内に銅板経、舎利種子墨書などが納入されていたそうです。
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10/27 9:08
宝筐印塔、平成7年の解体修理の際、塔内に銅板経、舎利種子墨書などが納入されていたそうです。
「豈文化八載舎(辛未)天季秋九月吉日(1811)奉造立爲先祖代々菩提 武州高麗郡大河原村 施主中里善左衛門」
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10/27 9:09
「豈文化八載舎(辛未)天季秋九月吉日(1811)奉造立爲先祖代々菩提 武州高麗郡大河原村 施主中里善左衛門」
狛犬さんは「文化十三丙子二月吉日(1816)」
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10/27 9:09
狛犬さんは「文化十三丙子二月吉日(1816)」
行けの向こうに神社があるようです。
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10/27 9:10
行けの向こうに神社があるようです。
石燈籠には「献聖徳太子/寛政六年甲寅六月吉日(1794)」、こちらで一番の古株のようです。
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10/27 9:10
石燈籠には「献聖徳太子/寛政六年甲寅六月吉日(1794)」、こちらで一番の古株のようです。
仕込んだワケではありませんが、昨日最後に訪ねた聖徳太子塔に繋がりましたね(笑) 亀に乗ったお方がいます。
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10/27 9:11
仕込んだワケではありませんが、昨日最後に訪ねた聖徳太子塔に繋がりましたね(笑) 亀に乗ったお方がいます。
女子プロサッカーチームのトレーニングコースになっているようです。非公認非公式とはこっそり練習してるのかな。
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10/27 9:12
女子プロサッカーチームのトレーニングコースになっているようです。非公認非公式とはこっそり練習してるのかな。
軍荼利神社、明王像には会えず。
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10/27 9:13
軍荼利神社、明王像には会えず。
その上方には摩利支尊天の社、新しめの尊像がありました。
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10/27 9:15
その上方には摩利支尊天の社、新しめの尊像がありました。
元は石鳥居の額でしょうか。
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10/27 9:17
元は石鳥居の額でしょうか。
あらためて登山開始です。山頂は何度は通過したことがありますが、こちら側から登るのは初めて。
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10/27 9:17
あらためて登山開始です。山頂は何度は通過したことがありますが、こちら側から登るのは初めて。
早速、龍崖山の龍がお出迎えしてくれました!
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10/27 9:18
早速、龍崖山の龍がお出迎えしてくれました!
第一ロープ坂を登ると三四郎平。ここが大河原氏の居住地「殿御殿」らしい。
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10/27 9:21
第一ロープ坂を登ると三四郎平。ここが大河原氏の居住地「殿御殿」らしい。
続いて第ニロープ坂を登りきると、
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10/27 9:22
続いて第ニロープ坂を登りきると、
龍崖山246M山頂とうちゃこ!
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10/27 9:29
龍崖山246M山頂とうちゃこ!
大河原城後の縄張図がありました。
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10/27 9:30
大河原城後の縄張図がありました。
主郭の山頂部
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10/27 9:30
主郭の山頂部
堀切跡は草木で確認できず
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10/27 9:31
堀切跡は草木で確認できず
多峯主山、左奥は日和田山かな。
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10/27 9:32
多峯主山、左奥は日和田山かな。
天覧山方面、その向こう側は第二天覧山のある丘陵でしょうか。
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10/27 9:33
天覧山方面、その向こう側は第二天覧山のある丘陵でしょうか。
「龍崖山の碑」(昭和49年):当地は徳川一橋家の領地であったが、明治期に祖先らが共有地として長く生活の支えとした。しかし、急激な土地開発の中で次々譲渡されるに至り、残されたこの美しき山城龍崖を愛守するとあり、歌が添えられています。
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10/27 9:34
「龍崖山の碑」(昭和49年):当地は徳川一橋家の領地であったが、明治期に祖先らが共有地として長く生活の支えとした。しかし、急激な土地開発の中で次々譲渡されるに至り、残されたこの美しき山城龍崖を愛守するとあり、歌が添えられています。
富士浅間神社の祠のようです。冬場なら富士も見えるそうです。
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10/27 9:35
富士浅間神社の祠のようです。冬場なら富士も見えるそうです。
これから向かう柏木山と百年ナラ尾根かな。
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10/27 9:36
これから向かう柏木山と百年ナラ尾根かな。
本日は時間と距離短縮のためこちらから下山します。
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10/27 9:37
本日は時間と距離短縮のためこちらから下山します。
バリだと思ったらオレンジの案内テープやトラロープがあって分かりやすい道でした。
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10/27 9:39
バリだと思ったらオレンジの案内テープやトラロープがあって分かりやすい道でした。
コウヤボウキが咲いていました。
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10/27 9:40
コウヤボウキが咲いていました。
尾根の鞍部
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10/27 9:41
尾根の鞍部
最後は傾斜地を下るとゲートがありました。てっきり自分で開閉するタイプかと思ったら、しっかり施錠されていて一寸焦りました。
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10/27 9:51
最後は傾斜地を下るとゲートがありました。てっきり自分で開閉するタイプかと思ったら、しっかり施錠されていて一寸焦りました。
よく見るとフェンスにテープがあったので、そちらへ。
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10/27 9:52
よく見るとフェンスにテープがあったので、そちらへ。
フェンスの向こうは堰堤がありました。
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10/27 9:54
フェンスの向こうは堰堤がありました。
結局ここに降りてきましたが、ここも施錠されていて、本来は入ってはいけなかったのかもしれません。特に貼り紙等の告知はありませんでしたが…
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10/27 9:56
結局ここに降りてきましたが、ここも施錠されていて、本来は入ってはいけなかったのかもしれません。特に貼り紙等の告知はありませんでしたが…
車道を歩くと柏木山方面との分岐に赤い前掛けで全身を隠された三面六臂の馬頭観世音像。
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10/27 10:01
車道を歩くと柏木山方面との分岐に赤い前掛けで全身を隠された三面六臂の馬頭観世音像。
台石には「安永二癸巳天十二月吉日(1773)」
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10/27 10:02
台石には「安永二癸巳天十二月吉日(1773)」
「大河原村」
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10/27 10:03
「大河原村」
それでは柏木山へ。駐車場には車が数台、数組の方々が登って行かれました。
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10/27 10:06
それでは柏木山へ。駐車場には車が数台、数組の方々が登って行かれました。
登りはノーマルに茜台自然広場からあかね尾根ハイキングコースで。
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10/27 10:09
登りはノーマルに茜台自然広場からあかね尾根ハイキングコースで。
ここで百年ナラ尾根(南コース)と合流、まもなくフェンス沿いの道になります。
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10/27 10:21
ここで百年ナラ尾根(南コース)と合流、まもなくフェンス沿いの道になります。
富士見の丘、残念ながら確認できず。下山時は周回してここに戻って来ます。
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10/27 10:27
富士見の丘、残念ながら確認できず。下山時は周回してここに戻って来ます。
まもなく山頂です
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10/27 10:35
まもなく山頂です
柏木山303m山名板。三月三日が柏木山の日でしたっけ?
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10/27 10:37
柏木山303m山名板。三月三日が柏木山の日でしたっけ?
柏木山三〇三m、山頂標柱。側面に「苅生村誌ニハ、高ドッケ山トアリ」とあります。
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10/27 10:38
柏木山三〇三m、山頂標柱。側面に「苅生村誌ニハ、高ドッケ山トアリ」とあります。
次に目指す多峯主山、竹筒は筑波山をねらっているみたい。
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10/27 10:41
次に目指す多峯主山、竹筒は筑波山をねらっているみたい。
先程の山名板の裏には「Mt.TakadockE」、広々とした良き眺め。新たな船出に「ヨーソロー(好候)!」
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10/27 10:42
先程の山名板の裏には「Mt.TakadockE」、広々とした良き眺め。新たな船出に「ヨーソロー(好候)!」
楽団はこちらにいらっしゃいました。
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10/27 10:43
楽団はこちらにいらっしゃいました。
ここがタブノキの森かな。
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10/27 10:52
ここがタブノキの森かな。
マップでは「カモシカ神社」とありました。
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10/27 10:53
マップでは「カモシカ神社」とありました。
ウラジロシダ北限群生地だそうです。
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10/27 11:02
ウラジロシダ北限群生地だそうです。
まさにシダの道!
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10/27 11:03
まさにシダの道!
ここから初めてのジャンダルム尾根(北コース)へ。
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10/27 11:13
ここから初めてのジャンダルム尾根(北コース)へ。
柏木山にジャンダルムがあったとは!
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10/27 11:25
柏木山にジャンダルムがあったとは!
武甲山もかすかに確認できましたが天覚山がこの程度でした。
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10/27 11:26
武甲山もかすかに確認できましたが天覚山がこの程度でした。
本日は飯能(吾野)生まれのコカリナの里帰り。左がクルミ、右がイタヤカエデ、微妙に音色が異なります。
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10/27 11:28
本日は飯能(吾野)生まれのコカリナの里帰り。左がクルミ、右がイタヤカエデ、微妙に音色が異なります。
コースは右ですが、ここで左の尾根へ
2
10/27 11:37
コースは右ですが、ここで左の尾根へ
こちらも快適な尾根でしたが。
2
10/27 11:39
こちらも快適な尾根でしたが。
沢の近くまで下ると、後はお決まりの藪藪になります。
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10/27 11:48
沢の近くまで下ると、後はお決まりの藪藪になります。
しばらく藪と戯れると車道への出口が見えてきました。
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10/27 11:54
しばらく藪と戯れると車道への出口が見えてきました。
吾妻大橋より龍の頭(龍崖山)と龍身(入間川)です(笑)
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10/27 11:59
吾妻大橋より龍の頭(龍崖山)と龍身(入間川)です(笑)
龍を眺めながらコンビニ休憩、この後は主要ハイキングコースで
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10/27 12:04
龍を眺めながらコンビニ休憩、この後は主要ハイキングコースで
多峯主山271m山頂。石経供養塔には「明和二乙酉(1765)多峯主嶽」とあります。ここに経文が書かれた河原石が一万二千個埋蔵されているとのこと。
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10/27 12:43
多峯主山271m山頂。石経供養塔には「明和二乙酉(1765)多峯主嶽」とあります。ここに経文が書かれた河原石が一万二千個埋蔵されているとのこと。
左、龍崖山と開発された大河原工業団地、そして尾根続きに柏木山。
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10/27 12:46
左、龍崖山と開発された大河原工業団地、そして尾根続きに柏木山。
龍崖山
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10/27 12:46
龍崖山
柏木山、中央が下った尾根かな。山頂部は昼食や休憩の方々で大賑わいでした。
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10/27 12:46
柏木山、中央が下った尾根かな。山頂部は昼食や休憩の方々で大賑わいでした。
黒田直邦侯墓(享保二十年、1735)。直邦侯は丹党中山氏の出身、外祖父黒田氏の養子となり、五代綱吉の時に大名に列す。八代吉宗の時上州沼田城主となり、直後老中に就任。墓銘には「丹治直人」
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10/27 12:51
黒田直邦侯墓(享保二十年、1735)。直邦侯は丹党中山氏の出身、外祖父黒田氏の養子となり、五代綱吉の時に大名に列す。八代吉宗の時上州沼田城主となり、直後老中に就任。墓銘には「丹治直人」
雨乞池の説明板を読んだ子供たちが、鼻をつまんで池の周りを歩き始めました!
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10/27 12:53
雨乞池の説明板を読んだ子供たちが、鼻をつまんで池の周りを歩き始めました!
「息を止めて七廻り」は無理だったようで池の中に異変はおこりませんでした(笑)
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10/27 12:53
「息を止めて七廻り」は無理だったようで池の中に異変はおこりませんでした(笑)
そして天覧山195Mもとても賑やかでした。古くは愛宕山、元禄期には綱吉生母、桂昌院奉納による羅漢像に因んで羅漢山と称していたが、
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10/27 13:14
そして天覧山195Mもとても賑やかでした。古くは愛宕山、元禄期には綱吉生母、桂昌院奉納による羅漢像に因んで羅漢山と称していたが、
明治十六年、近衛諸兵対抗演習の視察のため明治天皇が登頂され天覧山と改称。
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10/27 13:15
明治十六年、近衛諸兵対抗演習の視察のため明治天皇が登頂され天覧山と改称。
人が多かったので「天覧山珈琲」の記念撮影だけして先に進みます。
3
10/27 13:18
人が多かったので「天覧山珈琲」の記念撮影だけして先に進みます。
天覧山の先の脇道にある墓碑の観音像(延享五戊辰,1748)
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10/27 13:26
天覧山の先の脇道にある墓碑の観音像(延享五戊辰,1748)
そう言えば昨年もやってましたね。
3
10/27 13:36
そう言えば昨年もやってましたね。
熱き女の戦いは終わったようです。表彰の拍手が聞こえてきました。
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10/27 13:51
熱き女の戦いは終わったようです。表彰の拍手が聞こえてきました。
丘陵地から一旦離脱して智観寺へ向かいます。
2
10/27 13:54
丘陵地から一旦離脱して智観寺へ向かいます。
丹党加治氏(その子孫が中山氏)の板碑や中山信吉木造と亀趺の木碑、西川材を筏流しする際の大きな画などがあります。
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10/27 14:13
丹党加治氏(その子孫が中山氏)の板碑や中山信吉木造と亀趺の木碑、西川材を筏流しする際の大きな画などがあります。
大日如来坐像
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10/27 14:13
大日如来坐像
大日如来坐像
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10/27 14:14
大日如来坐像
大師堂の中にはお大師様と大日様
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10/27 14:15
大師堂の中にはお大師様と大日様
こちらは宇賀神様、気持ち良さげに眠っているようです。
6
10/27 14:16
こちらは宇賀神様、気持ち良さげに眠っているようです。
丹党の流れをくむ中山氏は智観寺を菩提寺、丹生神社を氏神とした。信吉は豊臣方と戦い八王子城で奮死した家範に次男、家康に取り立てられ水戸藩の付家老となる。あの光圀を二代藩主に推挙する。
2
10/27 14:17
丹党の流れをくむ中山氏は智観寺を菩提寺、丹生神社を氏神とした。信吉は豊臣方と戦い八王子城で奮死した家範に次男、家康に取り立てられ水戸藩の付家老となる。あの光圀を二代藩主に推挙する。
信吉の墓。以後、中山氏は代々水戸藩の付家老として活躍し、当寺には2代、4代を除く幕末までの当主が夫婦で葬られている。
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10/27 14:20
信吉の墓。以後、中山氏は代々水戸藩の付家老として活躍し、当寺には2代、4代を除く幕末までの当主が夫婦で葬られている。
山に戻ります。丹生神社はこのあたりにあったのかな。隣接する住宅街には家範館跡の堀の一部がちょっとだけ残っています。
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10/27 14:24
山に戻ります。丹生神社はこのあたりにあったのかな。隣接する住宅街には家範館跡の堀の一部がちょっとだけ残っています。
飯能ククサ(西川材、杉、名栗カヌー工房)で一服します。東屋は少し壊れ気味でした。
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10/27 14:45
飯能ククサ(西川材、杉、名栗カヌー工房)で一服します。東屋は少し壊れ気味でした。
ト・ロ・ピ・カ・ル
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10/27 15:01
ト・ロ・ピ・カ・ル
飯能桜の森、もちろん季節ではありませんが、あまり整備されていない感じがしましたが…
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10/27 15:01
飯能桜の森、もちろん季節ではありませんが、あまり整備されていない感じがしましたが…
「桜の眺望 第二天覧山」の標柱。
2
10/27 15:03
「桜の眺望 第二天覧山」の標柱。
八幡社、裏手に石仏があります。
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10/27 15:04
八幡社、裏手に石仏があります。
なかなかの馬頭観世音像「元禄十丁丑年八月日(1697)施主中居村 敬白」
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10/27 15:06
なかなかの馬頭観世音像「元禄十丁丑年八月日(1697)施主中居村 敬白」
そして「明治天皇御野立所紀念碑 陸軍大将正三位勲一等功二級男爵 鮫嶋重雄 謹書」、
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10/27 15:09
そして「明治天皇御野立所紀念碑 陸軍大将正三位勲一等功二級男爵 鮫嶋重雄 謹書」、
第二天覧山の碑です。
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10/27 15:12
第二天覧山の碑です。
周辺は引っ付きムシが繁茂。これが見た目以上のしつこさ。今の時季は近づかないほうが無難かも。
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10/27 15:13
周辺は引っ付きムシが繁茂。これが見た目以上のしつこさ。今の時季は近づかないほうが無難かも。
飯能桜の森入口(第二天覧山登山口?)にある案内板、周辺のマップや桜の品種の説明があります。
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10/27 15:15
飯能桜の森入口(第二天覧山登山口?)にある案内板、周辺のマップや桜の品種の説明があります。
宝蔵寺Pに集積された石造物、
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10/27 15:17
宝蔵寺Pに集積された石造物、
弁財天様
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10/27 15:17
弁財天様
六地蔵石幢「宝暦十三癸未歳猛春穀旦(1763) 武州高麗郡中居村 願主大心無道」
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10/27 15:17
六地蔵石幢「宝暦十三癸未歳猛春穀旦(1763) 武州高麗郡中居村 願主大心無道」
信吉の祖父中山家勝(上杉氏家来)は北条氏との河越夜戦に敗れ中山に戻る途中入間川の洪水に阻まれたが老人姿の吾妻天神に助けられる。明治の初めその天満宮が合祀される。
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10/27 15:29
信吉の祖父中山家勝(上杉氏家来)は北条氏との河越夜戦に敗れ中山に戻る途中入間川の洪水に阻まれたが老人姿の吾妻天神に助けられる。明治の初めその天満宮が合祀される。
加治神社。現本殿は明治40年頃智観寺北にあった丹生神社が合祀された時に移築されたもの、信吉の子信正(信政)が寄進した石燈籠6基も移設されています。
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10/27 15:31
加治神社。現本殿は明治40年頃智観寺北にあった丹生神社が合祀された時に移築されたもの、信吉の子信正(信政)が寄進した石燈籠6基も移設されています。
<参考:北条氏照及び家臣墓、八王子市>信政の跡を継いだ弟の信治は切腹を命じられた北条氏照の百年忌に際し供養塔を建立、その両脇には八王子城で最後まで奮戦した祖父家範と信治自身の墓もあります。なお中山氏は幕府に願い出て北条遺臣を家臣にしたそうです。
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10/28 8:31
<参考:北条氏照及び家臣墓、八王子市>信政の跡を継いだ弟の信治は切腹を命じられた北条氏照の百年忌に際し供養塔を建立、その両脇には八王子城で最後まで奮戦した祖父家範と信治自身の墓もあります。なお中山氏は幕府に願い出て北条遺臣を家臣にしたそうです。
代々水戸藩の付家老を務めた中山氏の居館があった高萩市と飯能市は友好都市交流があるそうですが、八王子市との関係はどうなのかな。
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10/27 15:38
代々水戸藩の付家老を務めた中山氏の居館があった高萩市と飯能市は友好都市交流があるそうですが、八王子市との関係はどうなのかな。
飯能弁財天
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10/27 15:49
飯能弁財天
琵琶弾きの弁天様がいらっしゃいました!
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10/27 15:49
琵琶弾きの弁天様がいらっしゃいました!
飯能まつりポスター
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10/27 16:00
飯能まつりポスター
観音寺裏の小路、墓地の入口にあるお地蔵様、墓碑には「慶長元甲申年(1596)」もし本当のセットなら江戸期以前となりますが…なおこの年の干支は「丙申」
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10/27 16:07
観音寺裏の小路、墓地の入口にあるお地蔵様、墓碑には「慶長元甲申年(1596)」もし本当のセットなら江戸期以前となりますが…なおこの年の干支は「丙申」
「おすわさま」、加治一族(中山氏)と平重清(畠山氏)の合力で創建、後に信州の諏訪明神を勧請、さらに八幡社を合祀
2
10/27 16:10
「おすわさま」、加治一族(中山氏)と平重清(畠山氏)の合力で創建、後に信州の諏訪明神を勧請、さらに八幡社を合祀
諏訪八幡神社。9月の秋祭りが周辺諸社の祭りと統合され飯能まつりになったみたい。
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10/27 16:10
諏訪八幡神社。9月の秋祭りが周辺諸社の祭りと統合され飯能まつりになったみたい。
飯能市立博物館の特別展「飯能の山をゆく」(無料)、間に合ったので行ってみました。写真撮影可です。
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10/27 16:14
飯能市立博物館の特別展「飯能の山をゆく」(無料)、間に合ったので行ってみました。写真撮影可です。
「奥武蔵概念図」(『奥武蔵の山と丘陵』附図)
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10/27 16:22
「奥武蔵概念図」(『奥武蔵の山と丘陵』附図)
これが噂に聞く奥武蔵のスキー場ですね。
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10/27 16:23
これが噂に聞く奥武蔵のスキー場ですね。
マンガン鉱
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10/27 16:26
マンガン鉱
智観寺宝物殿にあった板碑(レプリカ)、宝物館は不可だったので、こちらで一部を御紹介
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10/27 16:27
智観寺宝物殿にあった板碑(レプリカ)、宝物館は不可だったので、こちらで一部を御紹介
中山信吉木像
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10/27 16:29
中山信吉木像
信吉の木碑、撰文は交流のあった林羅山、生い立ちからの経歴が記されています。木製の亀趺座は大変珍しいようです。
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10/27 16:29
信吉の木碑、撰文は交流のあった林羅山、生い立ちからの経歴が記されています。木製の亀趺座は大変珍しいようです。
こちらは多峯主山にお墓のあった黒田直邦の木像
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10/27 16:31
こちらは多峯主山にお墓のあった黒田直邦の木像
振武隊の軍旗がありました。何かに使えるかな、と持参した渋沢平九郎とツーショット!
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10/27 16:33
振武隊の軍旗がありました。何かに使えるかな、と持参した渋沢平九郎とツーショット!
軍荼利明王像、こちらは高山不動御本尊のレプリカですが大迫力です!偶然登山開始の軍荼利と繋がりましたね(笑)
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10/27 16:38
軍荼利明王像、こちらは高山不動御本尊のレプリカですが大迫力です!偶然登山開始の軍荼利と繋がりましたね(笑)
こちらの護符は倶利伽羅龍王、欲しい! 岩石や生物、お花などの展示もあり、とても勉強になりました! 本日の山旅は龍に始まり、めでたく龍で終わりました。
6
10/27 16:41
こちらの護符は倶利伽羅龍王、欲しい! 岩石や生物、お花などの展示もあり、とても勉強になりました! 本日の山旅は龍に始まり、めでたく龍で終わりました。
しみじみ日記楽しみましたよ。
龍崖山からのバリルート気になってました。
なるほど‼️あそこかあ〜
柏木山にあった絵馬に
「生涯自立 親離れ 子離れ」
と書いてありました(数年前)
ずっと心の支えです♪
ヒは新しい環境で元気にごはんモリモリ食べているそうです🎶
(落ち着いているそうだ…😊)
タブノキの森でヘビと遊んでましたよ
残念ながらカモシカには会えませんでしたが、龍崖山、柏木山の良さを再認識できました。
なるほど、柏木山にはそういう経緯があったのですね。
もう少し紅葉が深まったら小鹿野アルプス御案内いたします! それでは。 godohan
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