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前回のAdenに続き、Daunt Ridge Crossingを取り上げます。Adenの項で触れたとおり、Daunt Ridge Crossingは分水嶺越との関連が疑われますが、Goat's diaryには分水嶺越につながる地名は見当たらないようです。
「思い出」ではDaunt Ridge Crossingに対する訳語として、ドーント・リッヂ・クロス、ドーント・リッヂ辻、ドーントの交差点、ドーント尾根交差路などを当てはめています。単にドーントリッジと訳されている場合もあるので注意が必要ですが、ドーント尾根交差路などはおもしろい訳語だと思います。
さて、前回と同様Goat's diaryからDaunt Ridge Crossingを検索し、その前後の地名との関連をグラフ化しWebにあげてみました。URL: http://shinji50.sakura.ne.jp/inaka/drc.jpg
グラフからは、Daunt Ridge CrossingがFutatabiと20 Crossingsとに挟まれたところに経路上位置していることが見て取れます。また、Daunt Ridge CrossingとFutatabiとの行き来の間に、Adenが経由地として示されている記録もありますが、Adenが別の場所にあったのか、単に省略されただけなのかは分かりません。
ところで、Goat's diaryの1916年1月29日の記録には次の記述が見られます。
"Futatabi--Dog Hut--inspected the new K.W.S. path called the "Daunt Ridge Crossing." Back via 20 Crossings and Futatabi."。
"「ドーントリッジ・クロシング」と名付けた新しいK.W.S.道を調べる。"(「思い出」)と訳されているとおり、この道は神戸徒歩会が開いた新道のようです。事実Goat's diaryには、この日以降Daunt Ridge Crossingという地名が見られるようになっています。
また、青色矢印で示しましたが、Daunt Ridge CrossingからTansan Pathを経由し、Arima Roadへ抜けた記録が見られます。1919年3月29日のGoat's diaryには、"Fern Valley, Dead Man's Gulch, Goblin Ridge, 20 Crossings, Daunt Ridge Crossing, Tansan Path, Arima Road, Kettle Hill, Futatabi and back over Suwayama. 4 1/2 hours."という行程が記録されています。
この行程にあるTansan Pathについては、近畿登山研究会編「近畿の登山」に炭酸泉路(注)、直木重一郎「六甲・摩耶・再度・山路圖」(1934)に炭酸泉道として記載されているもののようです。分水嶺越を西に進み再度道と交差後の名前のようです。
このように、Daunt Ridge Crossingが再度とトエンティクロスとを結ぶ道であったらしいこと、トエンティクロスから炭酸泉道、有馬道に抜ける経路にあったらしいことが分かります。
ドーントらが自宅近くの諏訪山辺りから山に入り、六甲山の別荘へ向う場合、何らかの経路で生田川上流へ抜ける必要があったと想像できます。利用できるルートとして、二本松から布引貯水池(右岸)、大龍寺から市ケ原へ再度東谷で抜ける等が思い浮かびますが、再度越の北では高雄山とドーントリッジが通る峰などに阻まれ、長谷池辺りまでには適当な道が少なかったのではないでしょうか。その意味で、ドーントリッヂを交差するこの道は神戸と生田川上流を行き来するうえでも便利な道であったと思います。
Daunt Ridge Crossingと分水嶺越の関連を記録した資料を目にしていませんので、これが現在の分水嶺越と重なっているかどうかについては断言できませんが、別の道であったとしても場所としては相当近くに位置したのではないでしょうか。
注:次のURLで閲覧可能です。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977619/85
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