40年位前、親から連れて行かれるだけの山だったが、自分の意思で山に行き始めた頃だった。山のことはなんでも知りたいと、自宅にあった親の購入した雑誌「岳人」(当時はガクジンと読めず、ダケビトだと思っていた)をむさぼるように読んだ。その「岳人」の表紙は少し漫画チックな絵であった。そして巻末に載っていた「表紙の言葉」の文章がすごく面白く、絵と文章が当時の少年の心に響いたのであった。それが私と辻まこと氏の出会いであった。といっても一方的な出会いだけど。
それから「岳人」の表紙の絵と辻さんの文章は毎月のささやかな楽しみでもあった。でも、それも長く続かなかった。ある月の表紙の言葉の最後に「遺稿」と書かれてあった。私が高校1年の冬のことである。高校山岳部に入って、仲間も出来て、さあこれから山の世界を広げるぞ、といった矢先だったのでショックだった。それから辻さんの画文集や、彼の死後、仲間が編集した本を小遣いを工面して揃えたが、1980年に発刊されたこの全画集だけは手が出なかった。価格4万8千円、まだ学生だった身にはとても出せる額ではない。山行や装備の費用工面のため、ご飯にウスターソースをかけただけの食事で過ごしていた時である。この価格はもう超越していて、入手できないのが残念にも思わなかった。最近ふと思い出して、ネットで検索してみると、幾つか中古で売りに出されているではないか。1980年当時よりは小遣いに余裕もあるし、ついポチってしまった。
全15冊の内容は、とても一言では表せない。これから少しずつ辻さんのエスプリを堪能したいと思う。
私と辻さんを結びつけてくれた「岳人」も、出版社の手を離れてしまう。本当にこの出版社には感謝している。ありがとうございました、東京新聞出版局殿。
「山で一泊」は「単独行」と双璧をなす山岳書だと思います。羨ましい全集をお持ちですね。小川スポーツを吸収した池袋東口の秀山荘は八重洲にあったときの辻一の根城だったそうです。山渓の秀山荘の広告のカットを長く書いていたと思います。そのカットをまねして山岳部部員募集のポスターを貼ったら、大勢が説明会に集まりました。そのカットを集めた小冊子を秀山荘が暫く前に頒布していました。お店にまだあるかもしれませんよ。
コメント有難うございます。秀山荘の広告集は、その後ヤマケイが出版したんで数年前に入手しました。小川スポーツは秀山荘に吸収されていたんですね。いつの間にか無くなってたって感じです。70年代後半は新大久保の山道具やに入り浸っていたんで、無くなってたのに気が付きませんでした。あの時代の東京にはいたるところに山道具やがありました。今でも赤羽にあった谷川という店のオリジナル羽毛シュラフ持ってます。
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