奥穂高岳(上高地から横尾、涸沢)
- GPS
- 55:09
- 距離
- 50.5km
- 登り
- 2,559m
- 下り
- 2,559m
天候 | 晴れ(奥穂山頂のみ曇/霧) |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
先月亡くなった父を追悼するため登った三頭山( http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-333275.html )。しかし父は穂高だけで登頂八十回以上を数える専門家でした。にも関わらず私は穂高へ登ったことがありません。そうなるとやはり奥多摩でお茶を濁している場合ではないような気がしてきます。
忌引を取ったばかりだったので気が引けましたが、今を逃すと気持ち的にも行けなくなる気がして、会社に無理を言って遅めの夏休みを取ることにしました。「僕も行く!」と騒ぐ息子と「奥穂なんてやめて…」と懇願する妻を家に残し、まずは松本市内のビジネスホテルで前泊。3時半にムクっと起きてチェックアウトし、沢渡にクルマを停めてシャトルバスで上高地へ。まだガスも濃い6時半に歩き始めました。
幸いガスはすぐに晴れ、見事な晴天に。梓川沿いの遊歩道を延々と歩き、徳沢を過ぎて横尾大橋を渡るとやっと登山道です。しかししばらくは奥多摩あたりと特に選ぶところがない様子で、穂高らしくなってくるのは本谷橋を過ぎたあたりから。ザ・ガレ場という感じの道をこれまた延々と登っていきます。途中でセブンのおにぎりを食い、涸沢小屋についたのはちょうどお昼頃。
腰を落ち着けるにはちょっと早すぎだし、今日中に穂高岳山荘まで頑張っておけば明日がグッと楽にもなります。しかし今回の登山には、父が第二の我が家とまで慕っていた涸沢小屋に逝去を報せるという目的もありました。そこで迷うことなく宿泊手続き。
父と非常に昵懇だった小屋の前オーナーの奥原氏が二年前に逝去していることは出発前に確認済みでしたが、一人くらい父のことを知っている人が残っているだろうと思っていたのです。しかし小屋のスタッフに尋ねると、今は若い人ばかりで昔のことはわからないとのこと。残念無念。
翌朝六時半に出発。不覚にも帽子をクルマに置いてきてしまったということもあり、小屋でヘルメットを借りて万全の体制です。天気は今朝も上々。もう登るしかありません。
涸沢から奥穂と北穂を結ぶ稜線の鞍部に位置する穂高岳山荘へのルートはザイテングラートと呼ばれるガレ場です。これは昨日「これぞザ・ガレ場」などと考えたことが恥ずかしくなるほどのガレっぷりで、途中までは見晴らしのいい緩斜面ですが後半は急に厳しくなります。四つん這いで進まざるを得ないところもあり、先月には滑落死亡事故も発生しています。
穂高岳山荘に到着すると、小屋前にズラっとザックが並んでいます。はてこれは?と思料していると、左手の絶壁から手ぶらの登山者たちが下りてきます。なるほど、ここから奥穂までは40分の行程なので、荷物をここに置いて登る人が多いようです。それでは、ということで私もザックを下ろしてウエストポーチに水筒だけを入れ、ダウンジャケットを着込んでいよいよ最終アタック開始です。
ここから山頂までが全行程を通してのクライマックスとなるわけですが、そのなかでも有名な二連はしごや垂直な鎖場などが続く最初の10分ほどがもっとも危険です。三点支持の基本を守って慎重に登っていきますが、下りのことを思うと憂鬱になります。なにしろ私は高いところが苦手なのです。
最初の難関をクリアすればあとは比較的ラク。祠が見えてくると山頂はもうすぐです。ところがどうしたことか、さあ山頂という時にものすごい勢いでガスが押し寄せてきて、一気に視界が悪くなってしまいました。山頂は強烈な寒風が吹き荒れており、祠を持たないと飛ばされそう。石積みから下りてそのまましばらく待ったものの晴れる様子はなく、これ以上霧が濃くなると(足下が見えず)極めて危険なので撤収することにしました。
帰りは涸沢小屋でもう一泊するつもりでしたが、小屋に戻るとまだお昼。今や小屋に父の知己がいるわけでもなし、予約をキャンセルして下山することにしました。そう決めた理由の一つは、ザイテンの下りで会話を交わした、この奥穂が百名山最後の山だというおばさまが、「横尾まで下りればお風呂があるわよ」と言っていたこと。これだけ汗をかいたにもかかわらず二泊続けて風呂なしというのは私にとってはかなり過酷なことなのです。
足の各所がガタガタになりながらも横尾山荘に3時過ぎにたどり着き、宿泊手続き。石鹸類の使用こそ禁止されているものの、確かに風呂もありました。これで生き返ります。夕飯までのあいだ、談話室で他の登山者たちと色々な話をしましたが、奥穂を経験した今ではいっぱしの登山家のような会話ができるようになっていることに自分でも驚きました。
今回私が登ったのは穂高の中でも最も簡単なルートの一つであり、季節も残雪が消え初冠雪をむかえる前というもっとも簡単な時期。大キレットを始めとした命の危険を伴う幾多のルートがあるのが穂高連峰であり、父はそんな穂高を50年に渡って、難易度がケタ違いとなる冬山を中心に登り尽くしてきた男です。自分で登ってみて改めて父の凄さがわかったということは得がたい収穫でしたが、どうせならもっと早くに登って父と穂高についての会話を交わしてみたかったという苦い思いも残りました。
本来の私はお気楽な山歩きを志向しており、雪山でも丹沢止まりなので、もうこういう登山はしないかもしれません。でもとにかく、来て良かった。それは確かなことです。
たぶん山荘と奥穂の間ですれ違ってます。
とても寒くて風の強い山頂でしたね。
もう少し青空が残ってれば良かったのに残念です。
では挨拶を交わした中のお一人だったということですね。
山頂からの360度の展望は何ものにも代えがたい絶景だと聞き及ぶため確かに少々残念ですが、ほぼ全行程に渡って見事な晴天であったことを以て良しとしたいと思います。
LArcでございます。
奥穂高岳の絶景レコ、拝見しました。
御父様もその絶景に魅せられて、何度も足を運んだのでしょう。
同じ景色をご覧になったこと、またその素晴らしさを理解したことで御父様もきっと喜んでいるはずです。
心から御冥福をお祈りいたします。
ご無沙汰しております。白骨温泉と甲府の要害温泉で疲れを癒しつつ、先ほど帰宅しました。
そうなんです。父が言うには「天気が良ければその素晴らしさが忘れられずにまたすぐ行きたくなり、天気が悪ければ悔しくてまたすぐ行きたくなる」のが穂高だそうで、自分で登ってみてその意味するところをやっと理解できたように思います。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する