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2019年03月16日 09:17田舎通信全体に公開

信州人の呟き。「はじまりは⦅ボーと⦆であった」

予定がない雨の日。さて何をしようか?

山へ行く気も起きぬ。人混みは嫌い。何かを発見しようとぶらぶら歩くのも気が重い。

家でのんびり。でもカミさんの目が怖い。ナマケモノの様にごろごろしていると、粗大ごみのような目で見られそう。

テレビはあまり見ない。読書、音楽、それとも絵を描く、そんな高尚(?)なことはわが身にそぐわない。陽が差し込む暖かい日なら、本を読むふりをして、陽だまりでうつらうつらするのが気持ち良い。

雨の日は、そんなブライトな気分でない。むしろブルーである。そこで炬燵に潜り込んで、ぼんやり目に映る景色を眺める。孫娘の写真が目に飛び込んでくる。その笑い顔につられて笑う。体がぽかぽか温まってきて、頭がボーとしてくる。

他愛ないことを考える。
前に「便利さ故に不便さが増す」と思った。それは事実であるが、でも本当の所「不便さこそが今の時代必要とされているのではないか」と、そんな考えが浮かんだ。

人は便利になればなる程、どこか虚しさを感じ、自分が実感できる実体のあるものを求める。デジタル的なものはますます進歩していく。AIは人間を超え、私達の想像以上のものが現実になる。そういった中で、私達が求めるものは何かと問えば、究極人間が本来兼ね備えている本能を刺激する、バーチャルでないリアルな実体験(五感で感じる行為)に他あるまい。

では何か?登山をしている人は誰しも感じるであろう。苦しみながら頂上に立った時の、達成感や充実感を。それは、まぎれもなく、自分の体(五感)を酷使してきた挙句の到達感に違いないからであろう。

デジタル社会の中で失われていく喪失感を取り戻せる場所を、人はこれからますます欲するようになろう。(それは登山に限らない)

便利さの行きつく先にあるものは、不便でも人間が五感で感じられる実体験であろう。

不便さの中にこそ、これからの時代を生きるヒントがあると思うが、どうだろうか。
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