![]() |
![]() |
![]() |
風吹岩の別名が屏風岩、細かくいえば、風吹岩の西側の垂直近くに立った岩の面をしてその部分を屏風岩と呼ぶのであって、皆さんが登っている岩塊である風吹岩の南側(文献によれば西側)に独立して屏風岩があるのではないというのが結論です。
図向かって左
大西雄一 著.六甲山ハイキング.第 2 版第 2 刷(1971 年 3 月 20 日発行).42 頁.
ロックガーデン中央稜と魚屋道の交点の西に風吹岩、東に屏風岩と示されています。
図中
左の図の現在との異同を示すために、現在の登山道と中野谷を記したもの。脳内で合成してください。
図向かって右
大西雄一 著.六甲山ハイキング.第 4 版第 1 刷(1984 年 4 月 1 日発行).43 頁.
ロックガーデン中央稜と魚屋道の交点の南に風吹岩と示されています。
++++++++++++++++++++
風吹岩と屏風岩の関係
東側は阪急電鉄芦屋川駅、高座の滝からの六甲登山道であるロックガーデン中央稜と、西側は魚屋道との交点に位置する風吹岩。
風吹岩は屏風岩というのかもしれない、これに目を留めましたのは、次の二つのウェブページの記述を目にしたことからです。
まず、
六甲岩めぐりハイキングの著者、江頭務 氏のウェブページ
山魚(yamauo)のホームページ
http://yamauo1945.sakura.ne.jp/
六甲岩石大事典 第1部1章 六甲中央部
http://yamauo1945.sakura.ne.jp/11center.html
竹中靖一 著、六甲からの引用として、登山道を登って登り切った右手に屏風岩があり、その後ろには東へ、高座の滝まで下る稜線があるという意味のことが記されていて、その写真が掲載されています。
これらから、屏風岩は、風吹岩のメインの岩塊の南(ウェブページ中では西)にあり、風吹岩への登り 2 ルートのうち、東側の岩の険しい方を登った右手にあるということになります。
私自身の山行記録では、次のものなどに写真で記録しています。
0200325-岡本バットレス(甲南バットレス)-本庄山西尾根-風吹岩-芦屋下山
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2277389.html
もう一つは、
あるぢちっくでゆこう さん
2006年09月25日 屏風岩
http://te-to-wa.seesaa.net/article/24406612.html
私たちが風吹岩と呼んでいる岩を屏風岩と呼び、地図では風吹岩となっていると記していて、しかも読み方が「かざぶきいわ」としています。
以上の二つの文献から、風吹岩と屏風岩の異同、関係について調べることにしました。
+++++
そうしますと、もう 2 件、風吹岩のことを屏風岩としていると読めるウェブ記事がありました。
関西ウォーカー さん
気軽に自然を満喫!初心者におすすめのコース「阪急芦屋川駅〜ロックガーデン」でひとりハイク 2018年2月27日
https://www.walkerplus.com/article/138279/
和鉄の道 Iron Road さん
https://www.infokkkna.com/ironroad/
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018walk/18walk08photo.pdf
風吹岩と呼んでいるのですが、1 箇所だけ、「屏風岩から北へ下りきったところ横池との分岐」という記述があり、これは風吹岩を指していると考えられます。
https://www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/6iron10.pdf
風吹岩での記録の際に、風吹岩の写真とともに、屏風岩としています。
+++++
また、昭和 9 年(1934 年)発行、直木重一郎 實地踏査並ニ編纂、六甲_摩耶_再度山路図では、ロックガーデン中央稜と魚屋道の交点の南に風吹岩(屏風岩)と示されています。
MuscleTurtle さん
HOLLS BEHIND KOBE
https://muscleturtle.jp/download-file/
以上 5 点の文献からは、風吹岩 = 屏風岩であるとするのが妥当なようです。
+++++
竹中靖一 著、六甲の記載は、登り切ったところにある屏風岩の後ろにロックガーデン中央稜が東へ続いているという意味でしょうから、これは風吹岩そのものと思われます。
江頭務 氏のウェブページで屏風岩としている岩は、前段に示す竹中靖一 著、六甲の記述と合いません。
では、竹中靖一 著、六甲の登り切った右手にある屏風岩という記述の仕方は、どう理解すればよいのでしょうか。
魚屋道(または金鳥山から)を登ってきて風吹岩に至る場合、現在は、西側の登山道と、東側の岩が険し目のルートと、2 ルートあります。
神戸市の道標は、西側の登山道の下、登りで右カーブのところにあります。
芦屋市詳細図では、風吹岩に至るルートは西側の登山道です。
山と高原地図(手元にある 2015 年版)、六甲山系登山詳細図、地理院地図でも、風吹岩に至るルートは西側の登山道です。
つまり、竹中靖一氏は、西側のルートを上りきったところの右手には風吹岩の西側の切り立った岩の面が横長に、巨大に連なっているのを指して、屏風のような岩、つまり屏風岩と呼んだのではないでしょうか。
江頭務 氏が示された屏風岩よりも、屏風らしい感じの写真になっています。
20200404-風吹岩-薬大尾根
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2287810.html
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2287810&pid=c4910eca784240ff02ae5c38622a4e7c
両方を比べるように写真を撮りました。
20200325-岡本バットレス(甲南バットレス)-本庄山西尾根-風吹岩-芦屋下山
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2277389.html
なお、東側のルートには石垣の跡があり、昔は何らかの建造物があったと思われます。つまり、登山道としては使われていなかった可能性があると考えられます。
20150729-風吹岩-石垣の遺構
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2251159.html
+++++
大西雄一 著、六甲山ハイキングの第 2 版第 2 刷(1971 年 3 月 20 日発行)42 頁と第 4 版第 1 刷(1984 年 4 月 1 日発行)43 頁との違い
おそらくは、古い方では登山道をはさんで風吹岩と屏風岩を別々にしていたものを改訂、訂正したのだと思います。
++++++++++++++++++++
参考、風吹岩の地図上の記載
昭和 16 年(1941 年)発行、吉岡繁松 著、山陵會 編、近畿ハイキング・コース
国立国会図書館
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043785
ロツクガーデン・保久良神社コース(家族向)244 - 245 頁
ロックガーデン中央稜と魚屋道の交点の南に風吹岩と示されています。
六甲山紀行 さん
http://rokkosan.sakura.ne.jp/rokkosankikou/book/index.htm
昭和 31 年(1956 年)発行、六甲山附近詳細図
六甲山付近明細図
http://rokkosan.sakura.ne.jp/rokkosankikou/book/rokko002.htm
風吹岩の位置は示されず、文字はロックガーデン中央稜と魚屋道の交点の北に書かれています。
昭和 61 年(1986 年)5 月発行、市民のグラフこうべ No.163 の地図でも、ロックガーデン中央稜と魚屋道の交点の南に風吹岩と示されています。
https://www.graphkobe.jp/detail/163.html
https://www.graphkobe.jp/detail/img_detail/163/163_032.jpg
現在の山と高原地図(手元にある 2015 年版)、六甲山系登山詳細図でも、ロックガーデン中央稜と魚屋道の交点の南に風吹岩と示されています。
++++++++++++++++++++
注記
図左、六甲山ハイキング.第 2 版第 2 刷 42 頁の地図の現状との違い
これは、57 年前の地図です。
薬大尾根(中野谷西尾根)、魚屋道(本来の谷道の方)、魚屋道の尾根道(中野谷東尾根)、蛙岩の位置と経路が、現在と大幅に異なっています。おそらくは、誤りも含まれていると思われます。
保久良神社、金鳥山、山ノ神、権現谷は現状と同じです。
権現谷の東の尾根道の登山道が薬大尾根(中野谷西尾根)で、現在は、神戸薬大(旧神戸女子薬大)の東側から北側へ西進してから尾根に乗って登るようになっています。この地図のように権現谷から登ることはできないようです(2017 年から法面工事をしているあたりになります)。
中野村谷(中野谷)は、現在は通行することが著しく困難で、北上した場合、左俣は薬大尾根の鉄塔 2 番目の下が源頭、右俣はこの地図のドブ返しの池あたりが源頭になります。この地図のような尾根筋を辿る道はありません。
魚屋道の文字の下、南に連なる尾根筋の道は、現在の魚屋道の尾根道を指していると思われますが、現在は、麓から登るようにはなっておらず、魚屋道の谷道(本来の魚屋道でカエル岩に行き着く、宮川沿いの谷道)の麓から 1/5 あたりのところから西へ分岐して登るようになっています。
ドブ返しの池の文字の下の東西の尾根筋は、会下山尾根が相当し、他にここに三叉分岐を持つ東西の尾根筋はありません(芦屋地獄谷の南の西南稜には三叉分岐のような分岐した尾根はない)。
蛙岩は、「し」の時の下の三叉分岐に位置するはずです。これは現状との違いではなく、誤りだと思われます。
魚屋道谷道(宮川)は、この地図の蛙岩の「岩」の字の所を北上し、その上の三叉路の南西に下から合流し、そこに蛙岩があるのが現状です。宮川の東側の尾根には、現在は登山道はありませんが、地理院地図には破線路が描かれています。
図中に現状の登山道を赤線で、中野谷を青線で示したものを並記します。図左と脳内で合成してみてください。
+++++
図右、六甲山ハイキング.第 4 版第 1 刷 43 頁の地図の現状との異同
これは、37 年前の地図です。
金鳥山から風吹岩に至るコースの黒の実線が尾根道を辿っていますが、鉄塔 2 基(北側は岡本梅林の火の見櫓)は、現状ではこのコース上にあります。
地図の灰色の線は、現地では谷筋です。鉄塔 2 基と思われる記号もこの谷筋に当たるはずの灰色の線上に書き込まれていますが、いずれも誤りと思われます。
風吹岩に添えられている 437 という数字は標高を表していると思われます。地理院地図でも 437m になっていますが、風吹岩にある看板には 447m とあります。
本庄山三角点のところに 424.9 という数字がありますが、地理院地図では 424.5m です。
この本庄山から西に 2 本の尾根筋が描かれていますが、水平道に至る南西の尾根筋は現地にあります(関電プラ階段と鉄塔 6 番目)。
岡本八幡神社、八幡滝の上流で、右俣がハブ谷、左俣が八幡谷というのは、他の地図や文献と整合しています。これが正しいのでしょう。
+++++
風吹岩の読み方
「かざふきいわ」というのが本来の呼称らしいのですが、「かぜふきいわ」と呼ばれることがほとんどのようです。「かざぶきいわ」という記述も、上記のように、あります。いずれ、これも調べましょう。
+++++
竹中靖一 著、六甲.昭和 8 年(1933 年)発行
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001509797-00
六甲山紀行 さん
http://rokkosan.sakura.ne.jp/rokkosankikou/book/index.htm
昭和 51 年(1976 年)10 月に中央出版社から復刻版が発行されているのだそうです。
現在、新型コロナウィルスのために図書館が閉まっているので、また後日、調べに行きますが、「このあたりを風吹と呼び、付近一帯を横と称する。」とあるそうです。
風吹岩、横池それぞれの名前の元のようです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する