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「十勝岳に源を発した川が美瑛の町を流れている。松浦武四郎が初めてこの地へ来て、その川の水を飲もうとすると、アイヌ人が「ピイエ、ピイエ」と叫んで留めた。ピイエとは油ぎったという意で、それは十勝岳に噴く硫黄が混っていたからである。美瑛という名はそのピイエから来た。
町が出来だのは明治一十九年( 八九六年)で、初めは美英であったが、英は英国に通じるという排外思想から、瑛というむずかしい字に変ったのだそうである。
美瑛の町役場の屋上から、私は秋晴れの東南の空に十勝連峰を眺めた。主峰十勝岳を中央にして、その右に上ホロカメ。トク山、一峰山、富良野岳、その左に美瑛岳、美瑛富士、オプクテシケ山。眺め飽きることがなかった。
十勝岳はコーデ式の活火山である。主峰に十勝岳という名が固定したのは明治一十年代であろうと思われる。」
「今日、盛んに噴煙をあげているのは、この火口ではなく、新噴火口と呼ばれるものである。それは大正十五年(一九一六年)五月一十四日、突如爆発したものであって・・・」
と深田は説明している。
十勝地方の勇たるやまであり、かつ北海道の中心部にあって大雪と石狩エリアにつらなって大きな山域をしめしているが、十勝なりの特異性をもつとも言えるだろう。
美深温泉PA=白金温泉=6:30望岳台7:05〜8:03避難小屋8:10〜9:16山頂へ1.6km地点〜10:15十勝岳10:35〜12:18避難小屋〜13:01望岳台
登るまではいつも心配が先立つ。今回も予定したようには行かず、体調を考え一番やさしいコースを選んだ。
ともかく登れて何より。山頂の景観は皆無であったし、風は治まる気配もなく、諦めて下山する。振り返り 何度も様子を見たが、山頂は雲が取れないようだ。
北海道を一人で動き回っている自分が不思議だ。でも似たような人も見かける。でも十勝岳の山頂にも立ちました。
この山を詠った歌人の短歌を見てみよう。
九条武子 十勝嶽けむりをおさめ横雲の動かずあれば目にはろばろし 「薫染」
けむりあく十勝の嶽の上にしてまさおき空はいよいよすみたり
あきらめのため息ならず火の山は憤怒の息を大空に吐く
「白孔雀」 あなけうと十勝の嶽の吐く煙巨石のごとくむらがりのぼる
島木赤彦 真向ひの十勝ヶ嶽の名を知らぬ夫婦木を伐れり森の中
九条 武子(くじょう たけこ、1887年(明治20年)10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活動した
この人がいつ北海道で十勝岳を詠んだのかはわかりませんが、大正時代に活躍した女性です。佐々木信綱に師事したと言う。
小田図慎 十勝岳雲かがやけり裾原の叔松林風に揺れつつ
泗井暇治 秋すでにふかきをおぼゆ草枯れてくろまめのきも果をたくはへぬ
酒井廣洽 この嶺を浸ちわかれゆくやまみづ丹會ふことなけむ北と南に
同 山越えし路のかたへにおのブから川のながれの方向かはりつつ
同 夕さむき村の啜に雪の面の皺めるみれば吹き凍えつつ
林田一穂 鬼樺の落荒を踏みて十勝嶺を一脈一脈と人おりて来ぬ
春日井親 はたた雷十勝山服にとどろきつはや稲田には蜻蛉とび交ふ
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