短歌で詠う百名山39 上州武尊岳
「武尊」と書いてホタカと読める人は相当の山好きであると、深田久弥は冒頭に書いている。ヤマトタケルの東征の物語から名づけられているのだ。ヤマトタケル(日本武尊)の東征に係る山の名は、両神、武甲、神坂峠、四阿山から伊吹山までかかわっていると言うが、時にこの山は武尊の名、そのものである。
しかし、その由るべき記録はないそうだ。
でもこの山は群馬県の片品の奥山で、川場スキー場から冬には登る人も多い。
ではあるが、この山は歌人の知るような山ではないので、詠われることがすくなく、短歌では目にすることがほとんどない。最近私が利用する、「うたのわ」ネットにもヒットする歌が無いでした。
しかし、歌人松村英一の歌集について、来島靖生の「歌人の山」の中で松村英一の谷川岳の項での説明から、彼が早くから登山をしていたことを知り、全歌歌集を手に入れて、ページをめくっていたところ、二首を見つけました。
「越中中里」
雨雲の一日晴れねば武尊山みなみの空についに見えざりき 「河社」
「山麓の春」
雪をかぶる山より晴れて雲の間に雪の来ぬ武尊山みゆ 「露原」
また「うたのわ」ネットでも詠った人はおらず、登られていなことがわかります。
関越自動車を新潟方面に向けて走ると正面に赤城山が見えていますが、その更に右奥に上州武尊が見えてきます。手前には日光連山が連なって、一番高い白根さんが見えて、さらに男体山がその隣いみえて、国境の山が左右に広がります。
二首しかないことと、日本山岳短歌集にも歌が取られていないことは、とてもおかしいことにも思える。
歌人松村英一は早稲田大学で、窪田空穂と出会い、師事して短歌を学び、国民文学の活動を進める人になるので、窪田の影響も受けて山の歌も多い。
思わぬところで上州武尊岳の歌を得たことはとてもうれしい。
先の松村の歌は歌集「河社」は昭和9−12年の作品で、歌集「露原」は昭和15年から20年までのもので、昭和22年に出版されたものだ。しかし、当時から知られてはいたようだが、希少な作品と言えるが、遠望しての歌で登ってはいない。
ヤマトタケルの像が立つほどの山が、戦前においても有名ではなく、また戦後、「天皇制度廃止」などを唱える左翼運動において、古代神話を声高に言うこともなく、世間から忘れ去れていたのか。
私の持っている昭和43年(1968年)度版の「谷川岳と越後の山」では、上州武尊は入っていない。1900年版に1本のコースが紹介されている。
深田は、この山が修験者の山としての歴史をもち、武尊講があって、その表道は花咲口であったと言うが、その道が今では廃っているのか、どうか気になるところだ。次回花咲口から歩いてみたいと思う。
私は、妻と1992年に登り、2011年も登り、その後川場スキー場から冬に登った(ただし、私は山頂手前の道を誤りそうなところで、仲間の下山を待った。)
上州武尊山は遠くから見ると黒々として岩峰の峰であることがわかる。
2000mの高しかないのが惜しいくらいの立派な山だと思う。
こんばんは
お久しぶりです。
上州武尊は、北アルプスの穂高と判りやすくするために、上州を付けたとか?聞きました。
花咲口はどうだか判りませんが、自分は武尊牧場方面から入山してます。
山頂近くの日本武尊像も行く度に拝んでます。
コメントありがとうございます。
歴史的には花咲口が昔の信仰登山の名残があるそうですよ。改めて行きたいと思っています。林道で登山口まで行けそうですね。いい山ですよね。100山書くのも大変だ!
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