私が山を始めて、2年目の冬、昭和38年念の1月、FACで丹沢の沢登り集中登山があった。私は加藤さんと二人で勘七の沢を登ることになった。
丹沢の沢の滝は氷結することがなく、冬でも多くの人が入っていた。登山靴のままで当時は登っている。
勘七の沢は初級レベルであるが、途中に15mの大滝がある。沢の真中にある。私はこの大滝で落ちた。
自分の記憶では滝のかなり上まで登っていき、ホールドが探せずに、止まってしまった。すでに登っていた人の姿を見たような気がする。
ザイルを持っていなかった。あっても私がトップで登っていたので役に立たない。
指先の力と腕の力が耐え切れなくなって、垂直に落ちた(と思う)。
足のスタンスが確保できなかった状態が長く続いていたのだろう。どういう状態で落ちたかわかっていない。記憶にあるのは手を放した瞬間だ。
放したというよりは、耐え切れずに岩から手が抜けたという感じ。その時に
まさに落ちていく自分が分かるのだが羽がふわふわ落ちていくように長く宙に浮いてるような気持ちのよさがあって、着地して意識が戻った。
その瞬間、着地するまで、たぶん1秒はかかっていないだろう。すーっと意識が消えた。その消えていく瞬間が気持ちがよかったのだ。着地して意識が戻った。だから生きていた。
この1秒の長さは1秒以上の長さに思えていた。そして気持ちよかった。死ぬとは思わなかったが、落下する瞬間に意識が飛んでいた。目をつぶっていたわけではないが、目は何も見ていない。
大滝の左のサイドに取り付いていた。落ちたところは滝つぼではなくて河原状のところであった。
まっぐに落ちたので足から着地した。どこも打たずに落ちた。着地して右足の甲を捻挫しただけで済んだ。
落下する瞬間というのは意識が飛んでしまうことを体験した。それは、もし岩場や沢でも稜線でも、人間は落ちるときは意識がなくなるとすれば、そのまま、あの世に行ってしまうのかもしれないということだ。
正直、死ぬ瞬間というのは痛みがないのだと思う。
17歳のときの体験は、私をロッククライミングというジャンルに対して臆病にしたが、落下の瞬間の<気持ちよさ>は記憶に残っていた。
怖いという気持はもたなかった。
その後、こういう体験はないが、昨年の11月に、お花畑と小川を夢に見た。小さな小川が三途の川なのだ。向うに観音菩薩が背を向けて立っておられた。手招きされなかった。だからその小川を渡らずに戻ってきた。黒部五郎のカールのようなところだ。
ははは・・・もういつお迎えが来てもおかしくない歳になったってことだ。
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