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内田芳明教授、マックス・ヴェーバー「古代ユダヤ教」の翻訳者。岩波文庫版が出ています。
私は神奈川大学に昭和39年入学、43年学部卒、46年に修士課程修了(1年休学した)。39年に経済史の講義を聞いて、3年からゼミ生となった。以後先生に師事したが、語学力のなさに挫折、学業の道をあきらめた。
その経緯があって、先生にふがいない弟子としてお詫びをいいたかった。院生時代に結婚をして、先生の期待にそわなかった。
当時、山岳会に所属していて、仲間を冬の硫黄尾根でなくし、その捜索に3回出かけたことがある。
今日集まったゼミの仲間から聞かされたのは、事情をを知らない先生が「自分の学生の時にはそんなに山に行く時間はなかった」と言われていたということだった。それだけ学業に励めてというお叱りだったのだろう。
厳しい先生だった。今日も全員がお会いするまでは全員が緊張していた。
私は大学では出会ったことがなかった一番若いS君は、事前に文章をしたためて、先生の前で読み上げた。文章にしなければ話せないからというほど、緊張していたのだ。それは先生への謝辞であった。全員に共通する思いを述べてくれたのだ。
2時間はあっという間に過ぎてしまったが、先生も久しぶりにウェーバーの話をされたと思う。
我々が今もってウェーバーから離れず、先生の著作を読んでることに奥様は驚かれていた。そして先生もおそらくこういう学生がなお40年の歳月を経て現れて、先生に感謝の言葉を述べられたことに、驚きと教師冥利をか感じていた違いない。
でもそれは間違いない事実なのだ。我々一人ひとりが少なからず、その影響の中で人生を過ごしてきた。それもこの年齢になったからこそ言えることなのだ。
先生は88歳だ。それでも2008年に本をだされ、また今月に一冊出るという。この学者としての意欲、大いに生きざまとして学ぶものがある。歳を重ねても経験に甘んずるだけでなく、なお新たな生産的行為を継続するところに敬服する。
私はこの日、先生に意外なことを聞かされた。
「女子学生が私のところに来て、先生、彼はだいじょうぶですか、授業中、先生にあんなにつかかっていて、と心配していたことがあったんだよ」
「え〜、そんな!」
ゼミの授業中に、先生にたくさん質問などしていたなんて記憶にない。
「君は優秀な学生だった」
思まずわが耳を疑った。先生がそういう印象で私をみていてくれた。初めて聞かされた褒め言葉だった。これはこの歳になって嬉しいことだ。
私の人生を語るときに、宝物の言葉が二つあった。イトーヨーカー堂の伊藤社長から会社を辞めるときに、「お前とは心が触れ合ったように思う。いつでも戻ってきていいぞ」という言葉。労働組合の委員長から「あんたの悪口は同僚と部下から聞いたことがなかった」という言葉だ。それに一つ今日先生の言葉が加わった。
初めて聞かされる逸話がいくつもあった。
この日、先生は昔の鋭さは失せて、いいおじいさんになっていたが、ウェーバーのこと、当時の大塚史学のことなど、学問的な話をされるときは昔と変わらぬ雰囲気があった。先生は横浜国大に移られ、退官してから中部大学の教授をされていた。
「先生、国大に移られてから、我々のような出来の悪いのと違ういい学生に出会われたでしょう」と質問したら、しばらく間を置いて、
「君たちがよかった、時代だな」とおっしゃられた。
我々が学生だった昭和40年代、1970年代、学園紛争や70年安保に日本が騒然としていた時期、「生き方が下手だった」と回顧される先生に影響を受けて、下手な生き方をしてきたが、間違いなく青春時代、先生と、またウェーバーと真剣に格闘していた時期があったのだ。それは幸せな青春だったのだ。
改めて自らの人生を振り返ると、挫折の繰り返しではあったし、上手に生きてこられなかったけど、自分の人生を幸せな人生として総括できるだろう。
そして今、山という、青春時代の忘れものと向かい合って頑張ってる自分がいる。
チベットの子供たちのためにももう少し頑張りたい。
そのためにも元気でいることだ。帰りの江ノ電の車内で、仲間と歳をとるということは肉体的なこともあるけれど、気持ちが老けたらいけないんだという意見で一致した。みな大満足の時間を過ごせたのだ。
え〜 恥ずかしながら「古代ユダヤ教」は
岩波文庫版の上巻の途中で読むのをやめています
正直旧約聖書を読んでいないと
・・・つまり基礎的な知識が揃っていないと
理解できないと思えたからです
そして旧約聖書も列王記までは楽しく読めましたが
ヨブ記に差し掛かったら、これまた読む気がなくなりました
正直 史記の伯夷列伝のほうが心を打つし、
強烈な創作臭が、おそらくユダヤ社会にエセ預言者が
現れるようになった以後の時代を反映して作られたせいなのか
それが気になって、読むのを中断しました
しかし「ユダヤ社会にエセ預言者登場」という考えが私に現れたのは
Max Weberの影響です
ともかく私にはまだ古代ユダヤ教はたどり着けない遠い山です
q0u0p0さま。古代ユダヤ教の本をだけでも大したものです。敬服。
本当は下巻の捕囚時代の第二イザヤの分析の部分が圧巻で面白いのです。
ユダヤ人の歴史というのを理解すると世界史を見る目が少し変わりますし、イエスがその第二イザヤに予言された救世主としてふるまっているのもわかるのです。
ヨブ記は神義論で、日本人にはなじめない信仰態度が歌われています。この態度はイスラム教に通じていきます。
というように、ちょこっと克服すると、生意気なことを言うようになるもんですから話相手がいません。
でも思想史の研究として、最初のものでしょう。
マルクスはウェーバーが分析する幸福の預言者としてとらえられるのです。
まあ、そんなことを、集まった連中は面白おかしく話す連中でして、世間からは疎外されて生きておりますよ。
ですから山が慰めでして・・・
デマゴーグというのがエセ預言者でして、世間にはよくいるやつです。原発は幸福をもたらすなんて平気で言ってた輩がそれですね。
能力才能には恵まれておりませんが、青春時代、難しい学問といわれる範疇で格闘していたのは、いい思い出です。
今では山と格闘してますが、どこまでやれるやら・・・
老後難民という標語が現れて、体は元気で金がいない年寄を言うようです。私もその難民になりつつある、いや難民だ
え〜、私の守護尊は不動明王でして、雪渓登りながら
<ナウマクサンマンダバサラダン・マカロシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン>などと真言を唱えておすがりいたしておりますです
20代学生と40代後半世代の関係というのは、学ぶ時期の最高の関係年代かもしれません。自分を思い出しても、学科でも仕事でも山でも、その時期のお師匠さんからの影響は非常に強く、師匠の側から見ても、多分のっている時期の一つなのかもしれませんね。
僕もいま40代後半、きのうは同年代の山岳部仲間が助教授(准教授)として、学生と過ごしている所を訪ねました。弟子がたくさん居るのを見て少し羨ましく思いました。
近頃、真剣に学びたいとついて来る若者の弟子が欲しいなどとぼんやり思っています。たいした技能持っているわけではありませんが。
yoneyamaさま
あなた様はあの北大の山岳部のOBであられましたね。
吹雪の尾根に風や見て〜
その昔、歌いましたが・・
山も学問も、最近は硬派が少なくなって・・って言われそうですが、時代の流れというものでしょう。
人を育てるのが第一の事業ですからね・・・
あなたの技能をわかる若者が、今の時代では少ないのでしょう。
<こころ>を同じくすれば、あなたの技術を学ぼうとする若者が現れますよ。私は学問でも山でも不出来な弟子でした。
誰かに教えたり、伝えたりしたいと思いをどうぞ大切なさってください。
今一番いい時ですよ。どうか山を始めた人たちのよきリーダーになってください。
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