1965年から1967年にかけて書かれたノートを大事にとってある。題名は「探求」となっている。
学生時代につけていた備忘録のようなノートでもある。
表紙をめくると「新しき日のために、日々の反省として、心と学問の探求のために 1965年10月9日」とある。
そして、実際には1965年5月19日に新聞の記事を切り抜いて貼り付けてある。「詩と詩人の嘆き」奥野健男の記事、「国際収支と消費者物価」向坂政男、「この世にもはや”自然”はない」(ドクターN)など。
そして、最後のページには、「反戦運動と市民の夢」鶴見良行の記事で終わっている。
20歳から22歳にかけてのノートだ。
日韓関係の正常化へ向けた動きの記事が貼り付けられている。大分黄ばんで今となっては読みづらい。
しかし、ここには学問のこと、山のこと、恋物語が書かれている。
1965年、二十歳の折、涸沢でテントで事故を起こし、火傷で松本の病院に入院した。3歳年上の女性と2年半の交際が、松本と北アルプスを舞台に展開した。
結末は悲しく終わったが、今読んでもつらいものになっている。
それはとてもつらい物語だが、過ぎてしまい、思い出となって消えていくけれど、松本の町と穂高の山を見るといつも甦ってくる。
最近、松本の山のグループと出会って、再びよく出かけるが、これも縁だろう。
しかし、ノートに記されている山の記録には、今を絶する若々しさがある。あの山の雪と青空と、目に痛いほどの緑の美しさがある。
青春をそのまま閉じ込めたようなノートが、今となっては宝物のように思える。
妻と出会う2年前までの記録だ。
その後、卒業後から再び山に行くまでの20年間の記録は何もない。数少ない写真と、沢山の子どもたちの写真が残されている。
そうだな、この恋物語は若い人に、聞かせてあげてもいいのかな。
人間の判断は、自分もするけれど相手もするからね。その判断が重なれば一緒になるけれど・・・・
でもその判断を下すまで、悩んだり苦しんだりするんだ。でも大事なのはそのときに、どれだけ真摯な気持ちでいたかと言うことだろうねえ。それでも後悔は残るものだ。
自分の判断が正しいなどとは言いきれないね。
生かされるように生かされているんですね。
灰になれば同じだからね。最後の目を閉じるときに、何を脳裏に描いて旅立つのだろうか。
思いをつづる行為は自分にとって大事なんでしょうね。
苦かったけれど、輝いていた青春をもてた私は幸運でしたね。そうつくづく思います。はい。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する