妙義山では余裕がないから歌なぞ読めなかったが、奥武蔵野の浅間尾根は、早春の雰囲気に包まれて、歩きながら一句とか、一首とかの余裕もでましたね。
40代のときに新短歌のグループで「芸術と自由」と言う由緒ある雑誌に歌を載せていましたが、10年ほどではなれたのかな。
日本百名山の山の歌などを、近代短歌から集めてみたりしています。
でもやはり、歌とか句をひねるのはいいですね。
うすぐものおおえるやまやあわくして
もえいずる春のたちどまるかな
うぐいすの身近にきけばこのやまに
きょうある吾のほほゆるむかな
咲ききそう桜見とれて足止める
山居の家の庭の一木
雨上がりしずくをためて桜花
ああ君はなんとうつくしいのか
落人の隠れ住みたる山里に
身をいたわりつ咲く老い桜
首のない地蔵に啼くやうぐいすは
若葉をば吸い込むほどに深呼吸
お粗末でした。
こういう時間もほしいよね。
hagure1945さん、コンバンワです。
「単価を聞く」や「たんかを切る」、または「担架でひるね」、「頭をひねる」は良く聞きますね。(ホントかよ
でも「短歌をひねる」は、なんと味わいのある言い回しなのでしょうかと感心しました。
ではひとひねりと行きますか・・・
なおもかたくな石頭、年老いてさらにひかり輝く
(短歌をひねるりだす事への絶賛です)
咲きまくる弥生の花は 今が旬、これぞ最後と命燃ゆる
(咲く時間が短い桜への愛おしみです)
立ち止まり我が身はどこぞ生まれしの、どこへ流れ着くのか思い馳せ
(自分は何故生まれて何処で絶命するのか、ちょっと考えてみた)
短歌(川柳?)は中学生以来となりますね。
おあとが宜しい様で・・・
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