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2014年05月06日 19:10未分類全体に公開

毎日が日曜日みたいなもんですが

さすがに二日続けて結構なアルバイトいたしまして、それでも足腰の痛みは差ほどでもありませんので、判断はっよかったと思います。
来週は山伏と愛鷹を連日歩いてこようと思います。
この連休に、曇取とかでも事故があり、妻が一人で言ってはだめと言うのですが、なぜ曇取のようなところで事故にあうのか不思議です。いわゆる山道を歩いている限りは、危険個所はないのですがね。
6週続けて山に入っていますが、もう修験者のような気分ですね。
たぶん、昔の修験者も一心不乱に祈りをこめて険しい山道を歩いたのでしょう。
日本の登山は、西洋流のスポーツと言う概念だけではなくて、この信仰登山と言う流れを大事にしたいと思うのですよ。若い人はスポーツですが、毎日が日曜日のような年金依存者にとりましては、山に登って、若い人たちの未来の安寧と国の安寧を祈願して、山の大明神に祈祷するという思いで登山をさせていただくのだと・・
山には「山の神」がいて、まあ、家にもおりますが、天から降臨されて家におるんでしょうね。
「カミ」さまは大事にしないといけないのであって、山には山の、海には海の、里には里のカミ様がおられるんですね。
祈るという「行為」は人間にとってとても大事なことだと思うのですよ。子どもの頃から神社で手を合わせ、悲しいといっては悲しみが去りますようにと祈り、喜びが来れば、感謝して祈る。日本人ほどカミ様を身近に感じている人種はいませんね。っそうおもいますよ。
富士山みてあの美しさに感動して、その心を動かしているのは、カミ様なんだと思うのですね。
新興宗教ではありませんよ。日本人は縄文時代から引き継いでいるDNAなんですね。こういう感情の動きをするのは、合理性を尊ぶ西欧人や、その真逆の合理性を尊ぶ中国人ともちがいます。
イスラム教徒やインド人たちの合理性とも違うのかな。
日本人の「美意識」、これはたぶん縄文時代と弥生時代の太古からのDNAを洗練させてきたもので、世界の人々の美意識とも異なりますね。
山にこもって修行するでしょう。
富士山があのような形で、あすこにあるのは理屈ではないんですね。人間が作ったものでもありません。沢の水の一つ一つが偶然の積み重ねで味わいが違うとすれば、それはどうしてそうなるのでしょう。
富士山がどうしてあすこにあのようにあるんですか?
そんな理屈考えていたら眠れません。
カミ様があのようにつくってくれたり、おいしい水を沢山流してくれているのですから、それをありがたく喜べばいいのではないでしょうかね。身の回りの自然が私たちをいつくしんでくれています。
スポーツだけの登山にしてはもったいないですよ。
山に登ったら、カミ様に何でもお祈りして心を平にすることができるなら、これほどにすばらしいことはないでしょう。
山頂で祈る、そういう登山をこれから考えてみよう。なんせ毎日が日曜日のような暮らしですからね。多くの人々のために祈ることしかできないや。自分のことを祈っても、それは欲望と結びついていますからね。その欲や穢れから離れるために山に登るんですね。ますます修行になりそうですね。えい、死ぬまでその思いでおればいいのでは。
変な日記書いてる。
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