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そこで、ちょうど都内の桜が満開のようなので御朱印集めを兼ねて上野へ行ってみました。
山手線で上野を一駅越して鴬谷で降り、徳川家ゆかりの寛永寺へ向かいました。
まずは寛永寺の根本中堂(写真左)で新しい御朱印帳を購入し御朱印を頂きました。
今回はこの寛永寺の御朱印帳に寛永寺関係の御朱印を頂くことにしました。
江戸時代は現在上野公園がある場所ほぼすべてが寛永寺の敷地だったそうで、今でも、上野公園の中には当時の建物が多く立っています。
もともと寛永寺は江戸城の鬼門を守るために、家康の信頼の厚かった天海僧正が京都の比叡山延暦寺に対して東の叡山と言うことで東叡山寛永寺として建立したものでした。
他にも、上野公園の中には京都の清水寺のような舞台を持つ清水観音堂や、有名な不忍池は琵琶湖に見立てられていて、その中にある弁天堂がある島は琵琶湖の竹生島を模したものだそうです。
今日は天気はあまりよくなかったですが、それでも上野公園の桜はちょうど満開でお花見をする人たちであふれかえっていて

開山堂と清水観音堂と弁天堂でも御朱印を頂き(清水観音堂は三種類の御朱印)、その後は弁天堂の弁財天も含めた谷中七福神を巡ってみました。
谷中七福神は今では数多くある七福神めぐりの中でも、江戸時代中期にはじまった最古の七福神めぐりですが、正式な七福神めぐりの期間は一月一日から一月十日までだったようで、七福神が拝見できないお寺や、住職が不在で書き置きの御朱印を頂いた場所もありました。
上野から谷中までも桜が多く咲いていて、あちこちでお花見をする人たちがいました

谷中は夕焼けだんだんと言う階段を下りた先に商店街がありここも上野公園に負けないぐらいの人込みで今回はパスしてしまいました。
最後は田端駅の近くにある白龍山東覚時の福禄寿ですが、ここにはもう一つ変わったものがありそれが赤紙仁王像です。
これは自分の体の悪い所に赤い紙を貼ると身代わりとなってもらえるという仁王像らしいのですが、すでに沢山の紙が貼られていて仁王像は全く見えませんでした

ちなみに、私は最近ちょっと調子の良くない腰に貼ってきました。
結局、今日は上野から田端まで約9.5Kmを歩いてきました

来週も、今のところ日曜日だけが休みなので山は無理そうです

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