まずは亡くなられた方達のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
神奈川県在住なもので被災はしませんでしたが、幾ら月日が流れてもこの出来事は忘れられないですよね。
毎年この日になると思い出す、とある出来事を少し書きたいと思います。
あの瞬間まで夢に向かって精一杯頑張っていた、彼女の生きた証になれば良いんですが・・・
阪神大震災が有ったと時、私はちょうど高校受験の真っ最中でした。
家の事情や親の方針でコロコロと志望校が変わり、結局自分の希望とは違う高校へ受験する事になった影響で、全然ヤル気がありませんでした。
むしろ、最高の反抗期でたぶん手がつけられなかったと思います。
そんな中、阪神大震災が発生し、その関連ニュースで同い年の女の子のエピソードが流れ、それを観てかなり衝撃を受けて自分の考えが変わった出来事です。
記憶がだいぶ風化していますが、思い出しながら少し書きたいと思います。
冒頭の同い年(当時15歳)の彼女は、まだ若いのに将来の夢を既に持っていたらしく、それを叶える為にも志望校にどうしても合格したかったみたいです。
勿論、正月休みも返上し、姉妹と一緒の部屋だったので、睡眠の邪魔にならないように2階の自室ではなく、一階のリビングで朝早く起きては学校に行く前まで時間を惜しみながら毎日必死に勉強していたそうです。
大震災のその日も、いつも通り4:30頃から勉強を始め、そして運命の5:46分を迎える事に・・・・
2階で寝ていたご両親と姉妹は無事でしたが、1階で勉強していた彼女だけが押しつぶされ・・・
後日、瓦礫の中から見つかった状況は、鉛筆を握りしめ、まさに勉強していたそのままの姿だったそうです。
きっと、一瞬の出来事で何が何だか分からぬままだったんでしょうね〜・・・
無念だったと思いますし、痛かったでしょうし、寒く辛かったんだろうな〜って思うと言葉もありません。
その頃の私ときたら、全然勉強せずにダラダラと無駄な時間ばかり過ごし、かなり自暴自棄になってましたが、この話を聞いた時にやっと目が覚めた感じでした。
その後、自分が情けなくなり彼女に負けまいと奮起し、行きたくは無かったものの無事に志望校に合格し今に至る感じです。
あの時に、この彼女の話を聞く機会に恵まれなかったら、その後の私はどうなっていたか想像もつきません。
違うキッカケで奮起したのか、それともあのまま腐って違う道に行ったのか・・・
「ターニングポイント」って安い言葉であの地震の事を片付けたくはないですが、結果的には私と彼女にとっては・・・
ダラダラ生きている人間がノウノウと生き続け、夢に向かって頑張っていた方が報われず最悪な結末になるなんて、やっぱり何かがオカシイとあの時は強く感じました。神も仏もありゃしません。
たら、れば、の話はアレですが、あのまま何もなく生き続けられたならば、彼女はどんな人生を送っていたのかな〜って毎年この日に考えてしまいます。
彼女も生きていれば同じ33歳。もしかしたら結婚して子供にも恵まれ、幸せな家庭を築いていたかも知れませんよね〜
夢が叶ったのか、それとも挫折したのかは今となっては分かりませんが、根性有って頑張り屋さんだったみたいですし、今現在も悔いのない生き方をしてたんだろうな〜って勝手に思ってしまいます。
彼女の名前や顔も知りませんが、私が死ぬまで永遠の片思いで居続けたいと思っております!
そんな方が一人くら居たって罰は当たりませんよね

彼女の生きた証を胸にしまいつつ、精一杯天寿を全うしないとイカンですよね

それが道半ばで亡くなった方達への最高の供養になるような気が致します。
東日本の方も、出来る事からやらんとですね。
もう、あれから18年か。
早いものですね。
東日本大震災の衝撃で風化しそうですが、
絶対、これも忘れてはいけない大震災ですよね。
この彼女の分まで精いっぱい生きてやりましょうよ。
それが、俺達の残された者の責任かと思う。
今回、笑いなし?でも、すごく感動しました。
お疲れ様です
早いもんで、も〜18年だね
makasioもあの頃は同じ受験生だもんね〜
あの頃はどーだった?順調だったかい!?俺は散々でしたよ
バブルが弾け、氷河期世代の私達はホント嫌な時代に生まれてしまったな〜って思いつつも、その下の世代の方がもっと辛く大変だよね・・・
3.11も鎮魂登山をやろうと計画しております
残念ながら3月11日は休めない事が確定しているんで、10日にまた大山・丹沢(表尾根)に行ってくるよ
これ位しか出来ないからね〜〜
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