中学卒業後、好意を寄せていた人と少しだけ文通をした手紙の中に「ハケ岳で見た御来光が素晴らしかった」とあったのを覚えている。
「ハケダケ」、それが八ヶ岳(やつがたけ)と書いてあったのだと、この時初めて知った。
ハイキング部の2回目の山行は夏合宿・八ヶ岳、県界尾根から赤岳を目指すものだった。
それはもう行くしかない、私も八ヶ岳で素晴らしい御来光を見るのだと舞い上がった。
しかし、初めての山で私のザックを担いだY先輩が、あからさまにいやな態度に出た。
「えぇーっ、○○さんも行くのーっ?」
さすがにカチンときたが、何も言えない。
そんな私を見兼ねてか、「放課後マラソンをしましょう」と言ってきたのは、部長だった。
部長、OBが1人、一緒に入部した友達も加わって、学校から適度な距離にある公園まで往復マラソンをした。
はっきり言ってマラソンは嫌いなので、付き合ってくれる人達には申し訳ないと思った。
そしてついに夏合宿出発の日となった。
初めて乗る新宿発23:55は登山者で満杯だった。
座席に座れたものはラッキー、そうでない者は通路に新聞紙を広げて寝場所の確保をし、とにかく寝る。
明け方、小淵沢に到着すると小海線に乗り換えるため皆いっせいに降りようと出口渋滞、身動き取れないでいると荷物はもちろん人まで窓から降り始め、戦時中かと思う光景だ。
野辺山のキャンプ場でテントを設営し、飯盒で飯を炊き、夜は皆で焚き火を囲みさまざまな話をする。
顧問の先生が、枯れた樹木に淡い緑のレースのようにかかるサルオガセのことを話してくれた。
「サルオガセが付くとその樹が枯れるのか、あるいは枯れ樹にサルオガセが付くのか、いまだに分かっていません」という言葉にロマンを感じる。
星空を見た後は綿のシュラフに入って眠った。
翌日は明け方に出発し県界尾根を目指した。
この日、私は前回と違う自分を感じていた。
道はどんどん登り息も上がってきているのに、歩き続けられる。
少し苦しいけれど、それに耐えてがんばると呼吸が安定してくる。
十数人のパーティーでは遅れる人もでてきたが、私は先頭を行くOBにちゃんとついて登っていた。
なんか調子いいぞぉ・・・と思っていたが、山はそう甘くはなかった。
中腹あたりからガスでまったく視界がきかず、雨混じりの強風が吹き荒れてきた。
森林限界では雨風がいっそう激しくなり、やむなく撤退することになった。
2回目の山では、天気によってはこういうこともあるという良い経験になった。
それにしてもマラソンの成果はすごいものだ。
軟弱人間だった私に持久力をつけてくれた気がする。
その先のハイキング部活動は誰にも文句を言われること無く全て参加し、高校を卒業してからは多様な登山を楽しんできた。
社会人山岳会に入って、岩登り、雪山を経験した。
山スキーもへたくそながら挑戦した。
単独行にあこがれ、1人きりの山も楽しんだ。
登山用具店で働いたり、残念ながら山小屋アルバイトはしそびれた。
山好きの夫と一緒になってからは娘たちを連れての家族山行も良き思い出だ。
かれこれ四十数年経った今でも何とか山登りを続けていられるのは、あの時の嫌いなマラソンのおかげと言えるのかも知れない。
そんな訳で、部長には心から感謝しております。
ぼうっとして頼り無さそうな部長でしたが、いえとんでもない、山登りを続けて来られたのは全て部長の計らいのおかげです。
ありがとうございます。
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