都内にある山道具の店で働きめ始めたのは19歳の時。
今では週休二日も当たり前だが、当時の休日数は、日曜・祭日+1日だけだった。
なので、いちばん少ない月の休日数は5日間、これをどのように山に割り当てようかと日々考えていた。
日帰り山行なら5回行ける、4〜5日の縦走をしようものなら、他は休みなく働き続けることになる。
若かったからできたこと。
それに引き換え今は、当時憧れていた週休二日なのに、今こそあの頃のパワーがあったらなぁとつくづく思う。
そんな頃、母から旅行の誘いがあった。
父の定年退職祝いとして、会社から旅行券が出たのだ。
福島県の磐梯高原へ2泊3日の旅行、私にも一緒に行ってほしいと要請がきた。
母は、父と二人の旅行なんて嫌だし、兄が一緒でもつまらないと言う。
だから私に・・・正直、それは困ると言った。
その頃の私の休みはすべて山、それしか考えられなかった。
旅行も悪くはないが、親と行くなんてことは考えてもみなかった。
仕方なく承諾したものの、心中は穏やかではない。
母は私の機嫌を伺いながら、旅行用にとシャツを買ってくれた。
紺と黄色のラガーシャツ風で、さらっとした麻のような素材がが気に入った。
温泉旅館に泊まり、猪苗代湖や五色沼を散策した記憶はある。
旅行の写真に写る私の顔は一応笑っている。
浴衣を着た3人がおふざけポーズをしている部屋での写真もある。
カメラの前では取り繕ったものの、本当はいつもムスッとしていた。
山へ行けなくなった3日間が悔しくて仕方なかった。
東京に帰ってきて、私はひとり暮らしのアパートに戻る。
父と母は社宅に帰る。
結構混んでいる山手線に乗り、私の降りる駅が近づいた頃、私の目から涙が溢れてきた。
何でたった3日間くらいのこと、私は楽しく振舞えなかったんだろう、そうしてあげなかったんだろうと。
泣いているのを横に座っている母に気付かれない様に、目にゴミが入ったとごまかした。
いや、黙っていたけれどきっと母は気付いていた。
こんな親不孝をしてしまい、いつかは謝りたいと思っていた。
しかし父はすでに他界していて、もうできない。
ずいぶん前だが、母とは一緒に写真を見ながら思い出話をしたことはある。
でも何か照れくさくて、やはり素直には話せなかった。
今は母の認知症が進んでしまい、久々に会いに行っても、私のことを解っているのかどうかも解らない。
私はもう、その時の母よりも歳をとってしまった。
福島旅行を思う時、当時の自分を悔やむと共に浮かぶのは、あの紺と黄色のシャツを着た私が遠くを見ている姿だ。
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