40年も前のこと、上高地へ行ってみたいという友達の希望で、一緒に行くことに
なった。
私としては、そこまで行くからには、山に登らない訳にはいかない。
しかし彼女は山登りはしない。
かといって、じゃあねと彼女を上高地に置き去りにして、自分だけ山に入る訳にもいかない。
そこで、山友達のEさんに協力してもらう計画を練った。
1日目、私は友達を上高地から徳沢まで案内し、2人でテント泊をする。
Eさんは安曇野側から蝶ヶ岳に登り、山小屋泊をする。
2日目、Eさんは早めに出発、徳沢に下山する。
私たちはのんびりとテントを撤収し、徳沢でEさんがやって来るのを待つ。
合流したところでバトンタッチ、Eさんに彼女を託して、私はめでたく山に足を踏み入れるという計画だ。
当時は何の危機感もなく、Eさんもすぐに了解してくれた。
今になって思い返してみると、なんと無謀な計画を立てたものかと思う。
山中ではどんなことが起こるか分からない、そんな時の対処法も打ち合わせしていなかった。
まだ携帯電話の時代ではなく、家を出てしまえば連絡を取り合うこともできない。
10月の上高地ともなれば、かなり寒い。
彼女は旅行者、私は登山者、ちょっと違和感のある二人で大正池を散策し、明神池ではイワナの塩焼きを食べ、紅葉を楽しみながら徳沢までぶらぶら歩いた。
普通の旅行なら旅館かホテルに泊まるところ、私の身勝手な都合によりテント泊になってしまった訳なので、彼女にもシュラフだけは背負ってもらった。
しかし徳沢の雰囲気は悪くない、彼女は気に入ってくれたようだ。
それでも後ろめたさを感じる私は、夕飯に豪華にもレトルトビーフシチューを振舞った。
何より天気に恵まれたことは幸いである。
翌日も穏やかな山日和だった。
朝食のうどんを作り、ゆっくりと片付けしながらEさんの到着を待った。
「お待たせ~」晴れやかな笑顔で、予定通りEさんは山から下りて来た。
こんなに嬉しい再会はなかった。
手短に引継ぎを済ませ、「じゃあ、よろしく」と言って別れた。
長塀山を経て蝶ヶ岳のテン場に着いたのは日が暮れる直前、二人は無事に帰ったかなどと思いながら夕陽を眺める。
翌日もまたすがすがしい朝を迎えた。
モルゲンロートに輝く槍・穂高が素敵だ。
常念、大天井を経て燕山荘のテン場にテントを張ってから、燕岳を往復した。
そろそろ陽が傾くころ、今から下山すると言う男の人と話をした。
美大生の彼は、次の連休の文化祭を見に来てほしいと言って降りて行った。
「来てねー」と何回も手を振りながら、やがて見えなくなった。
最後の日もよい天気、合戦尾根をひたすら降りた。
中房温泉に着いたが、次のバスの時間までかなりある。
温泉に入れるよとおじさんに声をかけられ、入ってみようかなと思った。
温泉に全く興味がなかった私だが、誰も居ない広い内風呂を独り占めした事で、『なんて気持ちいいんだろう』一遍に温泉好きになってしまった。
帰りのバスは空いていてBGMには民謡が流れ、何とのどかなこと、と思えば、飛び出してきた猿にバスが急停止する場面もあった。
木漏れ日の中、バスはゆっくりと山道を降りて行った。
無事の帰宅報告をする為、夜、Eさんと友達に電話をした。
松本でフォルクスラーメンを食べて帰って来たと言う。
私も食べてみたかった〜なんて、たわいない事はどうでも良いのだが、この計画が無事に終わって本当に良かった。
持つべきものは良き山友だと、つくづく思う。
初めまして。
昨日のことのような日記です。
素敵です⭐︎
初めまして。コメントをありがとうございます。
そう言っていただけると、とても嬉しいです。
最近は少しパワーが落ちているので、思い出ばかりほじくり返しています(笑)
また見に来てください。
はじめまして。
フォルクスラーメン、懐かしいです。「こくぶ」って店でしたっけ?一度だけ食べたことがあります。店の雰囲気は覚えているけど、味は忘れました。大日本邪道そばというメニューもありましたね。
その後いつだったか覚えていませんが、食べに行こうとしたら店が無くなってました。凄く残念だったことをしつこく覚えています。
初めまして。
ankotaさんは食べたのですね、羨ましいです。
私は結局、食べそこなったままです。残念。
やっぱりお店、とっくに在りませんよね。
貴重な情報を、ありがとうございました。
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