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北アルプス三大急登のひとつとして名高い合戦尾根。
マニアックな人でしたら、中房川沿いを遡って東沢乗越に乗り上げるルートも
ご存知のことでしょう。
さて、先日20数年ぶりに燕山荘を訪れたところ、
興味深いものを見つけたのでカメラに収めてきました。
1枚目の写真は燕山荘のフロント前に掲出されているむかしの地図です。
よく見ますと、合戦小屋はあるもののそのルートの途中まで中房川沿いをなぞり、
途中で東沢乗越へ向かう現在のルートと思しきものと、
燕山荘に突き上げるルートとに分かれています。
そして注目すべき点はこの先です。
東沢乗越に突き上げたルートがそのまま尾根の反対側に続いています。
また、燕岳からも同様にルートが尾根の反対側に続いています。
詳しく調べてみますと、中房川と尾根を挟んで反対側にある
高瀬川源流域に高瀬ダムが建設されるより前には、
高瀬川から分岐する東沢から東沢乗越に乗り上げるルートと、
湯俣の北側のコジ沢から燕岳へ乗り上げるルートがあったようです。
これらむかしの登山道は、高瀬ダムが建設された後に
土が水を溜め込んで腐ってしまったことや、
葛温泉まで通じていたバスが廃止されて利便性が低下したことなどの理由で、
整備されることなく消えていってしまったようです。
この地図には、他にもむかし道がいくつか載っていたり、
登山口へのアプローチ方法が現在と異なっているものが記されていたりと
興味深い内容が盛り沢山あります。
むかし道の盛衰に想いを至らせるのも
またお山の楽しみ方ではないかと思いながら、
開業100周年を迎えた燕山荘で快適な時間を過ごしました。
高瀬ダム側から燕岳へ登るルートは かもしか新道と呼ばれていたそうです。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-935036.html
↑全体に公開なので、ここに張り付けるに許可は得ていません。
奥黒部から薬師見平経由で高天原へ通じる高天原新道の記録↓
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2059603.html
湯俣から三俣山荘への伊藤新道は、ずっと以前の山と高原地図には「整備予定あり」と書かれていましたが、現実には整備されないのでしょう。
○○峠とか□□乗越と言われる地点は、昔は道があったので名前が付いたと思われます。
古道には いにしえのロマンを駆り立てるものがあります。
件のレコについては私もあらかじめ拝読しました。
昨年に湯俣まで散歩に行ったとき、高瀬ダムから餓鬼岳が見えて、
高瀬ダム建設の経緯に興味を持ったもので、大町の図書館で調べて
件のレコのコースの存在を知りました。
旧高天原新道については何年も前から興味を持っていて、
実際に歩く具体的な計画もあったのですが、
怪我(岩でフォールして腰椎を圧迫骨折)のために断念して以来現在も歩けていません。
沢登り、藪漕ぎ、クライミング、ルーファイと総合力を求められるルートゆえ、
想像するだけでもワクワクしますね。
いつか歩きたいなと今でも計画を温め続けているところです。
伊藤新道については、三俣山荘から湯俣川に降りる前までは既に整備されているようです。
こちらについてはガイド伴行で歩く人もそれなりに増えているようですので、
情報量も多く、計画も立てやすいのではないかと思います。
個人的には地形図を見ながらここはどういう成り立ちだったのか、
などと考えるのが大好きです。
昨今はヤマレコに山行記録を上げるのが億劫になってしまったために
ほとんど記録をつけていませんが、上記3つのようなルートは希少なので、
もし歩く機会があったら記録を上げたいと思っています。
ありがとうございました。
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