1993年の7月19日、総選挙の結果、政権交代が確実視され、新政権への期待の熱狂に国じゅうが覆われるなか、私は沼津市の原の海岸に居た。
翌々日、愛鷹連峰縦走中に背負うザックの重さに耐えかね、位牌岳と蓬莱岳の間でザックを放り投げた(冷静になってから、ザックを回収)。
その翌日、灼熱の太陽の光のなか、富士山スカイラインを富士山頂に向かって歩いていた。
7月23日、富士山頂に立った。
7月24日、まだ強制捜査の入る前のサティアン群のそばを、それとは知らずに通過した。
7月26日、これまでの疲労のためでも、これから登る高低差にビビったわけでもないけど、硯島郵便局前で3時間ほど座り込んでた。
翌日、笊ヶ岳の頂上に居た。
1993年7月29日に県営光小屋でテント泊した。
そのまま三伏峠まで縦走を続けるも、8月2日、もう少しで三伏峠に到着というところで、ザックにくくりつけてた寝袋がハズれ、崖下に転がり落ちてった…。
8月6日、甲斐駒黒戸尾根登山口の尾白川キャンプ場でテント泊しようとしたら、一般キャンパーからはみえない区画にテントを張るように案内された…。
翌日、小淵沢郵便局に局留めにしている荷物を受け取りに行ったら、営業してなかった…(汗)。
その3日後の8月10日、双子池でテント泊してたら、「ラジオの音がうるさい!」と、他のキャンパーに叱られた…。
8月12日は私の誕生日。霧ヶ峰の鎌ヶ池キャンプ場から松本のアパートまで歩き通す。到着は夜9時前。この日ほど歩いた日は未だに無い。
8月14日、徳本峠小屋前でテント泊。夜8時に小屋の主人が宿泊客を連れて星空の解説を始め、うるさくて寝られない!と苦情を言って顰蹙を買った。
8月17日、西穂山荘の朝は小雨だった…。
8月21日、雲ノ平は雨。行動はやめ、沈殿。
1993年8月23日、大沢親分率いる日本ハムファイターズの成績急落に気落ちしながら、針ノ木峠。
翌日、事前荷揚げしてた荷物を冷池で引き取る。
8月25日、唐松まで行く予定を断念し、五竜でテント泊。
1993年8月29日は、沼津の原の海岸を出発してから40日目。栂海新道を下りて、歌の親不知海岸に到着。
あれから30年、私の山旅はまだ終わらない…。
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日記
1993年の7月19日
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