震災の翌年ですが、ゼネコンを通して同町での建築工事の依頼がありました。
80坪程の木造新築で、職人さんは不便な環境下で2ヶ月間カンヅメ作業です。
その間、僕はトラックに建築資材を満載して5回往復しました。
東北道から峠(水界トンネル?)を越えて同町に入り、海抜ゼロに近づくと景色は一変して無惨な荒れ地になります。
全てが無くなった荒れ地のまん中に、ポツンとこの庁舎の残骸が建っていました。
庁舎の前にトラックを停めて、線香をあげて般若心経を唱えました。ボロボロと涙を流しながら。
「多くの人々が何代にも渡って営々と築いてきたものが、瞬間の波浪によって灰燼に帰してしまう・・・」
凄まじい虚無感にさいなまれました。
帰宅して仕事をしていても、なんだか無駄な事をしているように感じてしまう。
2〜3カ月は重症でした。
東日本大震災は未曾有の大災害であり、2万人近い方が亡くなられました。
未だ行方不明の方も相当数おられます。
改めてお悔やみ申し上げたく思います。
東日本大震災の教訓が活かされて、今回の能登半島地震では人災が少なくすんだように聞きました。少しですが、救われた気がします。
※防災庁舎周辺は現在、南三陸町震災復興祈念公園として整備されています
こんにちは がんこ屋はん
私が被災地を訪れてのは3年後位でしたが、何もないほこりっぽい土地に「まちがあり」「ひとの営みがあった」ことが信じられませんでした。
昨夜、地方公務員の震災のドキュメンタリーがあり、録画してみましたが5分でもう心がついていけず一旦止めました。でもあの震災の体験の本や東北からの公務員の方の派遣の助言で助けられていると、能登の職員の方が語っていて救われた気がしました。
きつい話題にお越しいただき、ありがとうございます。
果てしない荒廃地を目の当たりにして神経をボロボロにした群馬県人がいる一方で、
現地の企業人は復帰に向かって力強く努力されておりました。
人間の力は凄いなと、その社長の姿をみて思ったものです。
現在、日赤病院に短期滞在中ですが、先ほど担当スタッフに来てもらって能登半島向けの寄付を少額ですがさせていただきました。東北への気持ちを能登へ、です。
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