2014年9月9日付けの日記、"Goat's diaryに見られる地名 : Radium Hut、Radium Spring Hut、Radium River"でRadium Hut(ラジウム小屋)とRadium River(ラジュウム川)について検討しました(注1)。そこでの結論として、地獄谷に炭酸泉があったという文献資料などから、これらの地名は地獄谷にある可能性が高いとしました。ただし、文献に小屋があったという記録はないことなどから、ラジウム小屋の所在については疑いが残るとするものでした。
今回Inakaの中にラジウム泉について書かれた章を見つけたので、その一部を掲載、仮訳し、検討を進めることとします。
この章は"Rambles round Rokkosan"というタイトル、著者はTwo Mountain GoatsでInaka vol. 6 (1917)のChapter 9として掲載されています。
[原文]
Mr. S. Fukushima, a member of the Kobe Historical Research Society, recently gave a lecture to members of the Kobe Walking Society on the occasion of their 85th Excursion. An interesting story was told with regard to the discovery of a radium spring in "Rhododendron Vale" which is situated in a valley on the northern side of the range below the rocks known as Sangokuiwa overlooking Groom's Pond. This valley is on the western side of the spur running parallel with the Karato Road. One day in the depth of the winter of 1913--say the second year of Taisho--an old man who is the caretaker of the mulberry plantations at Shimotanigami-mura was out on a hunting expedition on the slopes of Rokkosan. This individual, by the way, [(snip)]
On the occasion of this particular hunting expedition the ground was covered with a thick mantle of snow, so the discovery of the spring when he came across it was quite an easy matter. On tasting the water he immediately noticed its extreme palatableness, and in due course of time a sample was sent to Osaka for analysis, and the fountain declared to contain a certain percentage of radium. No doubt this fact accounts in some sense for the longevity of the people living in its vicinity. The spring itself is now carefully enclosed by a house and the sides covered with cement, and the enterprising proprietors by the payment of a nominal tax of ¥7.50 per annum have been granted by the Government authorities the sole right to its exclusive use.
[仮訳]
神戸徒歩会の第85回遠足のおり会員向けに、神戸歴史研究会の会員であるフクシマ氏による講演があった。そこで、グルーム池を見おろす場所にある三国岩の北側に伸びる谷の一つである「石楠花谷」にあるラジウム泉の発見について、興味深い物語が語られた。この谷は唐櫃道と並行に走る支脈の西側にある。1913年(大正2年)の真冬のある日、下唐櫃村で桑畑の管理をしている一人の老人が六甲山中を狩猟旅行していた。ところで、この人物は[中略]。
この時の狩猟旅行に限って地表が厚い雪で覆われていたため、老人が泉の傍を通りかかった時、たやすくそれを見つけることができた。試飲してみるととてもうまいことがすぐに分かり、やがて解析のため見本を大阪に送ると、その泉に一定割合でラジウムが含まれていることが明らかになった。多分この事実がその辺りの人々の長寿をある程度説明している。その泉自体は現在厳重に小屋で囲われ、側面はセメントで固められている。野心家の所有者は、年当り7円50銭の名ばかりの税金を支払うことで、官権から泉を専有する独占的権利を認められている。
この資料を手がかりに「山田村郷土誌」(山田村、1920)を見ると、名所旧跡の項に霊鉱泉について記述があり、発見の経緯や鑑定に関わる事実関係等が上の文章と照応していることがわかります(注2)。これによれば、泉の所在地は山田村ノ内上谷上村字大岳八番ノ下川中とされていますが、この場所を特定する資料を持ち合わせていません。ただ、辺りの様子について次のように記述されていて、このラジウム泉が一般にアクセス可能な場所にあることが読み取れるような気がします。
此の霊泉の湧出地たる裏六甲の名勝地にして青山峩々として天空を衝き奇巌屹立、松樹躑躅其間を轉綴し、四園の風景頗るは雅趣あり、川の西岸に當れる一脈は緩斜面となれるを以て攀登容易にして展望に適し、有馬街道は眼下に迤々たり、[略]
Goat's diaryにRadium HutまたはRadium Spring Hutが表れるのは1917年以降であり、上記の発見からそう経過していない時期になります。また、Rambles round Rokkosanに小屋の存在が示されているので、ここがGoat's diaryにおけるラジウム小屋と考えられます。Goat's diaryに石楠花谷からラジウム小屋に進んだとする記録が1917年12月30日と1918年2月24日にあることもそのことを裏付けているように思います。
一方、Radium River(ラジュウム川)については1920年1月2日と1922年2月12日に通過が記録されていますが、石楠花谷やラジウム小屋との関連は示されていません。また、ラジウム小屋を通過した記録のほとんどがthe Birthday Ridge(誕生日尾根)へ進んでいるのに対し、ラジュウム川を通過した記録には別の尾根に進んだように書かれています。そのことからラジウム小屋とラジュウム川を別の谷筋とし、ラジウム小屋を石楠花谷、地獄谷の炭酸泉はラジュウム川のものと考えることもできると思いますが、Radium Riverという名称からは石楠花谷を指している可能性が捨てきれません。
今回はラジウム小屋を石楠花谷に置くことに留め、ラジュウム川の所在については保留したいと考えます。なお、この見立てを前提にすると、誕生日尾根は石楠花谷から山上に伸びる尾根と考えることになると思います。
注1: http://www.yamareco.com/modules/diary/24521-detail-80050
注2: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927180/113
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する