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グラフはQuarry RoadあるいはPrice's Quarry Roadが含まれる記録をグラフにしたものです。これらの場所はドーントの別荘に向かう途上に記録されています。URL: http://shinji50.sakura.ne.jp/inaka/pqd.jpg
Quarry Roadの手間にある地名としてグラフに多く見られるのが、Arima Road(有馬道)、the Black Mountain(黒山)、Bellevue-Arima Road(ベルビュー有馬道)などです。Price's Quarry Roadについては、Sumiyoshi-Bellevue Road(住吉展望道(ベルビュー))、the Black Mountain(黒山)などとなっています。一方、Quarry Roadに続く場所としては、Rokkosan(六甲山)が多く、Price's Quarry Roadでは、the Rock(ドーントの別荘)が多くなっています。
手前の地名に重なりがあること、通過後の地名(六甲山、ドーントの別荘)が別の場所を指すとも思えないことから、Quarry RoadおよびPrice's Quarry Roadを同じ石切道と考えることにします。
さて、グラフでは出発地とした駅の多くがAshiya(芦屋)になっています。Ogi(青木)、Uozaki(魚崎)、Sumiyoshi(住吉)もあるが、数は少ないです。
芦屋から入った場合、まずAshiya Valley(芦屋谷)やWaterfall Valley(滝谷)などの谷筋を進み、そこからBlack Mountain(黒山)に登ることが多かったようです。黒山はThe Black Rocks of Ashiya(芦屋の黒岩)という場所と同じで、現在の荒地山に相当すると考えられます(注1)。
黒山を過ぎた後には、Arima Road(有馬道)、Sumiyoshi-Bellevue Road(住吉展望道(ベルビュー))、Bellevue-Arima Road(ベルビュー有馬道)、Arima-Bellevue Road(有馬ベルビュー道)などの地名が表れます。住吉道が有馬道と呼ばれていたことから、これらはすべて住吉道を指すと考えてよいと思います。
黒岩から住吉道を経由し、石切道に進んだ記録の一つを紹介します。
1916年2月11日
Tram to Ashiya-Ashiya Valley. Successful passage of the Red Rock Ravine (see Jan. 23rd 1916)--rope out in two places--The "Kigensetsu Ridge." Fine rock climb up precipitous spur of the Black Mountain. Crossed Arima Road--up Quarry Road to Rokkosan--back by 20 Crossings and Futatabi.
「思い出」による前半の訳は、"芦屋まで電車。芦屋谷を進む。赤石谷は、通行が可能になっていた(1916年1月23日の項を参照)。二箇所でロープを使用する。「紀元節・リッヂ」。黒岩の急峻な尾根を軽快に登る。有馬道を横切る。石切道、六甲山。"となっています。
同じ芦屋からですが、黒岩を経ず石切道に進んだ記録もあります。
1916年4月2日
Tram to Ashiya--Ashiya Waterfall--dropped over ridge to left with aid of the rope into another valley--"Gausden's Gulch"--met Messrs. Nagano and Adzumai coming down the valley from Ogi--fine scenery and lots of rocks--came out on the Ogi path near the Blue Lakes--The Blue Lakes--crossed Arima Road--up Quarry Road to Rokkosan--Daunt's Rock 2 p.m. Home via Short Cut and Oishi.
「思い出」による前半の訳は、"芦屋まで電車。芦屋の滝。ロープを使って尾根を一つ越し、次の谷「ゴースデン峡谷」へ。長野、アズマイ両氏が青木から谷を下ってくる。たくさんの岩が立ち並ぶ見事な景観。青池の近くの青木道へと出る。青池。有馬道を横切る。石切場から六甲山へ。午後2時にドーントの別荘につく。"となっています。たくさんの岩が立ち並ぶ見事な景観というのはロックガーデンのことでしょうか。また、青池は横池のことでしょうか。
あと一つ、岡本から保久良神社経由で石切道に進んだ記録を紹介します。
1918年1月1日
8.27 a.m. train to Sumiyoshi. Picked up Davies--Okamoto--out to find grey stone torii as seen from below--passed red and black wooden torii--struck the right hill and passed stone torii in front of small temple--Hokura Jinsha--a beautiful spot full of huge rocks and old trees--climbed hill at back--the Blue Lake frozen over--Sumiyoshi--Bellevue Road--Price's Quarry Road--Rock at 1.30 p.m. Temp. 36°F. Lots of snow on hills. Walked right home via Short Cut and Kumochi.
「思い出」による前半の訳は、"午前8時27分の汽車で住吉へ。デイビスと合流。岡本下から見えた灰色の石の鳥居を見つける。赤と黒の木の鳥居を過ぎ、右手の丘に出て、小さな社、保久良神社の前の石の鳥居を過ぎる。大きな岩と古木の多い、美しい所。背後の山を登る。凍った青池、住吉、ベルビュー道、石切道。午後1時30分、六甲山のドーントの別荘着。華氏36度。山は積雪深し。"となっています。
このように住吉道から石切道というルートは、主に芦屋川や黒岩、岡本などの東側から別荘に向う場合に使われています。ケリー・クォリーから石切道へ進んだ記録では難所らしき場所を経由していますが、こちらは一般道として利用していたようです。なお、岡本経由のルートはありますが、駅からそのまま住吉道に入り、石切道に進んだケースは稀といってよいと思われます。
注1:「六甲_摩耶_再度_山路図」には荒地山が荒地山(黒岩山)と表記されています。また、Inaka Vol.13に掲載された"The Black Rocks of Ashiya"の写真は荒地山の風景をほうふつとさせるものがあります。
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