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ドーントらはこの道を別荘からの帰り、住吉駅へ出るために利用することが多かったようです。逆に別荘へ向かう場合は、寒天道からQuery Quarry(ケリー・クォリー)という場所を通過したのち、いくつかのルートで別荘に向ったらしいです。Queryは一般的には質問とか、問合せの意味、Quarryは石切場のことでしょうが、Query Quarryが何を意味しているのかよく分かりません。Quarryには知識の宝庫というような抽象的な意味もあるようなので、そういう意味を含めて使っていたのかもしれません。
グラフはQuery Quarry中心に前後の地点の関係を示しています。 URL: http://shinji50.sakura.ne.jp/inaka/qqr.jpg
グラフからケリー・クォリーと寒天道との結びつきが読めると思います。寒天道を経由せずケリー・クォリーを通過した記録をGoat's diaryで調べましたが、見当たりませんでした。
古い資料によれば、寒天山は渦森の東、荒神山の西、東西の谷筋が合流する辺りの上方に記されています(注2)(注3)。明治期に生産が盛んだった寒天製造場の背山にあたる場所のようです。寒天道という名前はこの寒天山を元に付けられたと考えてよいでしょう。寒天道はそこから西北、油コブシの北側に向かって伸び、ゴルフ場の下、ケーブル山上駅付近に達しています(注2)。
さて、この寒天道とケリー・クォリーとの関係を探すと、寒天山の東の荒神山に石切山、石切場の表示があります。この荒神山は、"御影の名を全国に知らせた花崗岩の石切場"(注4)とされており、ケリー・クォリーのクォリーとつながりがあるかもしれないと考えました。
ところで、グラフ上でケリー・クォリーから別荘に向うルートを見ると、未知の地名が多いですが、Quarry Road(石切道)につながる記録が2つほどあります。
1)1917年2月18日
Tram to Uozaki. Isinglass Road, Query Quarry, Tengu Machi Roku-chome (a fierce climb), came out on Quarry Road below Capt. Price's lot, Rokkosan. Home via 20 Crossings and Futatabi.
「思い出」では前半を、"電車に乗って魚崎まで。アイシングラス道、ケリー・クォリー、天狗町6丁目(非常に登りにくい)を経て、プライス邸敷地の下の石切道に出て六甲山へ。"と訳しています。
2)1917年3月11日
Tram to Uozaki, Isinglass Road, Query Quarry, Tengu Machi Roku-chome, The Trout Return, The Valley of the Singing Frog, came out on Quarry Road below Capt. Price's house, Rokkosan. Home via Short Cut and Ishiyagawa.
「思い出」は、"魚崎まで電車。アイシングラス道路、ケリー・クォリー、天狗町6丁目、鱒帰川、鳴き蛙谷を経て、プライス邸の下の石切道に出て、六甲山に登る。"と訳しています。
両方の記録に、Tengu Machi Roku-chome(天狗町6丁目)という変わった場所が出てきます。Inaka Vol.7 (1917)にその場所の写真があり、人物の背景に切り立った岩場から落ちる数メートルほどの高さの滝が写っているように見えます。
落合橋で住吉道から別れた寒天道は寒天山を過ぎた辺りから、西山谷の西尾根に沿って伸びています。その辺りから石切道に進むには、いずれも古い地図上の表記ですが、西山谷、大月谷、地獄谷と3つの谷を横断することになり(注2)、目的地とした別荘との位置関係からも無理があるように思います。それに対して、寒天山手前から荒神山を通り、石切道方向に向かうことは比較的容易で、現在でも、渦森橋から荒神山そばの霊園を抜けて、標高450m付近で石切道に合流する広い道が付けられています。
ただし、ドーントらの記録では、天狗町6丁目を始めとする谷筋と思われる箇所を通過しており、石切道とはもっと奥まった場所で合流した印象を受けます。その谷筋を想像するなら、地形的には現在大月地獄谷と呼ばれている地獄谷、あるいはその支流ということになるような気がします。
荒神山とケリー・クォリーを結びつける理由は語の連想だけなので、まったく別の場所の可能性もあります。天狗町6丁目についても、ケリー・クォリーからのつながりで地獄谷を想像しているのではっきりした根拠はありませんが、ドーントらと大月地獄谷がお似合いのように思えるのはなぜでしょうか。
注1:「近畿の登山」(1924) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977619/72
注2:「六甲_摩耶_再度_山路図」(1934)
注3:「住吉村管内略図」(1946)「住吉村誌」所収
注4:「市民のグラフこうべ」No.46(昭和51年3月)特集ページ http://www.graphkobe.jp/detail/046.html
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