![]() |
5年ほど前に八ヶ岳の天狗岳で遭難死した若い大阪のご夫婦も同じく「旅館主」のアドバイスを振り切って亡くなっている。
「先日、遭難死ありましたね」と旅館主に声掛けしたら「あーうちに泊まったんですよ」「いや実は明日は暴風雪になるからやめなさい」と勧めたが、いくというので「上の黒百合ヒュッテに着いたら、小屋の人に聞いてアドバイスをもらって判断したほうがよい」といったものの、そのまま行ったらしく、亡くなったとのこと。
「そう話をしながら遠くを見つめるように、親父さんは寂しそうな顔をした、実直な年老いた親父さんにはお声かけもそれ以上はできなかった」ことを覚えている。
ほんの些細な運不運の分かれ道だったろうに、経験が10年前後を過ぎると「何をいうか」という「ベテラン気取りになり、横着になる、強欲だ、山では強欲は駄目だ」「山は謙虚さを学ぶ学校である」という長野県遭難対策協議会の言葉は心に染みている。こういう分かれ道は幾度となく経験してきた。
那須では登山者が100メートルほど飛ばされた例もあるというから驚きだ。山にはいって50年が過ぎた、ながく色々と見てきた。
かの有名な劇作家ウィリアム・シェイクスピアの作品のひとつである『ハムレット』のなかで、ハムレット王は『Life is a series of choices.(人生は選択の連続である)』といった。人は他人事と思い、自分事とは思いにくい「正常性バイアス」に陥り易い。
→「山も選択の連続である」行動心理学、社会心理学面から防止しないと遭難はなくならない。計画が身の丈以上、装備が不足、天候が読めない、健康上問題があった、パーティリーダーの力量不足などは「結果」でプロから初心者まで誰でも事細かに指摘して「こうすべきだった」という。
しかし肝要なのは「なぜ、そうようにしたのか?なったのか?思ったのか?行動したのか?」というきっかけの心理面が肝だ、具体的な結果に至る状況ではない。
交通心理学・災害心理学・労災心理学では研究は進んで防止も効果が上がっている。この話を理解できる方は「読解力」がある登山者だ、わからない関係者ばかりだから改善しない。山岳評論家の「羽根田治さん」と弁護士の「溝手康史さん」がそういう意味では入口にいる。
防止が一向に進まないのは研究されない「山岳遭難だけだ」、対策が的外れだからだ、社会的利益が防止しても出ないからだ、年間の死者300人が100人になっても「なんら、社会的な利益はない」「危ないことして勝手に死ねばいい」という程度だ。
せめて費用や動機が困難なら「応用したい」ものだ。研究者・提唱者を待つばかりだ。心理学では応用心理学の分野だ。
もうあまり登山アプリには投稿しても拡散もしないし「SNSの間違い情報の拡散には抗えないかな」と思うことがしばしばです、もう昔の先人・先輩が積み上げてきた経験が生かされない時代になりました。
とても残念な事ですが山の会も山岳会も衰退気味ですし登山者もどんな階層の方でもいける時代は終わりつつあります、コロナのこの4年間と2025年から社会は変質してしまうでしょう、皆様のご安全をお祈りしています。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する