山にまつわる神話を自分なりに調べてから登ってみると、普段気付かないことに気付くことが出来、「あ、そういうことだったのか」となる場合も多くあります。
日光二荒山神社にある蛇の神像なんかは、神話を読んでから行くとなるほどなぁと。
ただ登って景色が良かった、気持ち良かった、だけでも充分なのですが、これから登る山の信仰について聞きかじりだけでも知っておくと、より楽しめるってもんです。
御朱印をいただくのは数年前から始めたのですが、普段は御朱印をいただきに行くのではなく、山に登った時にその山を御神体とする神社があった時にいただくように、自分なりのルールを決めてやっています、山頂まで行った行かないは別にして。
宗教やそれが理想とする人生について深く考えているわけではありませんが、ひとつだけ心がけていることは、感謝して山に登ることです。
登山道に咲く花、昇ってくる朝日やそこに住む動物、すれ違う人との会話等々、すべてのことに関して。
御朱印は神社に参拝した証と、感謝の気持ちを残したくて続けています。
細々と続けていてなかなか増えていかないのですが、スタンプ集めじゃないのでそこは気にせずに気長にやっています。
それでもあと2〜3回いただけば一冊終了するところまできましたので、伊勢神宮に参拝に行った時に買った二冊目を準備しました。
感謝の心は最近意識することがなく、普段の生活も含めて不平不満ばかり言うようになっていました。
最近大きな後悔をすることになる出来事がありましたが、それも感謝の心をいつしか忘れ去っていたからなのであろうと思っています。
御朱印は後に残す感謝の心だと思い、これからも大切にし、続けていきたいと思っています。
とかなんとか言っちゃっても今流行ですからね(´_`;)
ぶっちゃけそれに乗っかったとも言えなくもないのが苦しいところ
御朱印と山、私も全く同じ心持ちです。山の歴史は知れば知るほど「祈り」とはなんだろう、なんて考えますね。昔の人みたいに考えもなく祈れるようになりたいものです。寺社には〇〇山と名前があり、日本の祈りの場はすなわち山ですね。平地にあっても、そこから一番カッコよく見える山。縁起を読めば奈良時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代のその地の有名人が関わって、本当に面白いですね。僕もまだ一冊めですが、しまっておいても勿体無いので、時々頁を替えてボンボン時計の上に立てかけております。
yoneyamaさんコメントどうもありがとうございます。
山への信仰とは自然への畏怖、ということも大きいと思うんです。というか、それが大部分ではないかと思うようになってきました。
山へ降った雪や雨が沢となって流れ出し、麓の田畑を潤して恵みを与えてくれる。豊作を感謝し、人は山を敬い、また来年の豊作を願って祈る…そうして古くから信仰の山として成り立ち、その地域に連綿と繰り返されていく。
私事ですが、「困った時の神頼み」という言葉が私にピッタリで、これじゃだめだと最近思うようになりました。まずは感謝出来ない者に恵みは与えられるべきでないと感じています。
見返りを求めるわけでなく、ただ純粋に祈り、感謝するという心は、やはりとても大切なんだとわかってきました(歳ですかねぇ笑)。
山に向かって祈ることはもちろん普段はしませんが、歴史を調べてその山と地域の成り立ちを知ることはおもしろいし、それによって自分の気持ちが謙虚でいられるような気がしてなりません。
何か落ちを書かなきゃと思ったのですが思いつきませんでした(´_`;)
『ひとつだけ心がけていることは、感謝して山に登ることです。』
すごく良い文だなと思いました(^^)
初めまして&こんにちは、特に何も意識することなく書いたのですが、お褒めいただき気恥ずかしい感じであります
どんな山でもきっと、地元の方々に大切にされていると思うのです。
敬意を払い、そこにあるものを壊さず、山を侮辱せず、あらゆるものに感謝して登ることを心掛けて行きたいと常々思っています。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する