大学は信州大学で4年間を過ごした。
信州大学は有名なたこ足大学で、1年の教養と理学、人文、経済、医学は松本だが、教養学部、工学部は長野市、繊維学部は上田、農学部は伊那にある。私は理学部数学科なので、4年間を松本で過ごした。父の実家に居候させてもらっていた。
私の北アルプスデビューは大学2年だった。
すでに何回か登場している友達のFと休みに横浜に戻ってくると、夏に登ろうと計画していた。
山は鹿島槍ヶ岳に決めていた。赤岩尾根を登っていくと言うコースも決めていた。
1980年の7月。もう日にちは忘れてしまったが、まだ梅雨明けしていなかった。
1日目は大町からバスで入り、取り付きからいきなりの急登だった。皮の登山靴もまだ2度目の登山でまだ十分に足にフィットしていなかった。
急登なだけに標高はどんどんかせぐ。今とは違って、体力は十分だったから標準時間より早く冷池山荘についた。この日は天気は悪くなかった。
山荘で明日いよいよ鹿島槍の頂上に立てると興奮気味でよく眠れなかった。
翌日は雨だった。それも雷雨で相当ひどい。普通なら1日山荘で停滞するのが普通だったろう。
しかし、そうできない訳があった。
父が実母と離婚をして1年。8月に知り合いから紹介された方と結婚する手はずになっていた。
そうこうあって、さまざまな様があり翌日には横浜に戻らないといけなかったのだ。
(この時は新しい母の引っ越しだったと思う)
いったんは鹿島槍をめざしたが、雨のひどさにFと相談して、登頂をあきらめて爺ヶ岳をこえて種池から扇沢に下山することにした。(赤岩を下るのは危ないと判断したからである)
扇沢につくと、雨は止み晴れ上がってきた。あとで聞いたら、梅雨明けだったという。
こういうように、私のデビューは敗退で終わった。
yan2さんこんにちは。
私の最初の北アルプス、今から43年前の高校2年生の夏でした。高校の山岳部の友人とサッカー部の私で、涸沢にテントを張り、一日で北穂〜キレット〜槍〜横尾〜涸沢と、今の私では考えられないロングランで踏破した事です。
この山行で、完全に山に魅せられてしまい、現在の私があると言っても過言ではありません。
その後も穂高に通い続け、ヤマレコのおかげで記録を整理したら17回にも及んでいます。
その分3000m峰は9座のみになってしまいました。
kazuhi49さん、
17回ですか。すごいですね。
私はわずか6回です。
今回書いた以外は、
・燕岳に家族で
・後立山縦走(蓮華温泉から、白馬、唐松、五龍、鹿島槍、爺ヶ岳をへて扇沢)
・剣岳から槍ケ岳までの縦走(通称ダイヤモンドコース)
・烏帽子岳から雲ノ平をへて三俣蓮華、新穂高へ
・上高地-横尾、槍ケ岳から前穂高で岳沢を下り上高地へ
です。効率はよいのですが、登り残した山が結構あります。
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