マラソンの大会で会場に更衣室が設けられる場合があります。着替えている人を見ているとバスタオルを腰に巻いて隠してパンツを履き替えている人が結構います。それも結構なおじさんが。まるで小学生のプール授業の着替えみたいです。着替え中にパンツを履かない状態が発生するのは当然のことなのに、前を隠す必要などあるのでしょうか?
二十歳くらいの時だったでしょうか、落語家の桂枝雀師匠が新聞で「以前は銭湯では前を手拭いで隠していたが、ある時、みんな同じものを付けてるのに隠す必要などないと気が付いてからフルチンで隠さないようになった」という趣旨のことを言っているのを読んで「なるほど」と感心し、それ以来、私も公衆浴場など裸が当たり前の場所では隠さないようになりました。
隠すのは「見られると恥ずかしい」と思うからですが、「恥ずかしさ」は言い換えると「自分の弱さ」であり、弱いところを見られるということに対する恐怖心みたいなものが隠すという行為をさせているのではないか。むしろ隠すことによって自分の弱さを可視化させてしまってはいないか。であれば堂々とフルチンのほうがいいのではないかと思うのです。
ところでフルチンとフリチンとどちらが正しいのでしょうか? うちの親父(彼も風呂上りはいつもフルチンでした)は「フルチン」と言っていましたが、子どものころ読んだマンガ「はだしのゲン」では「フリチン」と言っていたような気が…。
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