その時のレコはこちら
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-550601.html
石碑には「奉上東西金砂山大権現」の文字が刻まれていました。
この地域には、72年に一度行われる磯出大祭礼で知られる金砂神社(東金砂神社、西金砂神社)があり、私は当然この2つの神社にまつわる石碑だと思ったわけですが、あまりの放置ぶりが気になり常陸太田市教育委員会文化課に問い合わせてみました。
以下、回答原文の一部抜粋です。(掲載に関しては快諾戴いています。)
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画像を拝見させていただく限り、kinoe様の発見された石造物は「石灯籠」の竿石である可能性が高いものです。転倒した状態での画像には、手前に据え付けられた基壇と基礎、倒れた竿石の向こう側には中台が見えますので、近くには火袋以上の部位もあるかも知れません。
画像にみえる石材から推測して、江戸時代半ばから後半にかけて造られたものであると思われ、刻まれた銘文と合わせて考えれば、やはり東西金砂神社に対して奉納されたものでしょう。
kinoe様が歩かれた道の一部は、西金砂神社に詣でるために数多く設けられた「金砂道(かなさみち)」とよばれる参詣道路の一支線と重なるもの思われます。おそらくは金砂神社を信仰する「講中」と呼ばれる集団(おおよそは集落単位で構成される)が寄付を募って金砂道の道中に建てたものなのではないでしょうか。
常陸太田市内における石造物については、今後所在地や種別についてデータベース化等による把握をしなければならないと考えています。
今回、kinoe様が発見された石灯籠についても、頂戴した座標を基に近日中に踏査を行い、DB化を実施させていただきたいと思います。
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この回答によれば、この石碑は石灯籠の一部である笠石らしいとのことですが、石灯籠というと、神社とか日本庭園などにあるイメージしか私にはないので、こんな山中にあるなんてビックリです。
回答メールには、このような歴史的石造物を持ち去るような不届き者もいるらしく、それらの所在を把握する必要性を痛感している、とも記されていました。
Vルートを歩いていると、時々「何故?」と思う場所で祠などに出会うことがあります。余りに人間社会から隔絶されているような場合は、最寄りの自治体に連絡してみても良いかもしれませんね。
kinoeさん、こんにちは。今年も宜しくお願いいたします 。
本件遅レスですみません。まずは、わが県の文化財に対する貴重な御貢献に厚く御礼申し上げます 。
手元の文献を片っ端から調べてみました。残念ながら当該石碑に関する記述は見つかりませんでしたが、その辺りは「水戸三十三観音札所」の#22から#23(西金砂山観音院定源寺)に至るVルートのひとつかもしれません 。ロマンがありますね。人知れず埋もれている石碑の類は多いのかもしれません。
もし、石碑の年代が判っていれば御教示下さい。
kilkennyさん、明けましておめでとうございます。
そんなにお礼を言われると困ってしまいますよ。
正直な所、誰かが困っているかもしれない落とし物を見つけてしまい、仕方なく警察に届けました的な心境なのでして・・・
情報は、常陸太田市教育委員会文化課からのメール以外にはないですねぇ。繰り返しになりますが、
・私が出会った石碑様の石造物は、「石灯籠」の竿石である可能性が高い。
・作成年代は、江戸時代半ばから後半と思われる。
・出会った場所は、西金砂神社に詣でるために数多く設けられた「金砂道(かなさみち)」とよばれる参詣道路の一支線と重なるもの思われる。
・金砂神社を信仰する「講中」と呼ばれる集団(おおよそは集落単位で構成される)が寄付を募って金砂道の道中に建てたものと推測される。
いずれにしろ、確かにロマンを感じますね。
もし、kilkennyさんがその場所に行った際には、付近に火袋から上の部位が無いか是非探してみてください。
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