「ただでさえ暑い夏

山登りをすること自体 命がけの趣味なことを私も含めて自覚すべきでは
ないかと思っています。「山で死ぬのが本望」とか言う人もいますが
少なくとも 私は絶対いやです。それに周りの人の迷惑です。
「家を出発した以上無事で戻る」山の高い低いに関係なく登山者の
義務であり「自己責任」だと思います。
六甲山・高尾山だからといって「地図もコンパス」も持たない。
天気予報が晴れだからと「雨具」も持たない。日帰りだからと
「ヘッドライト」も持たないなど考えられない話も聞きます。
六甲でも道迷いで遭難する恐れは十分考えられます。
そういうリスクを考えられない登山者は明らかに「自己責任」が
欠如していると思います。そういうことが変わらないと
遭難が増えることがあっても減ることはないと思います。
どういったご意見でも受けとめる覚悟はありますので
遠慮なくお願いします。
こんばんはー
その通りですハイ(^^)
まだおそれ多い山にはおじゃましたことはありませんが
簡単な地図と雨具は入れますが・・
コンパス、ヘッドライト持ってません^^;
だから山の会での催しで持ち物に
ヘッドライト、アイゼン、とか書いてある時は
残念ですが不参加にしてます
金剛山でも遭難ありますよね?
気をつけます・・・
私は同感派です。
まだ初心者ですが、よほど軽装を意識した場合じゃない限り、ツェルトも持ってきます。
地図も1/25000とコンパス必携、食糧は山中で一泊分必ず持ってきます。
自分で始めて思うのは、山は本当に危ないと思います。
最近、自分も上を見すぎるのは危ないぞ、とたしなめます。
「山ガール」がどうとかは思いませんが、雑誌の作り方にも問題あるんじゃないか、と思う事はありますね〜。
しかし、昨日から出発した実家の親父はどこの山かも告げずに一泊山行に・・・。
でも、山も自分が先輩という意識が強いので、プライドを傷付けないように注意して諭してみま〜す
こんばんわ。
確かにナイトハイクなんてやってると特にそう思ってしまいます。
北山の巨岩の下りで5mほど崖から落ちたりしました。
「こんなところで!?」といった油断したところです。
それも自己責任ですね。
会社の女の子が葛城山を下山中に迷って「たかが葛城山で迷ったんですよ」なんて言ってましたがその油断が危険だと思っています。
ちなみに、私のザックに必ず入ってるものですが、入れっぱなしにしてるというほうが正しいかもです^^;
荷物にならなくても、肩を慣らしておくために持っていってます。
非常食(ミニのインスタントラーメン^^;) ヘッドランプ2個(予備を含む) カッパ コッヘル ガス ロール(トイレットペーパー) ツェルト 4爪アイゼン コンパス 地図(印刷したもの) 電池
紐 手袋 ポケットティッシュ ライター バンドエイド 頭痛薬 ゴミ袋(底用兼用) 多機能ナイフ スパッツ ザックカバー ミニレジャーシート 防寒用アルミ Tパックの紅茶
アイゼンは4爪ですが、金剛山カトラ谷の崖(梯子手前)がドロドロ道だった場合は使うことあります。
実際あそこから滑落して大怪我した人もいるようです。
こんばんは
私もmiccyanの指摘を受けて今までの考えや行動を反省したひとりです。
六甲山や岩湧山へ行ったとき、デイバッグひとつで十分なのに大きなアタックザックを担いでいる方を見かけ、「いったい何が入ってんやろ?」と不審に思ったものでした。こちらはお天気なので不要と分かっているレインウエアとチョコだけなのに
そうか低山でも、もしものことを想定して必要なものを持って山へ入る。これが基本なのですね。あらためて思い知りました。今後気をつけます
miccyanさんの意見に一票。
私はふだん単独行が多いので、ちょっとおおげさかもしれませんが、
毎回、もしかしたらもう帰ってこれないかもしれない、と思って家を出ます。
六甲山でも、兵庫県の奥の方の標高1000mに届かない山でも、登山道から転げ落ちて、足でも挫いて誰にも発見されず死ぬかもしれない、という仮定を頭において・・・。
とにかく生きて家に帰ってくる、それが本当のピークだと思っています。
ちょっと優等生すぎるセリフですが、ホントにそう思ってます。
こんばんわ。miccyanさん。
言われる通り「山は自己責任ですね」
九州の山でも地図、コンパスはもとより最低の装備は必要ですね。ただおかげで私のザックは異常に重いと言われます・・・
数年前の11/3に部で祖母山に行ったら、頂上付近は大雪で最後の登りの岩場が凍って氷壁と化してたことがありました。行く前、念のためにアイゼンまたは軽アイゼンを持ってくるよう声をかけていたから良かったものの九州で11月初旬に大雪が降ることとか無かったんで驚きました。山は何が起こるかわかりませんね。
それに大勢での山行時は体調不良者が出ると帰りが大幅に遅れて日が沈むことも・・大崩山の一泊山行時も久住黒岳の帰りも・・ライトも必須ですね。
私が通常ザックに入れているものは、
ザックカバー、スパッツ、カッパ、ストック、デジカメ、ヘッドランプ(今週小型LEDタイプに買い直し)、コッヘル、ストーブ、ガス、トイレットペーパー(1ロール)、軽アイゼン(今は夏は出してます)、コンパス(2個)、地図(今は印刷したもの)、紐2本、ビニールテープ、10徳ナイフ(これは重い)、ポケットティッシュ、超小型懐中電灯(単4一本タイプ)、ごみ袋(数枚)、割り箸数本、救急セット(バンドエイド、ガーゼ、包帯等)、サポータ(膝用2枚・・結構思い)、手袋、メモ帳、ボールペン、水ボトル(500ml)
以上、aptx4869さんと同じで入れっぱなしです。なんせグループで行った時のメンバー・サポートもあるので、結構、いろいろいれています。
わお!
chengfuさんの見ていたら、忘れていたものがたくさんありました。訂正します^^;
私は、自己責任という言葉は、いまの遭難や無軌道な事例の解決の、かなめとはならないと思います。
1)いざとなれば、登山者は、本人の意向にかかわらず救助される立場にあります。社会のなかで生き、社会のなかに登山(広くレクリエーションやスポーツ)という行為がある以上、人命救助の対象になる可能性は、誰にでもあります。どんなに注意しても、救助の可能性はゼロにはなりえません。
自己責任は、頭のなかの主観的な目標です。誰でも、救助をうける可能性があるなかで、登山をしています。
本人がどう認識していようとも、登山は、もともと、社会的な行為です。社会のなかで成り立っているものです。避難小屋も登山道も同じ。
それは事故の際に、いっぺんに露見します。
無人の島の、道のない山へ行く場合は別ですが。
2)火事(本人に出火原因がある場合を含めて)、海難事故、海水浴や川での事故、交通事故等々、公的な救助の恩恵を受ける事例は、広範囲に及びます。それなのに、なぜ登山者だけが「自己責任」を突きだす、一部マスコミの矢面に立たされるのか。
日常経費を含めた救援経費の全体額から見ても、登山の遭難・捜索費用は特別な比重は高くはなく、日常経費においても、高いとは思えません。交通警察官や消防がはるかに多い。地方では、山菜採りの遭難騒ぎの経費が、最大の出動回数をもち登山のそれを上回ります。
人命救助の対象となるのは、登山者にとっては、一生の過ちですが、それは登山者にとって、最後の選択肢であり、譲れないモラルだからです。
しかし、事を社会的に見れば、本来人命救助は、公的な責任の一部です。
広くいえば、これらの公的な支出は、他のスポーツと合わせて、国民のスポーツ、レクリエーションの権利の保障といえます。
むしろ、ガイドの制度、自然保護、救助体制等々、日本は、公的なサポートが遅れていると思います。
公的支出の額から見ても、数百万人の登山者人口にたいして、スポーツ関係の支出に対する登山部門の支出が、多いとはまったくいえず、むしろ少なすぎると思います。
3)登山がそのなかで、「自己責任」を問題にされるのは、登山者はもともと、遭難回避を重要なモラルにしてきたためです。事故の際の、マスコミでの識者のコメントが、もともと基準が厳しい。本来こうあるべき、という敷居が、厳しいのです。それは良いことですが。
そして、そのモラルが劣化、あるいは風化、あるいは継承されない事情が生まれてきたからです。
海水浴や川の事故では、酒飲みは毎度のことですが、登山者の場合は、装備、天候、食糧、計画、体調などすべてにわたって、責任が求められます。まるで修験者、巡礼者のように。
酔っ払いの海水浴客がずっと多くの犠牲者を生んでも、誰もモラルや自己責任などとはいいません。一日に「何十人が海で亡くなっても、自己責任などとは報道されません。
山菜とりが、地図をもたず遭難しても、そのことを責められません。
一方、大多数の登山者は、自力で備えるモラルの中にあります。
それが通らなくなっている、現代の登山者の一部にある風潮や原因や現状を考え、改善することが、当面の大事です。これは、自己責任論としてではなく、登山者のある層にたいする技術、経験、教育、サポートをどうするかという建設的な議論がすでに始まっています。この改善・手だてでは、「自己責任」という総括的なことではなく、知識・技術・経験の継承という内実が問題になります。「低体温症」や「読図」を知らない人に「自己責任」を言葉で自覚してもらうだけでは、対処になりません。
ここには、教育や指導者育成、ガイド体制など、公的なサポートが必要です。そして、「自己責任」を言葉で確認しあうよりも、ずっとずっとたいへんな、地道なとりくみが求められると思います。
4)トムラウシの遭難のような、ツアー会社の野放図・無責任とガイドの無権利のあり方を、制度的に改善することが、緊要です。ここでも、個人で完結する「自己責任」ではなく、法と制度が前提になります。
トムラウシで亡くなった8人は、自己責任の自覚がなかったからではありません。起こりうる遭難の事例の認識、低体温症の症状と備えの認識がなかったからであり、指揮にあたったガイドのその点での認識が欠けていたためでした。加えて、ガイドの地位、権利の問題がありました。
具体的な改革こそ問題です。それなしには、日本はますます遅れます。
この遭難をめぐっては、当のツアー会社が一貫して、参加者の自己責任論を主張しつづけていることも、、この言葉の「危険性」をつかむうえでは、良い参考になります。
5)雇用や社会保障を改悪しながら、そのために苦しんでいる人々に自己責任を説く風潮が広まっていることにも、目を向けたいと思います。
自己責任論は、善意の見方を別にして、元凶への改革をそらす目的で意図的にふりまかれる場合があります。
日本の若者が定職を得られなくなったのは、自己責任のせいではなく、雇用の法律が改悪されて、非正規雇用がまかり通るようになったためです。
政府や経団連が「国民の自己責任」という内容を繰り返している構図もまた、この言葉の、怖さを示すものです。
そういうこととは区別して、言葉はともかく、個々の登山者の中に良い意味での「自力の山登り」、そのための修練を培いあう雰囲気が広がることは、私は賛成です。
しかし、これは、言葉でいうよりも、とても大変な事業です。人から人へ、伝えあわなければなりません。山での挨拶や情報交換もその一環ですね。
tanigawaさん こんばんわ。「自己責任」が
独り歩きして「自己責任」万能は まずいと思ってます。
どれほど準備をして
体調を整えて登山に臨んでも遭難する可能性か
ゼロでは ありません。
私が問題だと思っているのが 救助にかかる費用ではなく 警察・消防関係者に
精神的肉体的な負担を
かけて 先日の秩父の救助ヘリ墜落のような悲劇を
招く恐れがあるのが
問題だとおもいます。
交通事故の場合 法的なペナルティーや賠償という
経済的・社会的なペナルティーがあるので「自己責任」的な部分もあると思ってます。
「トムラウシ」の時
話題になったツアー登山の問題点が解決されてないですね。ツアー会社が最も
恐れるのが これをきっかけにツアー客が減って
会社が倒産するようなことですが そういうことが
あって初めて会社や行政が動いて改善されると
思いますが そういった
不買運動のようなことが
行なわれなかったのが残念です。
やはり私が思うのは
世間に「自己責任」と
突き放されないように
登山者自身がモラルを
向上させる必要があると
おもいます。
こんばんは
tanigawaさんのご意見、実に当を得たものだと思います。特に、3・4に関しては、全くその通りだと感じています。
「山で死んではいけない」の中に、1960年代から現在までの遭難の比較が載っています。遭難者数に対する志望者の割合は、1954年〜75年では40%前後なのに対して、2004年では70歳以上を除けば25%以下と少なくなっているんですね。ただ、絶対数が多いことと、高齢者の死亡率が高くなっていることが特徴のようです。そのために、他の事故に比べて非常に多いかのように問題視されるようになったのでしょう。
このグラフを見るとわかるのですが、どちらも団塊の世代が遭難者のピークになっていると言うことです。
70年頃過酷な状況に挑んで命を落としたのも、その後、技術不足での無謀な計画による大量遭難、そして現在の高齢者の遭難が多いのも、団塊の世代のに合わせてピークが移動しているだけのようにも見えてしまいます。
山で「自己責任」がことさら強調されるのは、谷川岳の宙づり事件のように、日常からかけ離れた極限状態での遭難がテレビ報道され、「山=危険、命をかけるのは事故責任」のようなイメージが植え付けられたからかもしれません。
問題は、ツアー登山(特に百名山巡り)、食事・寝具を提供する山小屋の充実など、「自己責任」の一部を担保する営利サービスの存在にあるような気がします。
本来なら、水準以上の技術と体力がないと登れない山でさえも安全に登れるように錯覚することで、安全のために最低限確保しなければならない技術と装備の軽視につながっていると感じます。
生涯スポーツとして登山が人気を博すことは大いにけっこうだと思います。しかし、登山をする全ての人が百名山を目標とするような登山のスタイルと、それを無責任に支援する民間サービスのあり方には問題があると思っています。
tanigawaさんの意見からすっかり外れ、支離滅裂になってしまいました。
朝早く、追伸失礼します。
自分で雑誌のうんぬんなど言いましたが、それを思う一方で、始めるにあたって、敷居が高すぎるのもなぁ、とも思います。
中には興味があっても、今度は考えすぎて取り組めない方々もいると思います。
そして、やはり皆さんも自分の失敗を糧に成長する部分も少なからずあると思います。
女性ばかりではなく、もっと初心者の方にスポットを当てた公的で(安く)有意義な講習の場などがあれば僕は嬉しいです
miccyanさん、こんにちわ。marcyです。
オイラの意見を・・・
オイラも登山という行為は基本「自己責任」だと思ってます。
事故を起こした時も、基本は「セルフレスキュー」。
セルフレスキューが出来ない場合は、当然、救助要請するわけですが。
オイラは社会人山岳会出身ですんで、セルフレスキュー(各自の技術力アップ)の訓練や机上講習は年中行事でした。
まずは知識と経験を積み、万が一起こしたらパーティのみで解決する方法を探り、止むを得ない場合は救助要請がセオリーじゃないかしら・・・
最近の風潮は、基本的な部分が欠落してると思うのはオイラだけでしょうか。
ヘッドランプ無しに山に行くなんてオイラには考えられません。
社会人山岳会は、組織ですから規律はあるし、会務など面倒なことも多いですが、基本を身につけたり、パートナーを見つけるには最高の場所だと思ってます。
やはり、自己責任で遊びたいものです。
事故を起こすと大変ですよ。絶対に事故は起こしては行けません。
自分の力量を良く知り、力量以上のコトはしないことが無難でしょうな。
だって、登山は冒険ではありませんもの。
miccyan さんへ
今回の奥秩父の沢の本流には、2年前に沢遊びで入りました。(ヤマレコ日記)
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-category-8
私は事故の当事者から何も情報を得る立場にないので、情報が出ている救助活動についてのみ、書きます。
この沢は、ヘリの救助は地形的にもともと難しい場所です。また、遭難者はすでに死亡しており、搬出の方法はへり以外に、さまざま想定されます。
ブドウ沢の合流点の下にも淵、滝つぼはありますが、浮力のあるマットやツエルトで包むなどすれば、時間はかかりますが下降は可能だったと思います。
ヘリは、より開けた場所で使うべきでした。
おそらく結果論としてではなく、防災ヘリのスタッフや指揮系統の方々は、振り返っておられるのではないかと思います。
救助のプロには、救助のプロなりの深刻な教訓化があるでしょう。
また、遭難したパーティーにも、搬出問題、そもそもの落下にたいする確保の問題、教えられる側のメンバーへのフォローの問題など、反省点はあるのではと思います。
多数の死亡者が出た結果をもって、「自己責任」を言っても、事実に即した解決策にはならない。
また、もう一度いいますが、「自己責任」を言うだけでは、どのようなケースの場合も、解決にはならないと思います。
登山者は、本人がどのように主観的に責任を自覚しようとも、技量・経験・チームワークなど内実が欠けていれば、事故は起こしうる。
登山は自然相手なだけに、細心の注意を重ねても、事故は起こりうる。
いつでも社会的なサポートとして救助を受ける立場にあるからこそ、自力で困難に対処しうる備えに心がけることがもとめられる、ということではないでしょうか。
なお、個人の経済的、肉体的負担について交通事故を上げていますが、私の議論は、こういう種々の事故・災難と登山の遭難は、社会的サポート、社会的負担という点では、本来、差異はないということです。
これは、道路交通の分野にどれだけの公的要員が配置されているかをみれば、明瞭です。
遭難は、個人的負担の面でも登山者本人と家族に、経済的、精神的な多大な負担を及ぼします。
この点でも、他の事故・災難と、区別はありません。
一定の水準の登山をする人は、山岳保険の加入などが必要になります。
ここでも「自己責任」は言葉の問題ではなく、具体的な備えの問題です。
おはよーございます。
最近暑すぎで何にもやる気ないのですが、こういうテーマで話すのは悪くないですね。
「自己責任」ってなんなんですかね?
しかも登山における自己責任。
建築系で働いている人だとわかると思いますが、現場仕事は「ケガと弁当は自分持ち」です。死んじゃった場合は、元請けとか同僚から見舞いが集まります。事故が起きて、工事がとん挫したり、やっと固まった足場が壊れてしまっても、工事の遅れや現場の修復にかかる費用までは事故を起こした人に請求されません(今はどうか知りませんが)。
あくまで「ケガと弁当は自分持ち」です。一人親方の場合、ケガでもすれば、その日から仕事はなくオマンマも喰えなくなる次第。風邪ひいたってそう簡単には休めません。
山でいう自己責任も、本来的には同じなんじゃないかと思います。基本的には、パーティなり組織なりで、危険を伴う環境の中で目的を達成する。その為の『自己責任』だと思います。
現場に出てしまえば、今日入ったばかりのバイトくんも自己責任です。
『みんな自分の仕事で手一杯なんだから、誰もお前の面倒みてる暇はないし、自分のことは自分でやれ!』
ってことなんだと思います。
自分のこともできない奴は、現場ではお荷物だし、本人も悲惨なもんです。遅かれ早かれ追い出されるか、自分で辞めていきます。不器用でも自分の事を自分でする人は、邪魔にならないようにしながら、先輩や他の組の人夫から技を盗んで成長していきます。先輩が教えてくれるのは最初だけであとは自分でなんとかするしかありません。
って感じのことが、元々あるので、基本的に『自己責任』とは、組織登山をする人達にとっての大前提だったんだと思います。今は、単語だけが一人歩きしている面もありますが。
単独行をする人にとって『自己責任』とは何なのでしょうか?
一人で行くんだから、当然、誰も面倒みてくれないし、怪我して動けなくなったら他人に助けてもらうしかないし。ある意味、一人親方と同じで『絶対に怪我できない』という心構えや準備が『自己責任』なのかもしれません。そう考えると、単独行をする人は、一人親方に負けないくらいの技術や経験を積んで欲しいものです。
ただ、一人親方は、いきなり親方を始める訳ではなく、どこかの組である程度経験を積んで、信用と人脈が出来てから独立するので、最近よく見かける単独行者とは全然異なります。
また、一人で仕事を受けることもあるけれど、大抵はどこかの現場の一員になります。事故が起きた場合には、怪我は自分持ちだけど、他のことは同業者がなんとかしてくれます。これも山の単独行者と違うところです。
最近、紹介されていた『高熱隧道』を読めば分かりますが、現場仕事ではけが人や死人が出ても基本的に外部の救助隊なんか頼みません。自分たちで組織して生死に関わらず担ぎ出します。その努力を必ずします。救急車や病院に任せるのはその後です。
酒飲みや海水浴は『危険を伴う環境の中で組織的に目的を達成する。』という前提がないので、自己責任の議論にならないのは当然なんじゃないかな。もっとも社会人のモラルはもって貰わないと困りますが。
酔っぱらって裸で車道に飛び出して、クルマに轢かれた奴もいるが、あれじゃ運転手が気の毒だ。
まぁ、単独で山を始めた人には、一度は山岳会とかに入って欲しいものですが、山登りもお酒もホドホドがよろしいんじゃないでしょうか
みなさん こんばんわ。
貴重なご意見ありがとうございます。「自己責任」
この日記を通して 私自身さらに考えていかねば
とあらためて思うと同時に こうして自由に節度を
もって話せるのは「ヤマレコ」のよさかと思いました。
ihara1990さんがおっしゃるとおりで
登山は一人でも始められるのが良さでもあり
もしかしたら 明日「山デビュー」した人が
お盆には 富士山に登ってるかもしれないのが
よさでもあり 危うさかもしれませんね
山ではありませんが「自己責任」のこんな例がありました。私の職場が 1000℃の焼却炉の管理でして
当然 危険と隣り合わせで 各種安全策やマニュアルは
整備されてますが マニュアルを守らずに大やけどの
事故がおこり 労基が入りやけどを負った本人の
治療には「労災保険」が適用されましたが
社内的には マニュアルを守らなかった自己責任を
追求され始末書などの処分を受けた事例があります。
まあ 自己責任とか世間につっ込まれない登山を
していこうと思ってます。
marunaさんへ
歴史的なデータをみると、けっして世間で言われているような単純なことではないのですが、そうはいっても、山の遭難事故がこれまでにない注目を浴びているのは、まちがいないことです。
そして、登山者がいい意味で責任を自覚するだけではなく、人から人に体験も通して伝わるように、技術、知識、経験、パーティーとしてのチームワークの向上などなど、内実をもって全体の水準を上げていくことが大事と思います。
その裏付けがあって、初めて、責任がわがものになるし、何よりも事故にいたらせない対応力が培われるのだと思います。
そのように考えると、いまは悪い見本に出されているツアー形式の登山は、ガイドの力量向上や権限の保障など、制度的、法的な裏付けが改善されるならば、逆に最良の「体験学校」であり、講習の場にもなると思います。
現にそういうガイドもいます。
もちろん、地域で公的な制度として、そういう講習と体験の場ができてほしい。山岳会が訓練山行や研修をおこなうことも、講師陣や場所をふくめ公的なサポートがあっていいと思います。
そういう流れが広がれば、登山の現場で、登山者どうしの関係も、大きくかわるはずです。現に、いまは、遭難のその場に別パーティーがいても、相互の意思疎通や情報交換さえほとんどないまま、遭難死へと進んでいます。
トムラウシの場合は、前回の遭難も、昨年の遭難も、そういうなかで起こっています。
知識や体験の場がないまま、問題はどんどん大きくなっています。それが大きく欠けたままでは、いまの悪循環は変わらないと私は思います。
どこから切り替えるか?
山の雑誌もマスコミも、しばしば「個人」に焦点をあてていますが、ここには錯覚があります。事故は個人やグループが起こすが、改善策は個人に焦点を置いては、決意した人の間のことになってしまう。その外にいる人をどうするか。また、決意の支えになる山の技術や経験は、それにふれる機会がなければ、伝わりません。
ここが考えどころですね。
こんばんは。
単独で山へ入ることについてどう覚悟しておけば良いのか自分でできそうなことを考えてみました。
単独ということは、対象とする山が何処であれ、怪我をすれば帰れなくなる危険性を有しているわけなので、そのための準備が当然、必要となります。テーピングテープで挫いた時に何とかする。這ってでも帰る努力をする(体力をつけておく)。ヘッドライトで日暮れに備える。ツェルトでビバークする。などなど自分で考えられる準備をする。帰れなくなれば生き続ける努力をする。特に地方の人気の無い山(このケースが殆ど)では低山といえども怪我をすると窮地に陥ることになります。
自分は絶対に遭難しない、と言ったところで山へ入るからには遭難のリスクを背負わなければならない。
まず、自力で窮地を脱出する覚悟をしておく、それと、携帯などが通じない状況であれば、そもそも救助もできない、ということで、最低限、家族に自分の行こうとするルートのコピーを置いていく。そして無闇に予定変更をしない。
それと、いざという時のため、家族のために山岳保険に入っておく。警察や消防による救助の場合には料金を請求されることはありませんが、民間に委託した場合は相当なお金がかかることになります。これ、残された家族の負担です。
自己責任というか、出来ることを考えたら、こういうことかな、と思います。
横からすみません。
いろんな考え方があると思いますが
BCスキーやナイトハイクをやっていて
「無事に家に帰ることが山の基本」
じゃないかと思っています。。。
その意味には深いものがありまして^^;
こんにちは。
bokemonさん、「ルートのコピーを置いていく」「無闇に予定変更をしない」「山岳保険に入っておく」どれも山岳会では基本事項だと思いますが、個人でもできることなんですよね。
自分で考えて行動する姿勢がとても美しいです。
ついでなので昔話を書いておきます。
山岳部を終えて、社会人の山岳会に入っていた時のことです。
かなり初心者の新人一人を連れて冬の那須、茶臼岳に行きました。那須は、積雪量は大したことないのですが結構風の強いところです。登り始めて1時間くらいした時に、新人君が『手が冷たいです』と言い始めました。リーダーは一度停止して、指先が冷えたときの対処法を教えました。それから、暫く歩いて谷沿いに来たところ、風が更に強くなりました。みんなはジャンバーを上に羽織ったり、食事をとったりしていたのですが、
「あっ!」
と、一人のベテランの方が声を上げました。一瞬の油断で、オーバーミトンが飛ばされてしまったのです。さらに予備も無いご様子。誰かに貸してもらったように記憶しています。
僕の考えとしては、新人君は知識や経験は無いけれど、自分で対処できない事態に直面したときに、すぐにリーダーに伝えています。世の中には、歩くことに夢中になって寒いことや指先の感覚が無いことに気付かなかったり、気付いていても無理してしまう人がいますが、この新人君は、自分のやるべきことをちゃんとやったので、立派に自己責任を果たしていると思います。
一方、ミトンを飛ばされたベテランさんは、装備をなくした上に他の人に借りているので、経験や知識が豊富でも、自己責任という点では不合格なんだと思います。
とはいえパーティとしては、大きな事故もなく登頂・下山をしました。
その数年後、そのベテランの方は山で亡くなりました。新人君が途中で辞めたか立派な山屋になったか、その辺のところは、僕も転勤を機に退会したので分かりません。
単独であろうと山岳会に入っていようと、体調も装備も自分でしっかり管理したいものです。
最後に、同じ山に入っている者どうし、お互い助け合ったり確認しあったりすることは大切ですね。単独行の人も単独行どうしで声を掛け合うというのも、自己責任の一つなのかもしれません。
食料を分け合ったり、装備を貸し借りしたり、ルート情報の交換をしたり、救援を求めたり。そういうことが自然にできるようになると、致命的な事故にあうリスクも下げられるかと思います。
みなさん こんばんわ。
雨具を持ってない→気がついて時点で「引き返す・登らない」わかってて強引に行くのは「自己責任」を
全く果たしてません。
私が言いたかった「自己責任」bokemonさんが
おっしゃることに尽きると思います。
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